毒親って知ってますか?
押見修造「血の轍」はまさにその毒親を描いた漫画です。
(押見修造「血の轍」既刊4巻)
この作品はビッグコミックスペリオールに2017年から連載されているのだが、タイトルからしてなんだか気が重くなりそうだよね。
登場するのはひと組の母と息子だ。
中学2年生の長部静一と、中学生の子供がいるようには見えないきれいで優しそうな静子ママ。
群馬県に暮らす長部家は、サラリーマン風のお父さんと専業主婦の静子ママと静一の3人家族だ。
二人は仲良い普通の母子に見える。
ところが、この母子が奇妙に過敏に反応するキーワードが「過保護」なんである。
さて、長部家には土曜日っつーと、義理姉と静一の従兄弟が遊びに来る。
「も〜あっついんね〜やんなるわぁ〜」と群馬弁丸出しのメチャメチャうるさそうなおばちゃんである。
静一はこの二人が来るから友達としてた約束を断らねばならない。
友達との約束よりも、このおばちゃんと従兄弟が遊びに来る事の方が優先されるのがこの母子の暗黙のルールみたいだ。
ホントは迷惑なんだろ?と見てて思うんだけど、母子はニコニコして楽しそうにしている。
すると、大人しい静一とは対照的に悪ガキ風の従兄弟のしげるが
「静ちゃんちってさ、カホゴだいね」と面白がってからかってくる。
が、「お母さんのこと変な風に言わないでよ」と真剣な表情で言い返すのだ。
いい子なんである。
しかしこいつらは図々しくて、静子ママと静一の気遣いが痛々しい位伝わってくる。
そして、しげるの「明日も遊びに来る。だって静ちゃんが遊びたいって言うから」の一言で、土曜日だけじゃなく日曜日も来る事になってしまうのだ。
おまえら他にいくとこないのかよ。
お父さんはそれを聞いても全然関心なさそうな顔で「静一はしげると仲がいいなあ」などと的はずれな事を言って笑っているだけだ。
やっとうるさい二人が帰り見送っていると、静一が何か言いかけてやめてしまうので、「あいつと遊ぶのはもうやだ」って言うのかなと思いきや「ママ。いつもありがとう」なんぞと言い出す。
ちょっと頬染めながら。
この子は〜、なんでこんな事言うのか〜?
ところが次の瞬間だ。
静子ママが静一のほっぺにぶにゅとチューするんである。
静一は真っ赤になって拒否るが、静子ママは「ママうれしい、ウフフ」と笑っておるのだ。
もう胸糞が悪くなって、本を閉じて寝込んでしまおうかと思った・・・
そんな静子ママに伏兵が現れる。
静一の同じクラスの女子、吹石ちゃんだ。
下校時、静一の後ろから友達と二人でハアハア言いながら追いついてきて、友達が「吹石がね、長部と一緒に帰りたいんだって」と言う後ろで赤い顔してうつむいている。
カワイイ。
で、一緒に帰る事になるんだが何も話せず蝉の声だけがうるさくてドキドキしちゃう。(あ、今真夏ね)
二人ともジャージ姿で、吹石ちゃんも中学生らしいショートヘアで、無言のまま並んで帰る姿は初々しい。
二人の心臓のドキドキが伝わってきそうないいシーンなんである。
それに静一の普通の男の子らしい様子にホッとする。
だけど家に帰ると静子ママが、「何かすごくうれしそうね?どうしたん?」と、思いっきり猜疑心一杯の表情で聞いてくるのだ。
アレー、最初はきれいに見えたのに。なんか別人みたいに怖い感じ。
そんな夏休みのある日、静子ママと静一はしげるの一家やおじいちゃんたちと山登りに出かける。
休憩中にしげるが悪ふざけをして静一を崖から突き落とそうとするのを、静子ママが心配して必死に抱きとめる。
「何してるん静子さん!?本当過保護ねぇ!!」
青ざめる母子を笑う人たち。
その中にお父さんの姿も見つけてしまう。
静子ママは笑って誤魔化すが、表情は引きつったままだ。
この人たちの中で、静子ママと静一の二人だけが最初から他人みたいなのだ。
そして事件が起きる。
静一と二人きりになったしげるが、しょーこりもなくまた崖の上に連れ出そうとしてると、静子ママが突然現れ静一の目の前でしげるを崖の上から突き落としてしまったのだ。
静一は咄嗟には何が起きたのか理解できないながらも静子ママをかばい、さもしげるが自分で足をすべらせたかのように嘘をつく。
しげるは命はとりとめたが、意識が戻らない重篤な状態であった。
もうねえー、読み始めてすぐに、確実にこの母親に対して肌が合わないような嫌悪感を持ってしまうに違いない。
そしていつか何かが起こりそうな不穏な空気を感じながら、ページをめくる手を止める事もできず読み続けざるを得なくなると思う。
この家庭には父親の存在感はなく、母と子の濃密な関係だけがじっくり描かれてるのだが、そこには息もできないほどの閉塞感がある。
この母親は子供に暴力を振るうとか暴言を吐くとか、いわゆる虐待をするような親ではない。
むしろ溺愛と言ってもいいほど可愛がっているし、きちんと世話をしていつも優しい。
定規もスクリーントーンも使わず手描きされた背景や、静一の目に映る少女のように可憐な静子はボンヤリとしたもやの中に包まれているようにも見える。
男の子は中二くらいだとまだまだ子供っぼい。
静子を見る静一の目は、時々幼子が母親を見るような目だ。
その目に映るお母さんはきれいだったり、可愛かったりしてそれを見つめながらちょっとはにかんだりするのだ。
男の子って、お母さんの事をこんな風に見てるのかね。
やがては声がオッサンみたいに低くなって、ツルツルだったお肌が無精ひげなんか生やしてババアとか言い出す日が来るのか?来るんだよね。
だけど静一くんにそんな日が来るようには見えないな。
吹石ちゃんもそうだが、作者は中学生くらいの子の描き方が格段に上手いのだ。
静子が夫婦関係や親戚付き合いの不満など苦悩を抱えていそうなのはすぐ感じられる。
しかし登場人物の内面は掘り下げない手法が取られているので、読者の想像でしかなく、得体の知れない何かはずっと纏わりついたままだ。
ついに表面化したと思ったら、しげるを崖から突き落とすという尋常じゃない行動に及ぶのだが、微笑んでいたと思ったら急に助けてと叫んだりもはや異常である。
そうかと思えば、駆けつけて来た親戚一同の前では「しげちゃんが足をすべらせたの。ごめんなさい!助けられなくて!」と冷静な演技も見せるので、目の当たりにした静一は混乱してしまう。
こうして静一の世界は崩れてしまうのだが、まだ未熟だからはっきりと自覚できない。
信じていた世界がすべてだったから、どうしたらいいのかわからないし、何と言ってよいかもわからないのだ。
けれども静一の中に芽生えた母親への不安は意外な面で姿を表す。
吃音になってしまったのだ。
今まで普通に喋っていた子供が突然吃りだしたらもっと心配するはずなのに、父親も母親も無関心なのかそこはスルーだ。
そんな事よりも、静子が気になるのは静一が吹石からもらったラブレターなんである。
それはホント中学生が書いたっぽい、いかにも稚拙な内容だ。
しかも本人より先に読んでしまってる。
静子は無理とか駄目とか言って泣きながら「この手紙捨てていい?」とか言い出す。
一応聞いてはいるんだけど、絶対にイヤとは言えない雰囲気なのだ。
静一はもう声が出なくなっちゃって、口をパクパクさせて「あっ」とか「おっ」とか吃りながら泣くしかないのだ。
ほんとに痛ましいぜ。
そんでもって「二人で一緒に破こうね。いくよ、せーの」とか言いながら、手紙をビリビリ破らされる。
そのシーンは静一の心までがビリビリと引き裂かれてるみたいだ。
この作品は怖い。
とにかく静子が怖い。
怖いうえに読んでて不快な気分になるから、もうやめよとも思うのだが先が気になってやめられない。
帯に「究極の毒親」とあったが、毒親というワードはよく耳にするし書籍もたくさん出ている。
世の中には自分の親は毒親だったと思ってる人がこんなにたくさんいるんだな、と驚く次第である。
でも、毒親自身は自分が毒親だなんて思ってないのだ。
しげるを突き落としたのも、ラブレターを破ったのもすべて子供の為だと思ってるのかもしれん。
思春期に差し掛かった子供の自我を認めずいつまでも子供扱いして支配しようとする。
吃音になるほど精神的に追い詰めているのにまだ足りないのだ。
だがしかし、静一が毒親からサバイブする為のキーパーソンが登場する。
吹石ちゃんである。
始めはただの色気づいた小娘かと思ったが、その発言はなんか示唆に富んでいるのだ。
だいたい吹石ちゃんの可愛さはクラスの女子の中では上位だろう。
そんな彼女が静一みたいに大人しくて目立たない子を好きになるのは、理由があるような気がするのだ。
二人が家に帰らず夕暮れのベンチでいつまでも座っている姿は、微笑ましいようで切なくもある。
吹石ちゃんは静一と言葉がなくても心が通じあうようになりたいと言う。
静一のどんな事もわかってあげたいし、自分の事もわかってほしい、どんなつらい事でも。と、言ってくれるのだ。
いつだって子供は弱い存在だ。
大人が守らなくて誰が子供を守るのか。
二人を見てるとなんか胸が一杯になってしまう。