akのもろもろの話

大人の漫画読み

その歌声に神が宿る ボーイソプラノにまつわる話

ちょっと前だけど、ネットニュース見てたら秋篠宮家の佳子さまがオーストリアのウイーンを公式訪問してて「ウイーン少年合唱団」と交流なんてものをしてたね。

それにしても、以前は女性誌なんかが随分と雅子さまをディスってたけど最近はもっぱら矛先は秋篠宮家だよね。

まあそれはどうでもいいんだけど、ウイーン少年合唱団だよ。

その名を知らぬ者はないほど世界的に有名なウイーン少年合唱団だよ。

残念ながら私は生で聞いた事はないんだけどね。

最近じゃイギリスの「リベラ」なんてボーイソプラノグループもあるけど、ボーイソプラノの美しさって心が浄化されるって言うか、なんかもう鳥肌だよね。

「天使の歌声」とはよく言ったものだと思う。

ボーイソプラノは変声期を迎える前のソプラノの音域に恵まれた少年歌手だけが歌える。

その独特の音色は宗教音楽にぴったりだ。

でもその美しい高音で歌えるのは変声期までの短い期間だけだ。

 

令和となった今、昭和は昔となりにけりだがその昔70年代に革新的な少女漫画を描いた「24年組」の一人竹宮恵子氏は、ウイーン少年合唱団を題材にした作品をけっこう描いている。

「ウイーン幻想」は20代だった竹宮氏のウイーン訪問記とウイーン少年合唱団をモチーフにしたエッセイや漫画が収録されている。

 

(竹宮恵子「ウイーン幻想」)

彼女はウイーン少年合唱団の大ファンだった。

少年の美しさをひたすら描いた竹宮氏の感性はこういう所で磨かれたんだね。

 

その中に収められている「アウフ・ヴィーダーゼーエンーさようならー」はまさに変声をテーマにした作品だ。

変声期がいつ訪れるのかは誰にもわからない。

ある日、主人公リヒャルトの憧れの先輩エーリッヒは変声期によって退団していく。

エーリッヒは合唱団のソリストだ。

ウイーン少年合唱団の本拠地は私立の全寮制の音楽学校になってる。

でも変声期を迎えると退団しなくてはならない。

キビシイ・・・

だから彼らにとって変声期を迎える事はとても重大な事だ。

それは彼らが皆、いつもは忘れてるけど本当はとても恐れている事だ。

アウフ・ヴィーダーゼーエンとはさようならの意味。

リヒャルトは次のソリスト候補と目され重圧と戦いながら成長するのだが、彼にもやがてはその日がやって来る。

声変わりの前は声が一番よく響くのだと言う。

一抹の淋しさを抱えながら少年たちは声を合わせる。

彼らの声は期限付きの美しさなのである。

切ないのお~

 

さて、ポスト24年組の一人たらさわみち氏には、ドイツのテルツ少年合唱団をモデルにした「バイエルンの天使」という作品がある。

こちらも主要キャラクターが変声期を迎えるラストは感動的だった。

 

テルツって日本じゃ知られてないけど、合唱団の少年たちの日常がよく描かれている。

彼らはコンサートやレコーディングに忙しく飛び回り、もちろん学校も行かなくちゃだし、時には少年らしくサッカーに興じたりもする。

人気のあるソリストはオペラから口が掛かるし、売れっ子の子役みたいな感じでまあ忙しいのよ。

 

こんなにも美しきボーイソプラノを失わずにすむ方法はないのか。

なんぞと考える輩がいても不思議ではない。

たらさわ作品の中に「オクタヴィアン幻想曲」てのがある。

(たらさわみち「オクタヴィアン幻想曲」)


14歳のオクタヴィアンは修道院きっての歌い手である。

昔は変声期がくるのが今よりもずっと遅かったんだ。

ところがオクタヴィアンはその音楽の才能と神に選ばれし美声を、修道院のためにカストラートとなってずっと残してほしいと、大司教に望まれてしまうのだ。

 

カストラートとは去勢された男性歌手の事である。

変声期前の少年を去勢する事によりボーイソプラノを持続させる一方、身体は大人へと成長するから骨格や肺活量は成人男性並みになる。

彼らは幅広い声域と歌声の持続力を持ち、長いブレスと華やかなテクニックが売り物で、その実力で教会音楽からオペラへと活躍の場を広げて行った。

もちろん去勢すれば誰でもいいってわけじゃなく、元々の音楽的才能やキチンとした声楽のレッスンを受けた少年でないといいカストラートにはなれない。

だからオクタヴィアンみたいな子はうってつけなんだろうね。

しかし、いくらボーイソプラノが失われるのが惜しいからってアータ、去勢するなんて恐ろしい話だ。

家畜じゃあるまいし。

子供が自ら望むとは思えないし、人権とゆーものはないのか。

それに医療が今ほど進歩してないから手術によって命を落とす場合だって多くとても危険な賭けだ。

 

カストラートがどんな存在だったかはこの映画を見るとよくわかる。

(「カストラート」1994年公開のイタリア・ベルギー・フランス合作映画)

18世紀イタリアに実在した最も有名なカストラート「ファリネッリ」が主人公。

 

ファリネッリの音域は3オクターブ半あったと言われ、演奏中に彼の声を聴いたご婦人方はバタバタと失神してしまうんである。

まるで60年代を席巻したGSの伝説バンド「オックス」の失神ステージみたいな事になってる。

ファリネッリの歌声は俳優が口パクしたのに声を当てているのだが、現在では存在しないカストラートの声はコンピューターで合成して作られている。

これがなかなかよく出来ていて、男の声で超高音域が歌われる神がかった舞台が見ものである。

オペラに興味なくても舞台衣装の華麗さや、ファリネッリの美声に驚愕し魅了される観客の様子を見てるだけで楽しい。

また、当時のイタリアンオペラの隆盛振りを知る事もできる。


1734年にファリネッリは恩師のポルポラから乞われイタリアからロンドンに渡り、大人気のファリネッリがキターーーー!つって大歓迎を受ける。

ファリネッリはその妖しくも官能的な歌声だけでなく美貌だからもうモテモテ。

この美しいカストラートを妊娠の心配がないから浮気相手に最適とやらしい目で見る女とかもいるのだ。

去勢してるのに女と出来るのか?と疑問に思うけど、まあその・・・玉はないけど棒はあるんだよ・・

でもロンドンで彼を待ってたのはバロック音楽の大家ヘンデル率いる「王室音楽アカデミー」とポルポラ先生のいる「貴族オペラ」の対立だった。

その状況は繊細なファリネッリにはどうにも耐えがたく、兄との葛藤なんかも描かれる。

これまでは兄の作った曲しか歌わなかったが、自分の超高音や超絶技巧をひけらかすだけの駄作曲しか作れない兄よりも、ヘンデルの曲が歌いたいと思うようになるのだ。

また落馬事故のせいで偶然カストラートになってしまったと思わされていたけど、実は兄によって去勢されていた事実を知るんだな。

ファリネッリは舞台では神だったが、このクソ兄貴に利用されているとしか見えず哀れだ。

そしてこの映画もオクタヴィアンの物語も同じ場所に帰結してゆく。

オクタヴィアンは人を愛したいからという理由でカストラートになる事を拒み、ファリネッリは愛する女と子(どうやって出来たかはバラさないけど)を得て人並みの幸せというヤツを手に入れるのだ。

声は楽器などと言うけど、やっぱ人間だからね。