akのもろもろの話

大人の漫画読み

漫画/「歩くひと」谷口ジロー

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(谷口ジロー「歩くひと」)



郊外の借家に妻と引っ越してきた男。

名前はわからない。

40代くらいだろうか。

職業も不詳で子供はいない模様だ。

 

引っ越しの荷物も片付かないうちに、男は「ちょっと歩いてくるよ」と散歩に出かけてしまうが、妻も「は~い」と屈託なくて気にする風でもない。

天気のよい昼下がりであった。

人影もまばらな通りを一人歩いてゆくと、塀の向こうや屋根の上から猫たちが物珍しそうに見ている。

橋を渡りながら川を覗くと魚の影が見え、川の先では巨木を発見したりする。

ちょっとブラタモリ的な。

男はバードウォッチングしてる男性と出会い、双眼鏡を覗かせてもらいシジュウカラを見つけ歓喜する。

家に帰れば、ちょっとボロい雑種犬が庭にいて妻が「さっき縁の下から出てきたのよ」と言う。

前の住人が置き去りにして引っ越してしまったのである。

妻は当たり前みたいに「どうしようもないでしょう」と言う。

男も「うーん、どうしようもないね」と言う。

二人はこの犬を飼ってやる事にするのである。

 

こーんな調子で、妻と二人で暮らす男の淡々とした日常を描いた短編集である。

この男の趣味は表題にあるように散歩。

自宅や滞在してる場所などの周辺をとりとめもなくブラブラ歩く。

気晴らしなのか、自然に触れるのが好きなのか、特に目的もなく時間にも縛られず、時には犬を連れ自由に散歩をする。

ありふれた町の風景を眺め、時々立ち止まっては空や流れる雲を見たり、木々や足下の草花に目をとめたり、偶然出会った人とコミュニケーションを楽しんだり。

谷口ジローの絵の上手さをしみじみと感じる。

自然描写とそれにより与えられる豊かな時間までが余すところなく描かれているのである。

 

こんなゆっくりした時間や心の豊かさを持った事があるだろうか、とふと思う。

ないなあ

 

しかしこのおっさんは、ちょいと変わった人なんだね。

図書館が閉館した後、夜のプールへ不法侵入して全裸で泳いでみたり(泳ぐ前にちゃんと準備体操してた。全裸で)

深夜に酔っぱらった勢いで、どこかのマンションの非常階段を叫びながら駆け登ってみたり。

なんにでも興味をもつみたいで、バスの中から見かけた富士講の富士塚に途中下車してみたり。

真夏に大きなよしずをホームセンターで買い求めそれを担いで徒歩で帰宅中、見つけた水道の水をそこまでする?ってほど四つん這いになって全身に浴びて見たり。

 

そんな珍妙なエピソードを挿みながら、なんの変哲もない散歩という行為を実に極めてるのである。

とにかく楽しそうなのだ。

散歩の達人は人生を楽しむ達人であるかもしれん。

 

ちなみに富士塚とは、江戸時代に「富士講」という富士山を信仰する事が流行ったのだが、気軽に富士山へ行けない庶民のために作られたミニチュア富士山だ。

富士山に模して造営された人工の山や塚である。

富士塚は江戸を中心に多数作られ現在でも都内には50か所位は残っているらしい。

手軽に富士登山が出来て富士山に登るのと同じご利益があると言われていたのである。

実は私も以前、品川神社にある品川富士に登った事がある。

登るっつったってね、登頂まで2分。

ちゃんと1合目、2合目ってあるんだぜ。

確かあの時はなんかパワースポットを求めて行ったんだよな。

何かが自分に足りない気がして笑

 

谷口ジローは2017年に亡くなった。

「孤独のグルメ」のような作画だけを担当したものも多数あるが、オリジナル作品は絵のうまさだけでなく自分のスタイルを持ってて、自然や動物をテーマにした物語を描いている。

この作品はヨーロッパで翻訳版が刊行されフランスを中心に高い評価を受けたのである。

フランス語圏には「バンド・デシネ」という漫画があって、谷口ジローはその強い影響を受けていると言われてる。

バンド・デシネと日本の漫画の違いは、左開きで吹き出しが横書きになっているので左から右へ読んでゆく。

私も何冊か持ってるけど、日本のコミックスと比べるとかなりデカくて絵本みたいのが多いし、値段もけっこうする。

私は漫画を読む時はたいてい寝転んで読むんだけどね、これはちょっと見ずらい。

 

そう思えば、この作品は日本を描いたバンド・デシネとも言える。

そしてこの作品の主人公はあくまで「自然」なのである。

だから吹き出しや擬音などは極力少なくして、人物の表情や背景の絵だけで表現しようとなされている。

大いに実験的な漫画なのかもしれない。

と言うのは、今の漫画があまりにもキャラありきだから。

もちろん面白い漫画には魅力的なキャラクターが登場するのだが、漫画の面白さはキャラがすべてなのかと言えばそれは違うと思うのだ。

まるでキャラクター至上主義みたいな漫画ばかりの中で、この作品は一線を画すようにそういうものを排除してしまっている。

これを面白いと思うか退屈と思うかは読み手次第なのだが、こういう作品もフツーに読める日本の漫画業界を私は愛する。

 

だから触発されて散歩にでも行ってみようかと思った。

でも私は引きこもりなのだ、ホントは。

仕事は食ってくために仕方なく行ってるのだ。

まあ、ウオーキングなんつー健康増進のためにやるのとかは嫌だけど、物思いに耽りながら散歩するのならいいかも。

京都には哲学の道とかあるなー

行ってみたいなー