作者の萩尾望都は2019年で「デビュー50周年」なんですよね。
萩尾氏は20歳でデビューして現在70歳でいらっしゃいますが「残酷な神が支配する」は氏が43歳の時の作品です。
代表作の一つ「ポーの一族」は70年代に描かれたものですが、2016年には続編を40年振りに発表して世間を驚かせ、現在も断続的に連載は続いています。
何かこう、何十年たっても才能が枯渇する事なくこんこんと泉が湧き出すようにアイデアが溢れてくるイメージがあります。
この人ほんとに天才だと思う。
(萩尾望都「残酷な神が支配する」➂巻)
さて➂巻では、ジェルミが幸せそうなリン・フォレストハウスに隠された確執に気づいていくお話です。
ナターシャは偶然ジェルミの部屋に入って行くグレッグを目撃してしまい、そこで行われていた事実を知ってしまいます。
これは衝撃的だよね。
あんな子供に何やっとんねんつって。
以前グレッグはサンドラに、ナターシャは亡くなった妻の姉であり幼かったマットを見てもらっていただけの関係だと説明しました。
しかしそんな説明が嘘である事はサンドラにもわかったはずですが、ナターシャが優雅ですごい美人だったらともかく、そうでもなかったから内心勝ち誇った気になってる事は想像に難くないですね。
けれどもサンドラこそ、全く蚊帳の外で何も知らずにいる愚かで滑稽な存在でした。
グレッグとナターシャはかつてこのリン・フォレストで暮らしていた時には男と女の関係にあり、しかも彼女もまたグレッグのサディスティックな性癖の犠牲者だったのです。
三年前、耐えきれず屋敷から逃げて行ったナターシャをグレッグは憎悪するかのように「もしおまえがサンドラに告げ口して二人が私から逃げたらおまえの大事なマットを打ってやる」と脅すのです。
自分の息子をだぜ。
でもグレッグは「マットは自分の息子ではない。セイラムの魔女の子だ」とよくわからん事を言うのです。
そういや、イアンは可愛いけどマットは全然可愛くないみたい。
そういう親の気持ちは子供にはわかるものだからマットは問題ばかり起こすんだろう。
ナターシャは グレッグの性癖を知っているからこそ諫めようとしますが、恐怖が先に立ってしまいます。
どうもこの人はガタイもいいし胆力ありそうに見えたけど意外にか弱いのだ。
グレッグはその異常性癖を巧妙に隠して生きています。
それを週末ごとにジェルミが帰宅し満足させるのを彼は必要としているのです。
そうすれば自分はサンドラにもマットにもイアンにも誰にだって優しく出来るんだと、エゴイスティックな理屈を並べたてます。
わかるだろうナターシャ
リン・フォレストのこの家の平和のためには
生贄が必要なんだよ
・・・ジェルミが
ナターシャはその恐ろしい言葉に屈し、マット可愛さのあまり見て見ぬ振りを決め込むのです。
まったく人って言うのは、しょせんは御身大事で保身に走るね。
ジェルミがされている事に初めて気づいた大人だったのに。
その頃、ボストンからビビが電話を寄越しました。
二人は、ジェルミが男とホテルに行ったと告白したせいでケンカ別れの状態だったんですが、ビビはジェルミの事を忘れないでいたのね。
あの時、せっかく打ち明けてくれたのに理解してやれなかったと電話で謝ってきたんです。
ジェルミもビビの事が好きなんだけど、自分はもうあまりにもあの頃とは違ってしまったと思うと、僕らは終わったんだって言うしかなかったのです。
日曜になれば学校に戻れる。
学校だけが安息の場だ。
いつまでこんな事が続くのか、途方もない不安がジェルミに襲い掛かる。
そんなある日ジェルミは学校でポーの「黒猫」を学びます。
「黒猫」は、男が妻を殺して壁に塗り込めてしまう話です。
男は動物好きで様々なペットを飼っていたが、中でも美しい黒猫を殊の外愛していた。
しかし次第に酒乱に陥り動物を虐待するようになり、衝動的に黒猫の片目をえぐり取り木に吊るして殺してしまう。
その後、良心の呵責を感じた男はよく似た黒猫を見つけ家に連れて帰る。
ところがその黒猫が片目である事に気づくと嫌悪するようになり、発作的に殺してしまおうとするが止めに入った妻を殺害してしまう。
男は地下室の壁に妻の死体を塗り込めてしまう。
警官が来て、男が自信満々で壁を叩くとその壁から悲鳴のような奇妙な声が聞こえて来た。
警官が壁を壊すと、立ったままの妻の死体とその頭上にらんらんとした目付きであの黒猫が座っていたのである。
ニャオーン
ジェルミはこの話を読むとなぜかブルブルと震え出し、これはグレッグの事で、グレッグが妻のリリアを殺しリン・フォレストの屋敷の壁に塗り込めたんだと唐突に思いつきます。
だからあの家にはリリアの写真が一枚もないのだ、と妄想が止まらない。
そしてジェルミは一人の女性の事を思い出します。
それはグレッグに恐ろしい目に合わされた後、ホテルの前で会った娼婦でした。
その人はジェルミにこう言ったのです。
「あいつとつきあうのよしな。殺されるよ。奥さんも殺してるんだから」
ジェルミはその人に会って話が聞きたいと思うようになります。
一方、ジェルミの事が気になるナターシャは、 マットに理由をつけてはリン・フォレストを度々訪れるようになります。
ある日、ナターシャと話していたサンドラが手を滑らせポットの湯を足にかける事故を起こしてしまいます。
火傷はたいした事なかったけど精神的に不安定になったサンドラは、おまえが学校から帰ってこないのは自分の再婚が気に入らないからだと、もうこの結婚はダメなのだと、ジェルミに泣き叫びます。
ジェルミはまた母の期待に沿って謝らねばならない。
サンドラは不安になるとジェルミを支配して、自分が変わるのではなくジェルミを変わらせて安心するのです。
ところが、ナターシャを内心よく思わないサンドラの気持ちに迎合したグレッグが、ナターシャとリリアを悪く言い出した為に今度はグレッグとナターシャが口論になってしまいます。
激高して言い争ううちにマットが自分の子ではないと言うグレッグの言葉を、二階に上がる大きな階段の上で聞いていたマットが、突如手すりを乗り越えて落下してしまう。
イアンが下で受け止めて事なきを得るがナターシャはマットを連れて出て行ってしまいます。
イアンはボクシングで鍛えてるし190㎝の長身ですけど、落下してくる人間を受け止めるのは凄いよ。
それにしてもマットの自殺行為といい、この家族はどこかおかしい。
それはもちろんグレッグが元凶なんだけど子供は大人の事情なんて何も知らない。
イアンもマットも小さい頃から心を痛めながらこの家族を愛そうとしていたんだ。
父親の事も。
かみ合わない家族に苛立つイアンは庭の木に作られたブランコの元で、ここでリリアが死んだのだとジェルミに話します。
リリアは自殺だったのです。
けれど子供だったイアンに真実は隠され、写真もどこかへしまわれました。
人が死ぬと家の中はヒソヒソ声で話し、死んだ人の事は言ってはいけないのだと子供心に思っていました。
寂しい子供だった話をイアンはジェルミにしました。
そしてこんな提案をして来たのです。
オヤジは人生の不幸に耐えて来た人だから今度こそサンドラと幸せになって欲しい。
だから二人でいい息子にならないか。
家族っていいもんだぜ。
みんなで幸せになるんだ。って。
いい提案だとイアンは思ってるけど、家族の平和にジェルミが協力するって事はつまり毎週末グレッグの言いなりになるって事です。
ジェルミは段々と心のバランスを失い壁の中に塗り込められた自分の死体を見てしまう。
それは週末ごとにグレッグに殺される自分の死体だ。
誰にも見つからないようにこっそりとポーの「黒猫」のように死体を隠してしまわなければと、ジェルミは思うのでした。