懐かし映画をひとつ。
原作は藤沢周平の隠し剣シリーズの一篇「必死剣鳥刺し」。
主演は豊川悦司さん。
江戸時代の東北の小藩・海坂藩が舞台。
兼見三左エ門(豊川悦司)が藩主・右京太夫(村上淳)の愛妾である連子(関めぐみ)を刺殺するという事件が起きる。
連子は比類なき美貌と才気を持つ女性だが、政治に興味を持ちすぎ口を出し過ぎるために藩政は混乱に陥ってしまった。
まあ、一番悪いのは側室に入れあげるバカ殿なんですがね。
典型的なバカ殿と悪女で家臣が苦労して見てられん。
封建社会だからみんな迷惑しても我慢するしかないというね。
でも、ただバカ殿の言いなりになってるだけなのは「佞臣」と言って真の家臣の道ではないのよ。
御家のために正しいと思えば命をかけて殿を諫めるのがホントの武士なのよ。
だから三左エ門は自分のした事に悔いはなかった。
自分が腹を切ればよいと思ってたのである。
ところが極刑を覚悟していたのに、もたらされた処分は一年間の閉門と280石の禄を130石に減らし無役になるという寛大なものだった。
三左エ門はどこか腑に落ちなかったが受け入れる。
閉門つーのは門を閉ざし雨戸も閉めて家の中に閉じこもり謹慎させられる武士の監禁刑だ。
兼見家は妻が病死してしまって姪の里尾(池脇千鶴)が家事をみている。
里尾は一度嫁いだものの不縁になって戻されてきた娘である。
まだ若いが三左エ門の身の回りの世話を献身的にしてくれる。
一年間の閉門が解けた三左エ門に、藩政を左右している実力者の中老・津田民部(岸部一徳)から禄高を元に戻し近習頭取に命じる沙汰がもたらされる。
近習とは、殿のお側近くで仕える職である。
殿の側室を殺めた自分がなぜ?
三左エ門は仕方なく受けたが居心地はよくなかった。
右京太夫に冷たく当たられるのである。
ある日、津田の屋敷に招かれた兼見は職を退きたいと言ってみる。
しかし津田は「殿はわがままな方だから気にする事はない」と言うのである。
「いや、兼見でないと務まらんのだ。兼見は天心独名流と申す剣の達人だそうだの」
ハイ、キターーー!実は剣の達人!
「鳥刺しという秘伝があるそうではないか」
その剣を遣う者は兼見ひとりで、しかも今日まで誰も見た事がないのである。
「鳥刺しという技は別の名を必死剣と呼ぶそうだが、これはどういう意味か」
「絶体絶命の時にのみ使いますので、思うにその剣を遣う時はそれがしは半ば死んでおりましょう」
この言葉の意味は最後にわかる。
兼見は、ある人物が殿を襲うかも知れないからその必勝の剣を殿のために役立てろと言われる。
ある人物とは、藩主家とは血縁関係にあり「別家」と尊称される家老の帯屋隼人正(吉川晃司)であった。
海坂藩は藤沢周平の時代小説に登場する架空の藩である。
映画の冒頭、満開の桜の下の能舞台で側室が殺害される。
なぜ兼見は女を殺害したのか?
なぜ軽い刑で済んだのか?
なぜ閉門の後に出世したのか?
なぜなんだ?と思いながら話が進んでゆく。
誰か悪い奴が後ろで糸を引いてるような(誰かはキャストを見たらわかる)
当人の兼見こそが一番「なぜだ?」と思ってるはずなのに、謹厳実直な兼見は黙々と己に与えられた事を全うするばかりである。
そんな兼見を「叔父さま」と慕う里尾は密かに恋心を抱いてるのだが、娘盛りを自分の世話に費やす里尾が憐れで兼見は再婚させようと決意する。
豊川さんの裸がブヨブヨでちょっとガッカリしたけど、風呂に背中を流しに来た里尾に「縁談がまとまれば嫁ぐ身じゃ。他の男の背など流してはならぬ」と言うトヨエツの声はやっぱりカッコ良かったり。
兼見家の家屋の黄ばんだ古障子の破れた部分だけ切り張りした白さや、濡れ縁に残る落ち葉や、ご飯を食べる時は女は一段下がった板の間だったり、北国の小藩でささやかに暮らす二人の生活の様子が質素だけど美しかったり。
でもでも、誰もが気になるのは「必死剣鳥刺し」がどんな技なのかという事だ。
だいたい秘剣などという物は案外名ばかりだったりする。
以前隠し剣シリーズで映画化もされた「隠し剣鬼の爪」の秘剣は本当にたいした事ない武士より必殺仕事人が使うような代物で、師から鬼の爪を授けられた永瀬正敏さんもそう打ち明けたいのに「一人相伝」と言って外には決して漏らしてはいけないのである。
そのために恨みを買う事になり戦わねばならなくなるという、まったくもって罪作りなんである。
鳥刺しとは、鳥の刺身ではなくとりもちを付けた長い竿で小鳥を刺す(くっつける)事で捕らえる。
これをヒントに兼見が編み出した技だ。
クライマックスの豊川さんと吉川晃司さんの緊迫感溢れる殺陣シーンは素晴らしくて、これまでの兼見の紆余曲折もすったもんだも全てはこの果し合いを見るためだったんだと思わせる。
吉川さんはこの中では、身分も剣の腕前も男前でも勝る一番カッコ良い役だ。
だから邪魔者である帯屋と兼見を戦わせ、生き残った方は乱心者として処分してしまえばよいという、うぐー汚いやり方。
二人はしょせん捨て齣なのである。
が、武士の美学を知る者同士黙って命のやり取りをする。
怒りを押し殺す帯屋の悲しみも良いぜ。
その帯屋隼人正を兼見が倒す時のトリッキーな技がおお鳥刺しかと思いきや、兼見の「いや、これは鳥刺しではございませぬ」の「せぬ」を言い切らぬうちに大勢から囲まれ斬りつけられ、兼見は利用されていた事を悟る。
後はもう尋常な果し合いではなく嬲り殺しである。
上から命じられればさっきまでの同僚も殺しにかかる封建社会の無情で残酷なこのシーンも結構好み。
そしてあの時の言葉の通り、死んだと見えた兼見が一瞬で繰り出す鳥刺しがかなりのスゴ技で、秘剣は名ばかりと書いた事は取り消そう。
里尾の思いが通じ二人は一度だけ結ばれていた。
それはラブなロマンスというよりは、これまで色恋に無縁で真面目に生きてきた二人がその瞬間だけ命を煌めかすような刹那的な交わりでして。
年の離れた叔父さんの事が好きという、里尾の無口で頑なでチャラチャラしてない所にも好感。
彼女は男とのたった一夜の思い出だけで一生を生きていくのであろう。
生きる悲しさと強さを感じさせるラストの余韻も格別である。