(高野ひと深「私の少年」既刊5巻)
多和田聡子は今年で30歳。
独身で一人暮らし、職業はスポーツメーカーの営業職だ。
聡子は仕事もできるし同僚からの信頼も厚いきちんとしてる女性だ。
ベタベタ甘えたり誰かに依存したりしない、いつも冷静でドライである。
物事や人に対してもあまり執着心を持たないから、言動も自然とサバサバしたものになってしまう。
聡子の上司の椎川は、何かにつけて冗談を言ったりからかったりして、聡子を困らせたり怒らせたりして楽しむ。
二人は大学時代つき合っていたのである。
別れを切り出したのは向こうからだが、聡子は離れる人を追うような事はしない。
もう未練などないと思ってるから、飲みに行こうなんて誘われてもさっさと帰宅してしまう。
人と飲みに行ったりするよりも帰り道缶ビールを買って、夜の公園で一人グイッと開けたりする方が性に合うのだった。
そんな夜に、聡子は公園で一人サッカーボールを蹴る早見真修と出会う。
真修は12歳だ。
大学時代はフットサルサークルに所属していた聡子は酔った勢いもあって、相手も子供だし、見てなこれはこうやるのてな感じでボールの蹴り方を実演して見せる。
「わ〜プロの人ですか〜」と素直に感心してるその子が、近くで見たらすごい美少女だったんで驚くと「オレ男です」と言うんで二度ビックリしてしまうのだ。
話してみるととてもいい子なんだけど、こんな子供が夜の公園で一人でサッカーしてるのも妙だ。
真修の事がなんだか気にかかる聡子は、成り行きもあってサッカーを教えてやる事にする。
真修には母親はいないらしく父親は仕事が多忙で不在がちなようだった。
弟の面倒を見ながらサッカークラブに通っていて、弟が塾に行っている時間に公園で練習をしてるのだと言う。
なにか訳ありげなんだが、聡子は余計な詮索はしない。
試合に親の送迎が必要なのに父親に頼めない真修を見るに見かねて、聡子はレンタカーを借りて送迎してやったりする。
そこまで首を突っ込む必要があるのかと思いながらも、なんだかほっておけなかったのだ。
しかし聡子は、年下の子にレギュラーを取られベンチで試合にも出られない真修に、何て声をかけてやればいいのかわからなくなってしまう。
「試合に出られなくても応援を頑張ります」とけなげな事を言う真修に、気軽に頑張ってなんて言えないって思ったのだ。
遠くからそっと真修を探してみると、レギュラーになった年下の子を声を枯らして一生懸命に応援している姿が目に入る。
その子供らしい純粋さに何か感じる物があった聡子は、試合後「真修、応援よく頑張ったね」と素直に言えたのだ。
真修の頭をわしゃわしゃ撫ぜながら。
行きの車内では聡子がかける曲を真修は知らなくて、なんだか噛み合わなかった二人。
だけど帰りに岡本真夜のtomorrowが流れると、助手席の真修が合唱大会で歌ったから知ってると言いだして歌い出す。
聡子も嬉しそうに笑う。
それはなんだかとても幸せで清らかな光景だ。
ある日、聡子の部屋に真修が来て勉強を教えてやる。
真修が帰り一人になった部屋で、聡子は真修と過ごす時間が自分にとってかけがえのない物になっている事に気づく。
ところがその夜真修が再びやって来て狼狽した様子で、弟がまだ帰って来ないと助けを求められるのだ。
父親は仕事で電話もしたけどつながらないと言う。
とりあえず家に戻ろうと聡子は真修の家へ初めて行くんだが、大人が留守の家に勝手に上がりこむのをためらってしまう。
そりゃあそうだよね。
これって不法侵入?とか思うけど、今そんな事言ってる場合じゃないからと入る事にする。
すると家の中はコンビニの弁当とかペットボトルとかのゴミや脱ぎ捨てた衣類が散乱してて、かなりの汚さで呆然としてしまうのだ。
真修の抱える家庭の問題の大きさに、他人である自分が親を差し置いてどこまで手を差し伸べていいものか、聡子はジレンマに陥ってしまうんである。
「私の少年」は30歳の女性聡子と12歳の少年真修との交流を描いた、繊細で美しい物語だ。
聡子と真修、それに付随する人のエピソードを細部に渡って丁寧に丁寧に描かれている。
これはいわゆるオネショタのカップリングなんだがとにかく真修きゅんがカワイイ!!
毛も生えてないし、短パンから膝小僧が出てるし、思春期前の中性的なショタっ子の魅力に心を鷲掴みされてしまう。
性格も素直で実に美しい心を持っている。
うれしいとパアッと花開くような豊かな表情を見せるのもいい。
聡子がこの笑顔の為なら何でもしてやりたいような気持ちになってしまうのも共感できる。
こんな子に慕われたらそりゃほっとけないよね。
この二人の関係って言葉ではうまく説明ができない。
最初は真修がかわいそうだから、聡子の中の母性みたいな物がそうさせてるのかなと思う。
椎川から「どうしておまえが他人の子供にそこまでする必要があるんだ」と言われたりもする。
確かに第三者から見たらへんに違いない。
まして真修の親だったら妙に思うのも当然だ。
いったいどういうつもりでうちの子供に近づくのか?
何の目的があるのか?
そこは30歳の男と12歳の少女に置き代えればわかりやすい。
聡子もそれはわかっているから、慎重になったり真修と距離を取ろうとしてみたりもする。
でも別にいかがわしい事をしてるわけじゃないし、二人はただ一緒にいたいだけなのにどうしていられないんだろう。
二人の気持ちが伝わってくるから、読んでてほんとにもどかしいのである。
だがしかし、自分だけが一方的に真修に与えているように見えて、実は自分こそ真修からたくさんの物を貰っていたのだ。
手を差し伸べてくれていたのは真修だったのだ、と聡子が気づく所でこの関係は終わりを告げてしまう。
二人の関係が真修の父親の怒りを買って、会社での立場が危うくなった聡子は仙台へ異動する事になってしまうのだ。
「私の方があの子から貰いすぎてしまったから全部なくなってしまったのだ」と聡子はつぶやく。
切ないのお。
聡子の心をしめる真修の面影と「もう聡子さんから何も貰わないからいなくならないで」という真修のメッセージを聞きながら涙涙の聡子に、貰い泣きしながら読んでると
これが恋でなくてなんだー!!!
と思ってしまう。
作中に垣間見るそれぞれの孤独の影。
聡子と真修が魅かれあったのは二人が孤独だったからだ。
でも二人とも自分の事を深く語ったりはしない。
黙って察して心で繋がっている。
それは、お互いの人間性を認め合う美しい関係だ。
だが決定的に違うのは聡子は大人で真修は子供だと言う事だ。
やっぱりどんなに好きでも大人が子供に手を出すのはならぬ。
じゃあ成人するまで待てばよいのか?
うーん、でもそんな事してたら女はどんどん年取ってしまうし・・・
年の差カップルと言えば、最近ではやっぱフランスのマクロン大統領39歳と64歳の妻だよね。これには驚いた。
もっとも、とてもお綺麗な64歳ではあるが。
二人のなれ染めは彼女が高校教師をしていた40歳の時で、その時彼女にはもちろん夫も子供もいた。
自分の担当するクラスに15歳のマクロン君がいて、驚く事に自分の実の娘も同じクラスだったという。
もっと驚いたのは、フランスではこの二人の関係が純愛だと喝采を浴びていた事だ。
さすがアムールの国だ。
日本人の自分にはちょっと理解できない。
それは純愛ではなく不倫だし、影で泣いてる人がいるのだ。
やはりフリーダムに恋愛を謳歌しすぎて、日本人の心情とは合わないような気がする。
その点この作品は耐え忍ぶ感じがいい。
なんと言っても聡子の造形がいいのだ。
自分の価値観でしか物事を計れない人も多い中、聡子は感情に左右されず冷静な判断が出来る。
決して真修の父親がネグレストだとか非難するような事も言わない。
だが二人の関係は「大人が子供をかどわかしている」ようにしか見えない。
世間からはそんな風にしか見えないのである。
だからこそ、感情を抑制する理知的な聡子の存在が、この物語を気高くそしてもどかしく切なくさせている。