ある剣術道場の一人娘・浅野凛は突然現れた剣術集団「逸刀流」によって、父を惨殺され母は凌辱された後連れ去られてしまう。
その二年後、16歳になった凛は父の墓前で復讐を誓うが、いかんせん剣術の腕は上がらず必殺技(笑)の「殺陣・黄金蟲」(凛が復讐の為編み出した技。隠し持った仕込み匕首「黄金蟲」をいっせいに投げる)も、命中率は10本投げて3本当たる程度で心もとないのであった。
そこへ現れた謎の老婆・八百比丘尼から「娘よ!用心棒を雇え、それも・・・最強のな」と言われた凛は「百人斬り」と異名を持つ浪人・万次に用心棒を依頼する。
万次は八百比丘尼によって「血仙蟲」を身体に埋め込まれ不死の肉体を持っているのである。
凛の用心棒となった万次は「逸刀流」の剣士たちを次々と倒していくが、そこに「逸刀流」を狙う謎の集団「無骸流」が登場し、物語は「万次と凛」「逸刀流」「無骸流」の三つ巴となって展開していく。
沙村広明の「無限の住人」はざっとまあこんなあらすじだ。
この作品は1993年から2012年まで「月刊アフタヌーン」で連載された時代劇漫画だ。
2017年に木村拓哉主演で実写映画化されたし、今回AmazonPrimuVideoで再アニメ化されている。
まずねー、読むとすぐに違和感を感じるのは既存の時代劇と違い明らかにへん。
登場人物の格好が奇抜すぎる。
江戸時代なのに金髪あり、パンクヘアあり、サングラスあり・・・
女性の着物がチャイナドレスみたいなスリットが入ってたり、ハイヒール下駄とかね。
言葉使いもおかしいし、持ってる武器が普通の日本刀じゃないよ。
吉川英治の宮本武蔵にも、鎖鎌の宍戸梅軒とか宝蔵院槍術の胤舜とか日本刀以外の武器で戦う人物はいる。
でもそれにはちゃんとした流派があるのだ。
ここに登場するのは、古来からある武器や外国から密輸したものをそれぞれがカスタマイズしてるんだろうね。
特殊な形状の個性的な武器を持ったすごい使い手が次々と登場し派手に戦うのである。
万次は敵に打ち勝つと武器をコレクションしていく。
そして着物の中にどこにそんなに??と思うほどの数の様々な武器を隠し持っているのである。
「ネオ時代劇」なんて呼ばれたこの作品については作者から「下記に該当する方で、もし購入してしまった方は怒らないで下さい」と注意書きがついている。
◯江戸マニアの方で、日頃江戸時代を曲解したような時代劇を苦々しく思っている方。
◯現在武士を営んでる方で、日頃武士を曲解したような時代劇を苦々しく思っている方。
◯現在、不老不死を(以下略)
特定の流儀や格式は持たない武道集団である「逸刀流」は、太平の世の武士の堕落ぶりを嘆き「剣の再生と武の隆盛」を掲げる思想集団でもある。
最初は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、こういうアナーキーな集団が許されるはずはなく、幕府から弾圧されるようになってしまう。
凛の仇敵である「逸刀流」の統主・天津影久(あのつかげひさ)は若く強いカリスマである(そしてイケメン)
「勝つことこそ剣の道である」と断ずる彼は国中のあらゆる流派を統一する悲願を持っている。
政治思想も持つ彼は「逸刀流」の頭脳だが、悲しいかな集いし者たちは烏合の衆。
当初は千人越えと言われた「逸刀流」も凋落の一途をたどり最後は10人ほどになってしまうのである。
その姿は都落ちする義経みたいな悲壮感があって、その統主がこういう美しい男なのは絵になるよね(ちょっとすかしてるけど)
剣の腕も天才的で、重量級の斧・頭椎(かぶつち)を操る(イケメンに斧って)
一方、日本中を暴れ回る「逸刀流」を壊滅させようと「無骸流」を操る幕府の吐鉤群(はばきかぎむら) は純粋な剣術使いで作中唯一のマジキャラだ。
「逸刀流」を幕府の剣術指南にするとの話を持ち掛けた裏で「無骸流」を使い、「逸刀流」剣士の暗殺を行っていたのである。
また万次の不死の肉体を他人にも伝染させる為に、万次を捕え人体実験してその謎を解き明かそうともした。
「無骸流」は流派でもなんでもなくプロの殺し屋で元は死罪になった罪人の集まりだ。
「逸刀流」を一人狩ると一両二分もらえる。
天津影久を狩ったら三十両で売れる。
五十両貯めて払えば無罪放免となるのである。
太平の世に飽きて士道再生だと天下を騒がす者どもが悪なのか。
太平を守るのになりふり構わない役人どもが悪なのか。
どちらでもいい。
この女に手を上げるヤツがとにかく悪だ!
そう決めつけて万次は斬りまくる。
けど、不死だというだけで万次はなんか・・それほど最強ではないんだな。
普通、不老不死のキャラは有無を言わさぬ強さだったりするが、なんか死なないという自分の特性を利用した捨て身戦法である。
毎回満身創痍で腕や足を斬り落とされ普通なら死んじゃうギリで勝利してる。
(斬り落とされた部位はくっつけとけば元に戻るから深く考えない)
でも死なないからと言って痛くないわけじゃなく、普通に痛いのだ。
思えば万次のように武士なのに死なないとか、天津影久が武士の切腹を否定的に捉えていたり、この作品は武士道をも否定しているのである。
ただもう盛大に腕や足が大根みたいに斬られて宙に飛ぶね。
残酷だけど絵が上手いから圧巻。
この作品は19年連載されてたので、デジタルもない時代の作者の画力が巻を重ねるごとに上がっていくのがよくわかる。
特に女性が美しいよね。
作者が描く女性はほっそりとして儚げで美しいのである。
だが作者の独特の美意識は、いじめられ残酷な扱いを受ける女の苦痛や悲しみにある。
私は同性として断固こういうのは嫌だけど、自分のアブノーマルな趣味を作品に昇華させてる作者はスゴイと思うのだ。
そして残酷だけどギリギリの所でグロテスクにならずに、かえって物悲しい美しさが見えるというね、変態だけど素晴らしいよ。
粗野で無頼漢だけどどこか優しさを持った万次と世間知らずで向こう見ずな凛は何年も一緒に行動する。
自分の仇討しか考えない無知な子供だった凛が、人の痛みのわかる大人へと成長していく。
そして復讐は人の命を奪うという至極当然の事実に困惑するが、復讐をやめようとはしない。
復讐こそが万次と自分をつないでいるからだ。
凛の万次への思いが切ないんである。
ド派手な戦闘シーンもさることながら、次々と現れる強敵が個性的すぎる。
特に極めつけは「無骸流」の尸良(しら)。
この人が持ってる武器は「ホトソギ」、字を当てると「女陰削ぎ」という。やべえ
刃がのこぎりみたいで相手に苦痛を与える為だけにある、尸良のゆがんだ性格を表すような外道刀だ。
もうね~相手の手足を切断して無抵抗にしてからのなぶり殺しとか、女を犯しながら刺殺する事で性的快楽を得るとか、書き出したら止まらない変態だよ。
万次が不死だと知った時も「オレ様なんでもやりたい放題ってことォ!?」ってスゲー喜んでた。
自分の身体がええっ!となるほどヤバい事になっても、とことん落ちぶれても、最後まで禍々しい外道を貫き作品を彩るのである。
とにかく登場人物が多くて、しかも魅力的なので読んでるうちに敵も好きになっちゃう。
そしてどんどん死んで行くのである。
戦う理由は様々だが、それぞれの過去やしがらみや生き様が重なりじわじわくる。
彼らが血みどろになってまで戦いその果てに得るのは己にふさわしい「死」なのである。
物語の終盤になると、各々のセリフが「バガボンド」並みの重さで圧倒してくるよ。
だが万次は死ねない。
万次は無限の住人なのである。
万次は死ねないのか、死なないのか。
そして、万次が不死である意味とは何だったのか。
人の世に生まれ死んで行く者たちの中にあって万次は常に傍観者だ。
だから万次にとっては戦う事なんて、人生の暇つぶしでしか無いのかもしれないな。
「そんな余裕はねぇよ」って万次なら笑うかもしれないけどね。