ここは今から倫理です。
ちょっと気になる題名です。
一体何が始まるんでしょ、それに「倫理」って何よ?
(雨瀬シオリ「ここは今から倫理です」既刊3巻)
「ここは今から倫理です。」は高校で「倫理」を教える高柳先生が今時の高校生たちの抱える悩みに独自のスタンスで向かい合う教師物語です。
高栁先生の「倫理」の授業を選択した生徒たちはろくでもねー奴ばかり。
先生に大股開きでパンツを見せて誘惑しようとする女子高生とか、周りが馬鹿に見えてしかたない女子高生とか、地味でブスなのにSNSに盛った自撮り写真をアップしては「いいね!」の数が過剰に気になってスマホが手放せない女子高生とか、昼夜が逆転しちゃって学校では寝てばかりの男子高校生とか、兄の色っぽい彼女にデレデレするうち違法薬物の売買に巻き込まれてしまう男子高校生とか・・・
高校生ってこんなにアホだっけかとおばさんは思わず笑ってしまいました。
自分も高校生の時はこんなしょーもないアホのガキだったのかな。
昔過ぎて思い出せない・・・
特に性に関しては男子はヤリタイ盛りなのはわかるとして、女子の場合「先生なんてしょせんは男じゃん。ピチピチのあたしとやりたいんでしょ」て明らかに馬鹿にしくさっててたちが悪いんである。
「倫理」とは何なのか?
こんな奴らを指導しなきゃならない学校の先生というのも大変だと思いますが、高柳先生は「倫理」で生徒を断罪するわけではありません。
そもそも高校で習う「倫理」とはどんな教科なんでしょうか。
倫理は主に自分がひとりぼっちの時に使う。
信じられるものがなくなった時、死が目前に迫った時、人は宗教による救いを求める。
───「宗教とは何か」
人間関係がうまくいかない。他人を羨んで妬んでうまく生きる事ができない。
───「よりよい生き方を考える」
悩みが絶えず苦しい。憂鬱。私は何の為に生きている?昔の哲学者たちは生涯をかけて悩み続けた。
───「幸せとは何か」
男はこうあるべきとか女はこうしなきゃダメとか、そんな事誰が決めた?
───「ジェンダーについて」
死にたい。
───「命とは何か?」
どうですか?別に知らなくてもいいけれど知っておいた方がいい気はしませんか?
そうだね、知りたいかも。
つまり、人はどのように生きてゆくべきか?
といった事を考えるのが「倫理」の授業なのですね。
哲学的で難しいものかと思ったら案外身近で普遍的なものなんですね。
生徒に向き合い共に悩み考える高柳先生
ここに登場する高校生たちは馬鹿で無知で浅はかで、世の中の事なんて何もわかってないのに自分は一人前だと思っています。
たとえば教室の教卓の上で大股開きで先生を誘った女子高生は、普段から学校内で男子と平気でセックスしたり要するに誰とでもやる女なんです。
こんな子が自信満々でパンツとか見せてきても高柳先生は表情も変えずに「花魁って知ってますか?花魁になる為には何が必要でしょうか?」と何を言い出すかと思えばそんな事を言います。
花魁は吉原遊郭で位の高い遊女ですから古典や書道、茶道、和歌、お琴や囲碁などあらゆる教養や芸事を仕込まれていました。
顔や色気で勝負するのではなく教養とどんなに金を積まれてもただでは抱かれない心意気を持っていたのだと彼女に話してきかせるのです。
「あなたには教養がない。残念ながら私は教養がある女性がタイプです」と高柳先生にまったく相手にされず、でもそれ以来彼女の中で何かが変わっていくわけです。
そして自分は安女郎じゃないと考え始めてセックスの誘いを断った事から「ただのエロ女のくせに」と怒った男子たちからレイプされそうになり、自分はなんて馬鹿だったんだろうって初めて気付くんです。
高柳先生は体を張って彼女を助けてこう言います。
倫理は人の心に触れ自分の心に触れてもらう授業です。
貴方の頭をなでて慰める事はセクハラになってしまいますが、貴方の言葉を聞き貴方の心に触れ慰める事はできる。
生徒を説教や理詰めでやり込めるのではなく「倫理」と言うツールを使って生徒自身に考えさせるのが高栁先生の不思議な魅力です。
そしてそのスタンスは生徒の心に寄り添い一緒に悩み考えようとする所にあります。
だけど人の心って難しい。
特に高校生位の年頃って大人と子供の中間で未熟だから、それぞれの思いがありそれをうまく他人に伝える術を持たず悩みを抱え込んでいたりします。
高柳先生は決して聖人君子ではないし、何が正しいのかその答えを自分自身も探しているように見えます。
それ故に何事にも謙虚な姿勢で真摯に向かい合うのです。
イケメン風の顔面とクールで胆力の強い感じだけど、なぜかいつも暗く悲し気な目をしていてそれがとても気になっちゃう。
「倫理」について考えすぎて人生に絶望してんじゃない?大丈夫?
またある時は小学生からずっと「いじめられっこ」だったという男子生徒が、いつか「いじめられっこ」に寄り添える先生になりたいという夢を持っていて、高柳先生こそ自分の理想の先生 ではないかと思い込みます。
ところが高柳先生は喫煙していて同僚の嫌煙家の女の先生に「ここで煙草を吸うな」とめちゃめちゃ怒られてるのを見てしまうのです。
しかし男子生徒の夢の話を聞いた先生は「じゃあ私の事も小林先生(その嫌煙家の先生)から救って頂けますか?」と思いがけない事を言い出します。
副流煙やガンの話をされると愛煙家は反論できません。
私も煙草を吸いますのでホントに恐縮するより他ないんですよね。
ホント怖いのよ。
煙が流れてくるって怒られてさ。
教えてください。私は不当に部屋を追い出された「いじめられっこ」ですか?
強制的に毒を吸わせた「いじめっこ」ですか?
もし後者だったなら、私はあなたに救ってはもらえないのですか?
いじめられる側に感情移入するあまりにいじめる側を悪と決めつける生徒を先生は危惧したのです。
単刀直入に言わない所が高柳流です。
どっちが善でどっちが悪かなんて事は曖昧なもので、悪だと思っていても見方を変えると善だったりする事なんてよくある事です。
じゃあ、いじめる方にもいじめられる方にも原因があるって言うならどうすりゃいいのよ。
善なるものは吾これを善とし不善なるものも吾またこれを善とす徳は善なればなり
by老子
(善人も悪人もみな善人。だって人間の徳性は元来みな等しく善だから)
そうしないと、あなたはいつか「いじめっこ」をいじめてしまうかもしれませんよ
「倫理」って面白いですね。
こういう事言うんですね。
でもこれでは「いじめられっこ」という被害者の生徒からすると納得いかないかもしれません。
教師は生徒に公平に接しようとするあまり結果的に加害者の肩を持ってる事にはなりませんか?
でもこの漫画はこれでいいみたいです。
毎回気持ちよく答えが見つかるわけじゃないんです。
なんか屁理屈じゃんって思ったりもしました。
納得できないままモヤモヤして次の話に展開してしまったりもします。
肝心な所に言及しないとかあまり踏み込まないというのも「倫理」なのかもしれません。
しかしながらここにはとても説得力のある人生の真実があるような気がします。
先が読めない不確実な時代に生きる彼らは、自分の心のありようとかどう生きるべきかという事がなかなか見つけられないでいます。
そして読み手もまた同じく自分の生き方を探しているからこそ、この作品が読まれているのだと思います。