2018年制作ベルギー/105分
15歳のララ(ビクトール・ポルスター)は男性の身体に生まれたトランスジェンダーだ。
彼女はバレリーナを目指していて、父親と年の離れた小さい弟と共に難関のバレエ学校へ入る為に引っ越してくる所から話が始まる。
まずね、このララはとても綺麗な少女なんだね。
体は少年なんだけども、あの体の線がバッチリ出ちゃうバレエのレオタード姿になっても完全な女の子なのよ。
私はつい股間に目が行ってしまったけど(/ω\)イヤン、膨らみはないのである。
声が少し低いかなと思うくらいでもう美少女にしか見えないのよ。
そんで驚いたのは、彼女はすでに二次性徴を抑制する治療をしているし、ホルモン療法をしていて18歳になったら性別適合手術をする予定になってるのだ。
ベルギーってLGBTに優しい国だと聞くけど、医療関係者は彼女を理解し治療だけでなく健康チェックやメンタル面のサポートもしてくれる。
その充実ぶり、先進性には少なからず驚嘆。
また父親も良き理解者であり、病院に一緒に付き添い、いずれ性別適合手術を受ける事も了解している。
ララのいる環境はとても恵まれてるのだ。
新しいバレエ学校でも彼女がトランスジェンダーだという事は周知され、先生も生徒もごく普通に彼女に接していて好奇の目で見られるという事もない。
バレエのレッスンは男女混合だが、ララはすぐ女の子たちに受け入れられて話しかけられたりもしている。
頑張り屋のララは学校の決めた試用期間が過ぎると、能力や適性を認められて正式な入学が許可される。
でも人よりも遅くバレエを始めたララにとってはやるべき事が山ほどあり、彼女は遅れを取り戻す為にまさに血のにじむような稽古をするのである。
けどね、痛むのはトゥシューズをはいた足だけじゃないの。
ララは自分のペニスを隠す為に股間をがっちりテーピングしていたのである。
レッスンが終わるとトイレの個室に入って裸になり、テープを水で濡らしながらそっと剥がす。
イヤイヤ、湿布だってすぐ剥がれない時があるのに、デリケートな部分なんだから簡単に剥がせないよっ!
ララが痛みに顔をゆがめてテープを剥がした所はもう真っ赤になってて・・・その日、口の中に口内炎が3個も出来て痛みを気にしながら鑑賞してたんだけど、もっと痛いものをスクリーンに見たのである。
ほんとにね~、息苦しくなるほどに胸が痛い映画だった。
以前、性同一性障害の人のブログに「LGBTと一括りにされてるけどLGBとTは一緒にしないでほしい」と書かれているのを読んだ事があった。
LGBは性的指向だけどTは自分がどういう性であるかという性自認だから、そもそも指している内容が違うのである。
今って多様な性が溢れてる時代だから人をカテゴライズする事は難しい。
それにしても私はトランスジェンダーと呼ばれる人たちについて何も知らなかった事が、この映画を見てよーくわかった。
何度も何度もララが自分の裸を鏡で見るシーンが登場する。
ララの裸は中性的な魅力を持つ少年の体で私はとても美しいと思ったけど、ララにとってはこの持って生まれた体は違和感て言うか、もう苦痛なんだよね。
(チ〇コなんて嫌でたまらないのだ)
そんなに嫌がるなよと正直思ったが、自分の体を愛せない人は自分だって愛せないのだ。
父親は「おまえは女の子だよ」と優しく言ってララを慰める。
彼はララに寄り添い理解しようと努める。
けれどマイノリティーである事を自覚したララのしんどさは本人しかわからないし、苦悩を抱えた彼女の心は軽くはならないのである。
その拠り所のなさや社会での違和感はきっと言葉では言い表せない。
マジョリティーから見れば周りが彼女を受け入れてるようでも、ララはそうは感じてなかったのだ。
ララが学校でいつも周りを気にして曖昧な愛想笑いを浮かべる様子に、哀れさが胸を突くのである。
この映画はまるでドキュメンタリーみたいにララの毎日が綴られる。
ララは無口であまり話さないけど、彼女の表情や行動でとてもストレスを感じてるんだなとわかる。
この家庭には母親がいないんで、ララは家事を手伝い小さい弟の面倒を見て保育園にも送っていく。
タクシー運転手をする父親と協力し合って家庭は穏やかである。
父親はしょっちゅうララに話しかけてはウザがられるが「話してくれれば何かできるのに」って思ってるのだ。
そして親としてララの体を心配してるから「急いでもいい事はないよ。もっと青春を楽しめ」などと言う。
ただでさえ思春期って難しい時期なのに、この父親はよくやってると思うのだ。
たとえ表面上だけのいたわり合いだとしても、人とつながるってそういう事だとララにはまだわからないのかもしれないね。
早く女の子の体になりたいのに、 なかなか効いてこないホルモン治療にララは不満を覚えるが、体の為には量は増やせないのである。
プロセス通りに進まず落ち着かない心をぶつけるように、ララは狂おしいほどの激しさでバレエに打ち込みトゥシューズを脱いだ足先は血だらけで痛ましい。
え~バレエの訓練ってこんなに痛いもんなん?こんなに血だらけになるの?
いくら夢の為とは言え、厳しい世界だねー。
まあその努力のせいか役を貰えるのだが、ララを見る女の子たちの視線は嫉妬へと変わり険しい表情になるのである。
こういう世界は競争が激しいから意地悪されるんだなきっと、と嫌な予感。
案の定、いつもシャワーも浴びず帰るララに「どうしてなの?みんな不思議がってるよ!シャワー浴びなよ!タオル貸してあげるよ!」と嫌がらせで執拗に言ってくる女。やな奴だなあ。
また、ララは女の子同士で家に集まった時こう言われたりする。
「あなたは一体女なの?男なの?」
そして「いつも私たちの裸を更衣室で見てるんだからあなたのも見せてよ」とスカートをまくって性器を見せろと言われるのである。
ひどい話だ。
マジョリティーで形成される集団の中ではララは無防備で何一つ太刀打ちできないのだ。
それは、なんつーか私が冒頭でレオタード姿のララを見てすぐに股間に目が行ったように、底意地の悪い、醜い好奇心である。
悪気はないと言いながら、トランスジェンダーをわけのわからない者だとしララの心をズタボロに傷つけるのだ。
ララは成長期だから体のバランスとかに微妙にズレが生じたりするんだろうな。
次第に自分の体が上手く踊れなくなる焦りを感じる。
股間は例のアレのせいで炎症が悪化し食欲もなく体調も悪いから、治療を見直すと告げられる。
医師は体だけがすべてではないと言うけど、バレエダンサーにとってその言葉は残酷だ。
事実、彼女はずっと自分の体に拘っていたんだもの。
心身共に追い詰められた彼女は恐るべき行動に出るのだが、ちょっと痛すぎて書けない・・・
それにしても主演のビクトール・ポルスターくんが素晴らしいよ。
私はトランスジェンダーの人が実際に演じてるんだと思ったもの。
性別を超越した美しさで、今にも壊れてしまいそうなララを繊細に演じていた。
2015年公開の「リリーのすべて」は世界で初めて性的適合手術を受けた人物を描いた映画だが、まだ性同一性障害などと言う医療用語もなかった時代で、彼女は病院に行っても精神病扱いだった。
この映画はリリーと元妻の関係が感動的なのと主演のエディ・レッドメインさまの抑圧された男性の姿から女性としての性に目覚め解放されていく演技が圧巻なのである。
しかしオスカーにノミネートされるほど演技派のレッドメインも、女性になった姿はただの女装趣味の男にしか見えなくてちょっと残念だった。
その点ビクトールくんは完璧な男の娘だ。