今は自由な時代だから結婚するかしないかは自分が決める事だけど、かつての日本でもそうだったように女性の人生には結婚しか選択肢がない時代もあった。
この作品に登場する19世紀の中央アジアに生きる女性たちもまさにそうで、彼女たちにとって結婚は大変重要な意味を持っている。
しかし自由恋愛などない時代だから、読んでて首をかしげたくなるような事もありまして、むむー、こんなんで幸せなのかなー?と思ったりもするのだが、彼女たちの結婚に対する夢だとか心の持ちようだとかがとっても可憐でねー。
乙嫁とは「おつよめ」じゃなく「おとよめ」と読み、美しい嫁というニュアンスだそうで、そんな可憐な中央アジアの様々な嫁を描いた物語だ。
参考までに中央アジアというのは、ユーラシア大陸の中央内陸部に位置するウズベキスタン・カザフスタン・タジキスタン・トルクメニスタン・キルギスの5ヶ国である。
するとこの作品の舞台になってるのは、なにスタンなのであろうか。
まあそこは曖昧にしつつざっとあらすじを書くと、カスピ海近くの周辺都市(曖昧)に住むエイホン家の息子の婚礼の場面から始まるのだが、12歳の新郎の所に嫁いで来た新婦がなんと20歳だったのである。
こういう結婚て親同士が決めるから結婚式の時に初めて相手の顔を見たなんて話はよく聞くものの、相手の年くらいは調べといてよ~と思いつつ、女性で20歳という年齢はこの国では若くもなくて(だって男は12歳)もしかしたら適齢期を過ぎた行かず後家(死語)を押し付けて来たのかしら?
などという下劣な発言をする人はエイホン家にはいない。
おそらくエイホン家というのは裕福な家で、とっても大家族で、見たところ人間性の高い慎みのある人たちである。
新婦のアミルも、ど~せ年食ってるから・・などと卑下する様子もなくて伸び伸びと明るく振る舞いしかも美人だ。
アミルは狩りの名人で、来てそうそうウサギを食った事がないと言う新郎のカルルクのために弓矢を持って颯爽と馬で出かけウサギを何羽も獲ってくるというね。
そして見事なナイフさばきを見せ、エイホン家の人たちにウサギの汁物的な料理を振る舞いみんなを喜ばせる。
後日その時のウサギの毛皮を使った素敵なベスト的なアウターをカルルクのために仕立て、婚礼の時は「えっ、こんな年上なの?」とキョトン顔だったエイホン家の人たちもいい嫁が来たのお~と思い始めるのであった。ほのぼの。
ところが中には、あんな年の食った嫁もらってあれじゃ子供を沢山産めんだろ!などと影で悪く言う人もいたりして。
女性の初婚年齢が低いのは、厳しい土地ゆえ寿命も短く子供の死亡率も高いから早いうちから多くの子供を産む事を求められるからなのだが、カルルク少年は「僕はアミルがもっと若かったらいいなんて思ってないからね!」なんて事を真っ直ぐな瞳で真剣に言ってくれるのである。
しかしこの時代中央アジアには不凍港を求めるロシアの南下政策が進展し、半遊牧のアミルの実家の一族が暮らす北方はちょっと大変な事になってまして。
土地の実力者との縁を婚姻で結んでいたのに、もう嫁にやる娘がナッシング、じゃアミル連れ戻すかつって、嫁にやったアミルを強引に返せという無茶振りに嫁を取られてなるかと町をあげての戦いになり、少年は命がけで年上の嫁を守ったり。ふーため息。
いや~、どうにもアミルがショタを可愛がるお姉さんにしか見えなくて、なんて私って汚れてるんだろうと思いつつ、しかしとても面白かった。
まずこの中央アジアという舞台が意外なチョイスで、日本人からすると遊牧民族の暮らしというのはなかなかお目にかかれない異文化で物珍しい。
でも彼らはかならずしも遊牧生活をしているわけではなく、エイホン家のように一か所に定住する者もいて家長を中心とする父権制の社会で伝統的な文化を守りながら暮らしているのである。
ここはシルクロードの中継地でもありまして、目を見張るような装飾的な民族衣装や絨毯や刺繍の細密な描写が美麗で素晴らしいのである。
まるで若紫の成長を待つ光源氏が男女逆転したみたいなアミルとカルルクの物語が一番好みだったけど、この地を旅するスミスという英国青年が狂言回しとなり様々なヒロインたちの結婚模様が描かれていく。
中でも衝撃的だったのはペルシアの「姉妹妻」で、スミスはトルコに向かう途中でペルシアに立ち寄るのだが裕福な人妻アニスがやはり人妻のシーリーンと「姉妹妻」という多分に百合的な関係を結ぶ不思議な文化が描かれてるんである。
しかもシーリーンが夫の急死で生活に困窮すると、自分の夫に頼んで第二夫人にしてもらうっつーなんつーか鷹揚なんだか複雑な関係で理解に苦しむのお。
元々イスラム社会の一夫多妻制というのは困窮する寡婦を救済するための婚姻制度だというけど、経済的な自立が出来ないから女性は結婚するしかないんであって男性優位だしやっぱ奇妙だし不自然だと思ったりして。
前述のアミルの実家の一族が嫁にやった娘を奪い返しに来るというのも、女性を略奪してくる遊牧民族社会のなごりかとも思ったりしてなんかカルチャーショック。
それに何をするにも夫に聞いてからって窮屈だのお。
でも自由や豊かさいうものは人や文化によっても違ってくる。
ここでは異文化は対立しあうのではなく優しく溶け合っていく印象である。
しかしながら東と西を結ぶ麗しい文化を持つシルクロードの要衝だった中央アジアも、今や開発が遅れ世界から取り残された地域のように思えるのは悲しい事だ。
幸せに生きようとする乙嫁たちの笑顔が眩しい夢のようだぜ。