(「残酷な神が支配する」②巻 萩尾望都)
さて舞台はイギリス。
ローランド家の邸宅リン・フォレストハウスがあるのはロンドン近郊の美しい田舎町で、使用人もいる大きな屋敷にジェルミは驚きます。
サンドラの為に屋敷のカーテンは全部彼女の好きなサーモンピンクに変えてあり、ガウンやバスローブから小物に至るまでイニシャル入りの品が用意してあってサンドラは愛される幸せに打ち震えるのでした。
グレッグの家族は二人の息子がいて、長男のイアンは金髪で長身のハンサムですが次男のマットは誰にも似ていずそれほど器量もよくないし変わった子でした。
夕食の席に着くなり「前の紺のカーテンはどこにやったの?」と言い出して「あれはナターシャのカーテンだったのに」「なぜパパはナターシャと結婚しなかったの?どうして別の女がこの家に来たの?」と幸せ一杯なサンドラを凍りつかせます。
マットはグレッグに夕食抜きで部屋へ戻れと命じられオドオドした様子でメイドに連れ出されました。
グレッグは「マットは昔から問題児なんだ」とサンドラに謝り、ナターシャは亡くなった妻リリアの姉でマットが小さい頃はこの家に住んでたのだと説明します。
「ナターシャには感謝してるが、私より三つも年上で大女なんだ。妻の姉と結婚なんて私には無理だよ」
そんなグレッグの言葉を聞いているのかいないのか、イアンは黙々と食事を続けています。
ふとジェルミは気付きました。
この家には一枚も家族の写真が飾ってない。
なぜなんだろう・・・
ジェルミに与えられた部屋は次の間付きの広いもので重厚な天蓋付きのベッドがありました。
グレッグのサンドラに対する誠実で紳士的な態度を見たジェルミは気を緩めますが、それこそがグレッグがめぐらした奸計だったのです。
悪い大人が子供を欺くなど他愛もない事でした。
その夜、ジェルミは鍵をかけていたのに合鍵を使い部屋へ侵入して来て「君が来るのを待ってた。愛してるよ」とまた肉体関係を迫ってくるのでした。
ジェルミも必死で抵抗し「サンドラに言うぞ!」と応戦しますが「そんな事を言ったらサンドラは苦しむ。彼女が苦しむのを見たいのか?」と言われ無理矢理セックスされてしまうのです。
すべてが済んでグレッグが部屋を出て行った後ジェルミは泣きながらあいつを殺してやると叫びます。
それでも翌朝になると、家族の為に豪華な朝食が用意された席でグレッグは何事もなかったかのように優しく温和な夫を演じています。
朝の光の中でサンドラは笑い、穏やかで、幸せな家族の光景。
けれどそれはジェルミの目には、まやかしで成立しているとしか思えない不誠実な世界に映ったのです。
ジェルミは突然「ボストンに帰ろう」と思い付きますが、パスポートもお金もなくなっていて、サンドラがグレッグに預けていた事が判明します。
ジェルミはもう人前でも構わず「返せよ!僕の物だ!勝手な事するなよ、ちくしょう」と泣きながら訴えたのです。
サンドラはオロオロするばかりです。
そこへ現れたのがナターシャでした。
ナターシャになついているマットは大喜びします。
お世辞にも美しいとは言えませんが、ナターシャはマットだけでなくイアンや使用人からも大変信頼されている人物です。
サンドラとは何もかもが対照的な女性です。
サンドラはジェルミに「まさかボストンに帰りたいなんて思ってるんじゃないでしょ」
と聞いてきます。
「私を一人で置いてくの?」
「いいじゃないか。こんなにグレッグに大切にされてるんだから」
「だめよ。リリアの話とかナターシャとか聞かされて・・不安で・・それなら私おまえと帰るわ」
「口先だけだろ?グレッグと別れて帰れるんだね、サンドラ?」
そうジェルミに言われると急に悲しそうな顔になり「いじめないでジェルミ」と顔を覆ってしまいます。
ジェルミはサンドラの悲しそうな顔を見るとそれ以上何も言えなくなってしまいます。
それでも夜になればグレッグがやって来るのです。
ジェルミはようやく気付いたのです。
自分がグレッグにまんまと搦め捕られてしまった事に。
翌日、女の家から朝帰りしたイアンは屋敷へ抜ける森の小道を通り川のほとりでジェルミが草の上に横たわり泣いているのを見かけます。
ホームシックだと言うジェルミの言葉を真に受け「おまえは気に入らないんだろうが俺の親父もそれなりに立派なんだ」と言い、もっと大人になるようにと非難するのです。
ジェルミは「何も知らないくせに」と言うと立ち去ります。
しかしジェルミにはイアンのおかげで舞い上がるような出来事が起こります。
イアンと同じ学校に行ける事になったのです。
全寮制のパブリックスクールなので家から離れられると秘かに歓喜するジェルミですが、サンドラは嫌がり泣き出してしまいます。
まるで息子が恋人みたいじゃないかと笑うグレッグにイアンも心の中で呆れてしまうのです。
とにかく家を出て学校の寮に入れたジェルミはやっと安堵できたわけです。
寮は4人部屋で感じのいい子たちばかりでリン・フォレストから比べたら天国だと思うのでした。
制服のオーダーメイドが間に合わなくてイアンのお古を借りたジェルミでしたが、イアンのジャケットを着た転校生がいると校内では噂が立ってしまいます。
最高学年のイアンは元不良で留年してるうえに怖くて近寄りがたくてけどかっこよくて・・・学校では何かと伝説の存在だったのです。
しかし週末になっても家に帰ってこようとしないジェルミにサンドラは何度も電話を寄こし、ついにはグレッグが学校に迎えに来てしまいます。
グレッグは車に乗って二人きりになった途端に豹変し、猛スピードで車を走らせジェルミを怯えさせます。
「君がいけないんだよ。君は帰ってこないしサンドラはオロオロして、そんなサンドラを見てるとイライラして、思わず殴りたくなったよ」
グレッグの怒りは収まらず、ジェルミはホテルに連れ込まれてしまいます。
そしていよいよその本性を現すのです。
グレッグは慣れた手つきでジェルミの手足をベッドに縛り付け布切れを口に詰め込みそのうえから猿轡を噛ませた上で、ベルトを使って背中を何度も打ったのです。
グレッグは単なる同性愛者ではありませんでした。
彼が今まで巧みに隠していたのはサディストの顔だったのです。
自由を奪われ声にならない声をもらし苦痛と屈辱感でグレッグの責め行為を受けたジェルミは学校に戻ると一時的に声が出なくなってしまいます。
イアンは医務室へ呼び出され、なんで俺がと思いながらもジェルミを連れ出し二人でボートに乗るのです。
イアンは健康的で美しい青年です。
ジェルミも綺麗な子だけど、彼はとても繊細で感受性が強いのです。
だから母親の顔色を見ただけで彼女の期待を読み取り、それに答えるのが自分の役割だと知らず知らずに思い込んでしまってるんです。
イアンがボートを漕いで川を下りながらシューベルトの菩提樹を歌う所はとても抒情的でいい場面です。
「おまえオヤジがやなんだろ」
「長い目で見てやれよ。オヤジはおまえの事気にしてるんだぜ、あれで」
何も知らないイアンはそう言ってジェルミを慰めたのでした。
「残酷な神が支配する」は義父から性的虐待を受け心身を切り裂かれる少年が主人公の物語です。
この作品の前半はジェルミが性的虐待を受ける描写がこれでもかと続き目を覆いたくなる程です。
後半部分はイアンの独白となり、トラウマを抱えた人がどう生きていくのかが描かれます。
残酷な神が支配するとは作者の造語ではなくアイルランドの詩人イェイツの一文です。
イェイツは「黄金の夜明け団」の有名人でありノーベル賞作家です。
自殺と文学との関係性を考察したアルヴァレズ著「自殺の研究」の中で引用され「残酷な神」とは自己破壊とか自殺とか死というものだと述べられています。
ジェルミが真に見たもの。
それは苦痛でも恐怖でも悲しみでもなく、絶望でした。
そして、ある晩リン・フォレストに泊まったナターシャはグレッグの行為を見てしまうのです。