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大人の漫画読み

漫画/「インハンド」朱戸アオ

山下智久くん主演でテレビドラマ化もされた漫画「インハンド」は天才寄生虫学者・紐倉哲とその助手・高家春馬が医療を巡る難事件に挑むミステリーだ。

 

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(朱戸アオ「インハンド」既刊2巻)

東京都内で天然痘を疑う患者が次々と発生し、感染者は12名、死者は2名となる。

天然痘っていうのは、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つで、人から人へ感染し感染力は強い。

だが天然痘は人類史上初めて撲滅に成功した感染症であり、1979年には世界保健機関(WHO)が根絶を宣言しているのだ。

内閣情報調査室健康危機管理部門(長っ!)の牧野巴から依頼され(紐倉先生はこの部門のアドバイザーなのである)紐倉と高家は感染経路を辿る事にする。

しかしそこは紐倉先生、新宿のビジネスホテルにいきなり防護服姿で現れると、保健所を騙ってホテルの宿泊者名簿をだまし見る。

病院で昏睡状態となっている女性が、このホテルの客室清掃係だったからだ。

すると患者12人中5人もここに泊まっていた事が判明する。

そして廊下の監視カメラに、彼女がワゴンで運ぶシーツに何者かがスプレーで何やら怪しいものをかける映像を見つけたのである。

紐倉は営業停止を心配する支配人に「良かったな。損害賠償請求する相手がいるかもしれないぞ」などと笑えない冗談を言う。

18世紀のフレンチ・インディアン戦争でイギリスのアムスヘルト卿はアメリカ原住民に天然痘ウイルスに汚染された毛布をプレゼントした。さて、我々が探すアムスヘルト卿はどこにいるのかな?

憎い言い草である。

やっぱりただのアウトブレイクではなく、人為的なウイルス散布によるバイオテロだったのである。

ホテルはもう営業停止どころか警察によって封鎖され、従業員は隔離である。

大変な事になっちゃった。

同時に検体の検査結果が天然痘ではなく、天然痘と同じボックスウイルス属のオルフウイルスだと聞いた紐倉は、依頼されていた「バイオセキュリティー・レビュー」の中にもオルフ・ウイルスを用いた論文があったのを思い出す。

「バイオセキュリティー・レビュー」つーのは、学術雑誌に論文を投稿すると学術査読ってのが行われ、研究者仲間や同じ分野の専門家によって評価や検証が行われる。

その論文がセキュリティー上でヤバそうな時(例えば炭疽菌やインフルエンザ・ウイルスの論文が生物兵器に転用されそうな時とか)に、追加で行われるのが「バイオセキュリティー・レビュー」。

紐倉はこんな依頼がジャンジャン来るような一流の科学者なのである。

しかし論文著者の永井は既に行方不明となっていたのである。

紐倉と高家は永井の自宅へ行き、鍵がかかってないのをいい事に勝手に上がり込むが、窓も開けっぱなしで誰かが慌てて出て行った後のようなのだ。

そして犯人らしき人物と遭遇するが逃げられてしまう。

そこへ永井からの犯行声明が出る。

が、紐倉はこの犯行声明文はアメリカのテロリスト・ユナボナーの有名な犯行声明文の模倣だと指摘し、どうやら永井に罪を着せようとする真犯人がいるようだとにらむ。

 

紐倉哲は右手が義手の科学者で専門は寄生虫である。

しかしその知識はあらゆる分野に精通する天才的な人物だ。

彼はコスタリカで虫さされに苦しむ猿が背中をこすりつけていた木の成分を分析して作った「カユミトール」が当たり大金持ちになったんだと言う。

その金で箱根のつぶれた植物園を買い取り研究所兼自宅としている(ジャングルみたいな温室に色んな動物を飼っていて素敵なの)

なぜ右手が義手になったかについてはまだ明かされていないのだが、この人はとても自己中心的で支離滅裂な変わり者だ。

興味を持ったり知りたいと思えば、ピッキングして留守宅に侵入したりパソコンを盗んだり違法行為を平然とやらかしちゃう。

倫理観にも縛られない。

その行動に周囲の人間は驚かされるが(特に高家)一般社会のルールなんてものはこの人には関係ないのであろう。

まあ天才ってそういうものかも知れないな。

あるのは学者としての純粋な探求心だ。

そもそも紐倉は犯人を見つけようとか事件を解決しようなんて思ってないよね。

ただ科学者として興味を持った事柄を解き明かしたいだけなのだ。

そして一般常識も社会性もないから事件の本質を見失わない。

その結果が事件の解決へと繋がってゆくわけだ。

浮世のルールやしがらみに縛られて生きる自分からしたら、紐倉のように自由自在に生きる人はうらやましい気がするな。

だがそれは彼が人よりもずっと遥か高みを見ているからだ。

それでも時折見せる怒りを飲み込んだような表情の中に、過去になくした右腕と共になくした何かを思わせるのである。

きっとそれが紐倉を変えそして今でも囚われているに違いないが、そういう所もまた魅力となっている。

 

さて、そんな紐倉にいつも頭を悩ませているのが助手の高家春馬だ。

元医師の高家は紐倉が気に入り助手に誘ったくらいだから優秀な人なのである。

けど真面目で常識人だから紐倉の言動には常に振り回されている。

しかも上から目線でものを言ってくるからすごーく腹が立つ。

でも二人の関係は対等で、高家は遠慮なく「おまえの助手ができるのはおまえだけだな!」などとズケズケと言うのが面白くて二人の掛け合いが妙味だ。

いつも紐倉の嘘にだまされたり、違法行為につきあわされたり、感染症を移されそうになったりさんざんなのである。

高家も医師をしていた頃に何かあったのだろうが、給料がいいから助手をやってると言いながら、紐倉のすごさを最も認めてるのも彼であり律儀につきあうのである。

最高のバディだし、もうね、どちらか一人じゃ物足りないよね。

紐倉と高家の二人がいてこそのインハンドである。

それにしても、こういう才能のある人たちが言い合ったりもめてるのを見るのは楽しいな。

 

そんな名コンビに外務省から出向している内閣情報調査室健康危機管理部門(長っ!)に所属する女性官僚・牧野巴が様々な依頼を持ってくるのである。

ただし役人嫌いの紐倉は好きな寄生虫の研究だけしていたいから協力などしたくないのだ。

しかも難しい案件ばかり。

バイオテロから始まり、遺伝子ドーピング、自殺を感染させる事ができると脅迫状が届いたり、もはや怪事件である。

この作品は紐倉と高家のやり取りを見ているだけでも飽きないが、医療や化学知識とミステリー・サスペンスがうまく融合している。

専門的な事は素人には難解なものだが、それを興味深く読ませる技量がすごい。

しかし、あれだ。

天然痘の感染者が12人くらい出たからといってバイオテロとか考えないよね、普通の人は。

しかし専門家は複数の患者が発生した時点で「何かおかしい」と人為的な原因の可能性も考慮する。

テロリストたちが実行可能な最も致死力の高い生物兵器は、エボラ・炭疽・ペスト・ボツリヌス・天然痘など様々だ。

実際オウム心理教の事件なども過去にはあったのだから、日本の危機管理ってまったくなってなかったわけだ。

私たちはバイオテロの脅威をもっと深刻にとらえるべきなんだと思う。

まして小さいテロなら病原体さえあればいかようにでも起こしうるのである。

この物語も、犯人の動機は離婚にからむ子供の親権問題で、エエー、そんな事で天然痘を使うんじゃねえよ!と思うようなものだったが、知識さえあれば結構簡単に起こせるもんなんだと知って怖かった。

こんな事実際にも起こりそうで他人事とは思えない。

謎を追う面白さもあるが、いかにも身近にありそうな所が恐ろしいのである。