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大人の漫画読み

漫画/「阿・吽」おかざき真里 

日本の仏教界の2大巨頭とも言うべき最澄と空海を描いた漫画。

おかざき真里の「阿・吽」を読んでみた。


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(おかざき真理「阿・吽」既刊8巻)

 

物語は1571年、織田信長の比叡山焼き討ちのシーンから始まる。

比叡山延暦寺は最澄が建立した寺である。

 

さてその800年前、後に自身が建立するその寺が無惨に燃え上がり、人々が恐怖に逃げ惑う幻を予見して涙をこぼす幼い広野(最澄の幼名)。

も〜ね、人並みはずれて賢かったから普通の人には見えない物まで見えちゃうんだな。

もぉこの子は天才に違いないつって周囲からも期待されて、母親と別れ当時のエリートコースである国分寺へ入るのだ。

彼は優等生なだけじゃなく純粋で真面目なんである。

そして誰にでも分け隔てなく接する限りなく優しい人だ。

だからお寺でも皆から慕われる。

そのうえイケメン。

やがて得度し名を最澄と改めて正式な僧侶となるのだが、この時代寺院の力は巨大化し政治にまで深く関わるようになっていた。

有名な所では日本のラスプーチン「道鏡」とかね、天皇の座を狙う僧侶なんつーもんまで現れ、世の中乱れまくってたんである。

最澄はそんな腐敗した僧侶や現状の仏教に自分が望んでたのとは違うと絶望し、比叡山に登り山籠りの修行に入ってしまう。

この頃の僧侶はいわゆる国家資格、最澄は国家公務員なわけだから、この行動は出世街道からはドロップアウトしてしまったわけなのだ。

人には優しいけど思い込んだら曲げない最澄は、今の仏教や僧侶の在り方を批判的に見ていた。

だからこの人ならばきっと世界を変えてくれるだろうと期待する人もいたのだ。

この修行は12年も続いた。

人があまりにもあっけなく死んでしまう時代だ。

修行した僧侶だけが悟りを得られるのだとしたら一般庶民はアウェイだし、しかも今の僧侶は腐りきっている。

これじゃ誰も救われない。 

人はいったい何を拠り所に生きればよいのか。

最澄は自身の出世などよりも身分に関係なく全ての人を等しく救う道を探そうと考えた。

その為「南都六宗」という既存仏教とは徹底的に対立してしまう。

イケメン優等生は生真面目すぎてまったく融通がきかなかったんである。

 

一方こちらもまた天才で、天才ゆえにいつも何かを求めてやまない渇いた男、真魚(後の空海)。

最澄より7歳下である。

理解ある叔父、阿刀大足のもとで学び大学にも入る。

これは役人の出世コースなんだが、出来過ぎちゃって大学の学問には飽き足らず結局辞めてしまう。

真魚は勤操(空海の最初の師)によって仏教と出会い、自分が求めていた物はこれだと気づく。

そうなれば行動は早い。

大学を出て得られる地位を捨て、叔父の尽力も一族の期待に応える事が出来なくなっても自らの道を突き進む。

自分を偽る事などはしないのだ。

最澄のようなエリートコースに所属できるわけでもないから、たった一人で地を這うように仏の道を探るのである。

 

ここで勤操に授けられ描かれるのが、有名な四国の室戸岬で空海が行ったと伝えられている「虚空蔵求聞持法」だ。

これは挫折したり命を落としたり発狂したりする人もいるというデンジャラスな荒行である。

虚空蔵の真言という短い言葉を数ヶ月に渡って百万回唱えるという単純な作業なんだが、それだけにつらいらしい。

この真言パワーが空海を天才たらしめたと言う。

そう言われればこの後渡唐するとどこで習ったのか言葉が話せるし、サンスクリット語や密教の経典も完璧にマスターしてしまう。

仏教の分野にとどまらず文化・芸術・医学など多岐に渡って把握していて、ちょっと信じられないほどスゴイ人だ。

まさに天才なのだ。

 

空海はいつもギラギラしている。

もっと知りたい。もっと学びたい。もっともっと。

もっと俺が満足するものを出せい!と要求する姿は鬼気迫ってさながら地獄の餓鬼のようだ。

この人は最澄とは全然違うなと思う。

最澄がイケメン優等生なら、空海は自由奔放な異端児という風体だ。

最澄が触れるものを包み込んでくれるような優しさを持っているとしたら、空海は触れると火傷しそうなすごい熱量の持ち主だ。

煩悩に苦しむ人を救いたいという思いから仏教を志す最澄とは違い、空海には自身の神秘体験などを経て宇宙の真理を解き明かそうとするかのようなスケールのでかさがある。

 

既存の仏教の転換期に現れ、これまでの日本仏教を一変させようという思想を抱く二人は海を越え唐の国を目指す。

 

さてこの当時、ちっちゃい島国である日本の憧れというのは唐の文明なんだが、「遣唐使」を送るという事は困難を極めた。

日本の船舶技術や航海術というものが悲劇的すぎて、渡唐は想像を絶する命がけの行為だったのだ。

作中でも仮病を使って逃げたり拒んだりする者もいて、喜んで行きたがるのは僧侶くらいだ。

僧侶にとっては唐の国は自分の命を賭けてでも行きたい夢の国なのである。

僧侶が日本で公認されるには唐の都長安に行き、正統な師につき教えを受け継いで戻る事が重要で、まだ日本には入っていない経典を持ち帰る事も必要だった。

 

最澄は天台宗を空海は密教を日本へ持ち帰るべく奇しくも同じ船団で渡唐するのだが、この時二人の立場はまったく違っていた。

有名なエリート僧の最澄は国から正式に命じられて行くので、天台宗を持ち帰る為の一大プロジェクトが組まれていた。

お金も人材も潤沢にあったんである。

しかし空海はというとまだ無名の僧に過ぎず、真言密教を持ち帰るという目的もまあやりたければやりなよそのかわり自力でね、みたいな扱いなのですべて自前で調達しなければならなかったのだ。

その費用1200万円!!!!

 

最澄の前半生は、若くして桓武天皇から愛され幸運に恵まれていた。

だがしかし良かったのはここまでと思う。

この後日本に帰ってからは空海と全く逆転した苦渋の人生となってしまうんである。

だが温雅な容貌と清廉な人柄で仏教を極めようとする姿はステキだ。

ギラギラした独創的な人物として描かれてる空海の天才っぷりが破天荒すぎて共感する所がないので、人間味のある最澄の方が親しみが持てる。

それにしてもお坊さんというテーマが地味だからか、妙に坊主セクシーを強調してくるんですけど・・・

ストイックさがセクシー、みたいな。

最澄は繊細な人柄でよく涙をこぼしてる。

この作品の最澄は泣いたり苦悩したりする姿が実にいいのである。

 

また多種多様な文化や思想が集まる国際都市長安の華やかさも美しく描かれている。

空海が金策した1200万円は、日本に持ち帰る為の密教の法具や曼荼羅や写経を購入したり、密教を授けてもらったお礼などに使う資金だ。

遣唐使が唐にいる間の滞在費などはすべて唐側で支払われた。

日本だけでなく世界中のどんな国でも唐にやって来る者には唐の側で面倒を見たのだ。世界帝国長安すげー太っ腹なんである。

空海は長安では詩文の才を謳われ、書の見事さに唐の人々を感服させる。

この時は無名の僧だった空海も帰国後は、時の嵯峨天皇の信頼を受けるようになり天皇は空海に師事するほどであった。

破天荒な一匹狼かと思えば、意外に協調性があって他人とも上手く関わってるのだ。

空海、嵯峨天皇、橘逸勢が三筆と称えられる書の名人である。

この橘逸勢も空海と同じ遣唐使船で唐にやって来たのだが、空海の才能に驚きながら自分自身はなんか愚痴っぽい。

白居易までも登場して群像劇のような面白さを見せる。

白居易は玄宗皇帝と楊貴妃の恋を歌った「長恨歌」で名高い唐の詩人。

作画がきれいで扉絵なんかは見てて飽きない。

 

でもなんといってもこの作者の本領は男女関係の描写だろう。

仏教では男と女のリアルな愛は否定されるが、桓武天皇の皇太子安殿親王が人妻である藤原薬子と関係を持つシーンとか秀逸。

自分の娘を差し置いて母親の薬子が若い安殿親王と通じてたという、とんでもねーしたたか女ではあるが薬子のエロさが物語に花を添えている。

男も女も煩悩の塊でまったく救いがないのである。

 

784年、桓武天皇は平城京から長岡京に遷都した。

だが藤原種継が暗殺され弟の早良親王が捕まる事態となり、以降身辺の被災や弔事がたび重なり、早良親王の悪霊におびえ続けた桓武天皇はわずか10年でまたもや平安京へ遷都する。

疫病の発生や天災などは、貴族の権力争いに敗れて死んだ者や霊のたたりであると信じられるようになり、その霊を祀る事が盛んに行われたりしたのである。

この2度にも渡る遷都の背景には、力を持ちすぎて政治に介入してくる南都仏教の僧侶たちの影響を排除する目的もあったのだ。

そこで満を持して登場するのが、最澄であり空海である。

このあたりの暗い世相もよく描かれ、人々が新しい仏教へ期待感を持つ切実な様子がわかる。

 

一見正反対に見える二人だが、天才というのはけっこう孤独なもんだ。

同じ高さに立ってる人が誰もいないっていうのは案外寂しいものかも知れない。

最澄と空海がお互いに相手を知るのは5巻にもなってからだが、天才ゆえに惹かれ合うみたいな、誰も理解できないけどあいつだけには解るんだみたいな、相通じるものがあったように描かれてる。

ただ、天才ぶりを表現するのに最澄の読む巻き物から文字が動き出したり、空海の書いた文字から何か龍みたいのが出てくる描写なんなん?蟲師?

あと唐で空海に密教を授けてくれる恵果初め和尚たち。口から出てるのイカの足?パイレーツ・オブ・カリビアン?

ウ~ン、伝記なのか?異能力ファンタジー?

まあ江戸や戦国ならいざ知らず平安の初期だから、時代がはるか過ぎてよくわからない事が多いんだよね。

それと、空海とはまた別な「お大師さん信仰」ね、杖つくと水が湧き出たとか術を使って人を助けたとかの超人的なやつ。

ごっちゃになってるのか。

仏教をテーマにした歴史漫画を描くのは難しい。

まず仏教用語が難解だし、修行を積んだ人間の心象風景を漫画に描く事も難しい作業だ。

それに今なお敬愛されている伝説上の人物を、好き勝手に創作してしまうのもためらいがあるのかな。

宗教団体に配慮してしまうのも仕方ない話ではある。

コミックス巻末の参考資料や文献も相当数あり、こりゃ大変じゃのう。

頑張ってほしいと素直に思う次第である。