(押見修造「惡の華」全⑪巻)
実写映画が現在公開中だが見るかどうか思案中・・・
「惡の華」の主人公は春日高男くんという中二の男子だ。
春日くんは、成績はまあ中の下くらいでクラスではあまり目立たない存在だ。
彼は読書が好きで愛読書はボードレールの「悪の華」なんつー難解な詩集だ。
友達から馬鹿にされたりすると「オレは本を読んでるからお前らとは違う」と思っている。
ちょっと自意識過剰かもしれない。
そんな春日くんには同じクラスに佐伯さんという憧れの女子がいる。
佐伯さんは可愛くて成績優秀なクラスの人気者で、春日くんは文学少年らしく彼女の事を「オレのミューズ」とか「ファム・ファタール(運命の女)」だと秘かに崇めているのだった。
ある日、春日くんは憧れの佐伯さんの体操着を家に持ち帰ってしまうんである。
春日くんの名誉の為に言っておくと、決して盗もうと思ってたわけじゃなく、偶然拾ったら佐伯さんのシャンプーの匂いがしてクラクラしちゃったのだ。
しかもこれがまたブルマだった事に私は驚いた。
ところが、それを同じクラスの仲村さんという女子に目撃されていたのだ。
仲村さんはクラスでも孤立していて、先生に向かって「うっせーよ、クソムシが」とか平然とかます問題児なのだ。
そして仲村さんは罪悪感に苛まれる春日くんに、バラさないかわりに自分と契約しろよと迫ってくるのだった。
もうね~
ここから先は、とにかく仲村さんが春日くんに要求してくるエロス溢れる理不尽な変態行為の数々が見所の一つだ。
「その体操着の匂い嗅ぎまくって色んなとここすりつけたでしょ!ズブズブのど変態でしょ!春日くんは!!」
とか言いながら(言葉責めがスゴイの)春日くんを無理矢理裸にして佐伯さんの半袖体操着とブルマを着せたりする( ̄□ ̄;)!!
春日くんは、仲村さんは一体何がしたいのか理解もできぬまま言いなりになってるのだが、ある時佐伯さんとデートできるという僥倖が訪れる。
そのデートも洋服の下に佐伯さんの体操着を着て行くように強要されるのである(笑)
まあデートつっても、この舞台は作者の押見さん(私も)の出身地でもある群馬県だ。
なんもねえ。
山と川しかないし、子供は田舎町を自転車に乗って走り回ったりするしかなく夜ともなれば真っ暗になってしまう。
作者も書いてるけど、バイパス沿いはどんどん充実してくけど中心部はどんどん寂れてくのが地方都市の実情だ。
そんな町で春日くんや仲村さんは悶々と日々を過ごしているのだ。
春日くんはいつも行く古書店に佐伯さんを案内し、佐伯さんは自分が全然知らないシュールレアリスムだとかボードレールだとかの話を、生き生きとしてくれる春日くんの事が好きになってしまうのである。
周りから見れば格差のある二人はつきあい始めるのだが、春日くんは佐伯さんの純粋さに後ろめたさを覚えるようになる(ブルマ盗んでるんだもんね)
そして仲村さんに「このままつきあい続ける事に耐えられないから体操着を盗んだ事を佐伯さんに言ってくれ」と懇願するのだ。
二人は夜の教室に忍び込み、仲村さんから「佐伯さんの体操着を盗んだド変態は私です」と黒板に書けと命令される。
最初は躊躇するも、すったもんだしてるうちにやけっぱちになり、二人は教室中をこれでもかってくらい滅茶苦茶にしてしまうのであった。
さて、この作品に頻繁に登場する仲村さんワードに「変態」と「クソムシ」がある。
仲村さんは春日くんに自分のような変態になれと要求してくる。
確かに佐伯さんの体操着の匂いを嗅いだり、女子中学生がハアハア言いながら男子を脱がせてブルマはかせるシーンも、二人の隠れ家に幾重にも吊るしたクラス中の女子のパンツも変態ではある。
これがこの作品を面白くもしてるし、逆にわかりづらくしてる気もする。
つまり仲村さんの言う変態とはわかりやすく言えば、ウーン・・・尾崎豊の「15の夜」の盗んだバイクで走り出す行為と同じなんじゃないかな。
バイクを盗んだり家出の計画を立てたり煙草をふかしたりする事と変態は、やり場のない日常や現実への閉塞感から逸脱しようとする同じ行為なんだ。
そして、親とか先生とか他人に迎合しようとしてアイデンティティーを持たないクラスメイトとかが「クソムシ」なのである。
二人は盗んだバイクじゃなくて、チャリニケツで山の向こう側へ行こうとする。
ところがそれを阻む者が出て来る。
佐伯さんや親である。
佐伯さんは逸脱しようとする二人に呼応するように純粋な少女から一皮剥けて、春日くんを奪われまいとチャリで必死に追っかけてくるのである。
いや~最初はいい子だと思ったんだけどあれだな。
やっぱ女の子の方が大人になるのが早いよね。
もうね、二人の隠れ家を突き止めて春日くんと強引にセックスするっていうね、女の性を武器にしてくるからね。
迷走する3人に頭をかかえる親や先生が、枠にはめて黙らせようとするのもクソムシだな。
いつも遠くを見つめてるような仲村さんも、恋というよりはまるで親を慕う幼子のように仲村さんについていこうとする春日くんも、ああ思春期ってかくも胸苦しいものだったのかと思わせるのである。
この作品は中学編の前半と高校編の後半に分かれている。
中学編のクライマックスは、追い詰められた春日くんと仲村さんが夏祭りで心中を企てる場面である。
山の向こう側に行っても何もありはしないのに、二人は向こう側へ行く為に包丁を手に祭りの櫓を占拠し灯油を浴びるのだ。
大勢が見てる中で二人は自分たちの言葉を叫ぶ。
ずいぶんと芝居がかってるなと思ったら、これは1970年のフランス映画「小さな悪の華」のオマージュだ。
「小さな悪の華」は二人の少女がサタンの名の元にあらゆる悪事を行うが、警察に捕まり離れ離れになる事を恐れて、学芸会の舞台で詩を朗読した後に焼身自殺をする。
しかしながら春日くんは火をつけようとした瞬間に仲村さんから突き飛ばされ櫓から落ちてしまう。
一人で死のうとした仲村さんも父親に制止され、心中は未遂に終わるのだ。
「小さな悪の華」では観客が見ている中で二人の少女のドレスに炎が燃え上がるラストで終わるが、この作品はここで終わらない。
高校編へと移り、春日くんの青春の彷徨が始まるのである。
高校編ではあれほど激しかった中学時代は影を潜め、抜け殻みたいな毎日を過ごす春日くんが少しずつ変わってゆく話だ。
この作品の味わいは高校編にこそあり、中学編は人によって好き嫌いが分かれるかも知れないが高校編は誰もが共感できると思う。
新たな出会いや、親やクラスメイトと打ち解けるようになったり、何気ない日常の中で春日くんは絶望のトンネルから抜けて成長していくのである。
人はこうやって大人になっていくのだ。
思春期は誰でも通って来た道だ。
子供でも大人でもないこの不安定な時期の事を、人って大人になってしまうと存外忘れてしまうものかもしれないよね。
そういう意味では作者の押見さんが、これだけ鮮烈に思春期の懊悩を描けるのがとても凄い事に思えるのだ。