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漫画好きの覚え書帖

小説/「聖の青春」大崎善生

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(村山聖/1969年~1998年/将棋棋士)


かつて「東の羽生、西の村山」と羽生善治と並び称されながら29歳で亡くなった将棋棋士・村山聖(むらやまさとし)を描いたノンフィクション小説である。

2016年の映画化では、村山聖を演じた松山ケンイチさんが20㎏増量で挑んだ渾身の演技も記憶に新しいとこである。

また、羽海野チカの「3月のライオン」に登場する二階堂くんのモデルってゆーのも有名な話だ。

作者の大崎善生は、当時将棋雑誌の編集者であり、生前の村山からマンションの合鍵や銀行通帳などを預かるほど親交が深かった人である。

 

村山聖は天才的な棋士だったが、5歳の時から腎ネフローゼという病気を患っていたため、常に病気と闘いながら将棋界のトップである「名人」を目指し、A級八段まで登りつめた。

腎ネフローゼっつーのは、腎臓の機能障害であって尿に蛋白がたくさん出てしまうために血液中の蛋白が減り、その結果全身にむくみが起こり色々な不調が起こる。

蛋白質が不足すると免疫細胞が減り抵抗力が落ちるので高熱を出しやすくなる。

最悪のケースは肺に水分が流れ込み肺水腫になり、呼吸困難に陥り死亡してしまう事もある厄介な病気だ。

 

聖の両親は子供が何度も高熱を出しても風邪だっつって風邪薬しか出さないような町医者の診断を鵜呑みにして病気に気づくのが遅れてしまった。

子供はフツーなら小学校や中学へ行くけど聖はそれどころではなかった。

だから彼が通ったのは病院に併設された院内学級や養護学校だった。

この病気は安静が大事だから、遊び盛りの子供がそういう本能を抑えてじっとベッドに横になっていなきゃならない。

また、同じ部屋に入院していた子供の死に出会う事もあった。

今朝まで隣に寝ていた子がどこかへ連れていかれ二度と戻ってこないのだった。

病院は死と隣り合わせの場所であり自分自身もいつも死のすぐ横にいるんである。

幼い時から死の恐怖に怯えながら黙って耐えるしかなかった。

この経験が村山聖の死生観を作ったんだろね。

 

病院で聖は将棋と出会った。

父親が入院生活の気晴らしになればと教えたのである。

聖は将棋にのめり込み、将棋の本を片っ端から読破して独学で覚えたのである。

とにかく小さい頃から集中力がすごかったらしい。

両親は将棋とはまったく無縁の人たちだった。

父は将棋の駒の動かし方くらいしか知らなかった。

母は入院している聖のために、自宅の住所と宛名だけ書いたハガキをたくさん置いていき、聖はそのハガキに今度来る時に持って来てほしいものなどを書いて病院から投函する。

ほとんどが将棋の本だったから、それを本屋で探し回り聖に届けた。

二人とも病気になってしまった我が子が只々不憫で、自分にできる事ならなんでもしてやりたい一心なのだろう。

もっと早く気づいていればという後悔とか、子供が苦しんでても何もしてやれない不甲斐なさとか、病気の子供を持った親の心は本当に切ない。

 

聖は13歳でプロを志し森信雄に弟子入りする。

森師匠は当時30歳で独身である。

聖は師匠のアパートで一緒に暮らすようになるのだが、これががまた将棋の師弟ではあり得ないような珍妙な生活振りなのだ。

師匠が弟子の自転車を押したり、ゴミ袋を巻いて頭を洗ってやったりする。

二人は雨の日も風の日も近所の定食屋に通い、店の主人は二人を母親に逃げられた親子だと思い込んでいたという。

でもこの病気は塩分を控えた食事制限が大事なのに外食ばっかって、病気に対する知識がなさすぎるっていうか、親もまだ13歳の子供を人任せってどうなっとるんじゃい、と私は怪訝だった。

だがこの環境があったからこそ彼はあそこまで強くなれたのかもしれん。

二人とも大の風呂嫌いで顔もろくに洗わず髪も伸び放題で、聖に至っては長い病院生活の影響なんだろな、せっかく生えてきたのにかわいそうだと爪も切りたがらないのである。

床屋へ行けと言っても嫌じゃという聖の髪をひっつかんで、師匠はワンワン泣く聖を床屋へ引っ張っていく。

聖が高熱を出せば師匠は一晩中看病した。

「森先生、42度になったら、僕死にます」と言うから、もう41度越えてたけど「今40度やなあ」と、ごまかしたりするのである。

棋士って変人が多いと聞くが、森師匠もまさにそんな人物なのだが、なんつーか、実に情愛に溢れた人なのである。

私が一番グッときたのは、雀荘にふらっとやって来た聖が麻雀を打つ森師匠の後ろにそっと座るので、師匠が替わってやろうかとか、飯は食ったのかとか、あれこれ聞くのだが「はあ」とかなんか言ううちに「僕、今日二十歳になったんです。二十歳になれると思わなかったから」と言うと出て行ってしまったというシーン。

少年時代を病院で過ごしいつも死を身近に感じながら生きてきた彼にとって二十歳になれたのはとても大きな事だったんだろう。

 

将棋の世界って、勝つか負けるかしかない本当に厳しい世界だ。

聖は常に「どうして将棋を指すのか?」と自分自身に問うている。

「将棋は殺し合いだ、負けた方は死ぬのだ」って聖は言う。

指し手というよりも命をかけているような将棋への純粋な思い入れの深さに驚かされる。

その反面、彼が本来持っている優しさがそんな非情な世界に生きるジレンマとなり苦しんだりもする。

そして体調の問題はいつもついて回る。

対局は休めないから、支度をして部屋の外へ出たらもうそれが精一杯でアパートの前でうずくまって一歩も動けなくなったりする。

這うようにして対局場に行き、想像できないくらい悪い体調の中で、健康な人間だって大変なのにあれだけの頭脳戦をやるのである。

すごい精神力、そして執念を感じる。

私のように丈夫なのにすぐ仕事を休みたくなる人間は恥ずかしくなるよ、まったく。

 

でも彼のアパートが少女漫画(意外にも少女漫画ファンだったそうだ)と推理小説と将棋の本で足の踏み場もないほどのオタク部屋だったのには親近感を持ったな。

彼はその部屋でたった一人、もしかしたら朝はこないのかもしれないと思いながら、蒲団にくるまり発熱に襲われるボロボロの体を癒したのである。

それに私たちは時間が無限にあると思いがちだが、自分の時間は有限だとわかっていた彼は時間というものをとても大切にしたのである。

 

彼は「僕の夢は早く名人になって将棋をやめてのんびり暮らす事」と「素敵な恋をして結婚したい」と言ってたそうだ。

なんだか切ないのお。

彼には青春なんてあったのだろうか。

学校へ行ったり友達と遊んだり恋をしたり、若い人なら誰でも経験するような事も出来なかったのに。

 

将棋界にはあたかも羽生善治という天才棋士が大旋風を巻き起こしていた。

圧倒的な強さを誇る羽生に迫る勢いを持つのが「西の怪童」村山聖だった。

神経質で知的なイメージな羽生さんと比べると村山さんはかなり個性的だよね。

でもこれを読むと羽生さんに対しては敵愾心というより、とても認めていてその強さに憧れてもいたのだという。 

癌で入院してから、最後に会いに行った棋士も羽生さんだった。

将棋盤を挟んで二人だけがわかりあえる世界があったのだろうか。

そして、将棋が出来なくなるからと鎮痛剤のような薬はいっさい拒み、癌の痛みに耐え抜こうとしたというのも驚きである。

 

時折、作者の村山さんに対しての思い込みが強すぎてやり切れないなあと思う箇所もある。

でも作家がそうなってしまうほどの壮絶な生き方だから仕方ないか。

あんな生き方は誰にも真似できないもの。

また作者しか知り得ないエピソードが多く書かれているのも興味深かった。

ただもうね、我々とは見ている世界がまったく違うんだよね。

東京に来てからは随分とお酒も飲んだり麻雀もやってたね。

そんなに不摂生して体は大丈夫なのかね?と心配しながら読んだ。

もっと医者の言う事を聞いてちゃんと治療すればもう少し長く生きられたのではないかとも思ってしまった。

だけど大人しくしてただ長く生きても、そんな人生は意味がないと若い時は考える。

将棋の事のみ考え命もいらないと思えるほど純粋に打ち込む姿勢それこそが青春なのかもしれないな。

どんな苦しみにも耐え、のたうち回りながら彼はいつも夢に向かって進もうとした。

どうしてあんなに強く夢を目指して生きられたのだろう。

将棋が彼にすべてを与えてくれたのだ。

村山聖の人生はあまりに悲しく思えるけど、そんな風に思われる事を彼は嫌ったんである。

いつも病気の事で同情されたりする事を一番嫌がったのだ。

それに彼の生き方を見ていると、病気や障害を持っていても遠慮せずに自分のしたい事をやればいいんだよって言ってる気もするのである。

その短い人生の最後の最後まで夢に向かって進もうとする人の力強さを、まざまざと見せつけながら。