akのもろもろの話

大人の漫画読み

漫画/「ワンダーランド」石川優吾

 

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(石川優吾「ワンダーランド」全6巻)

ごくフツーの女子高生ゆっこがある朝目覚めると自分の体が小さくなっていた(借りぐらしのアリエッティのような小人状態)

両親はゆっこの目の前で飼い猫のミーに弄ばれるように無残に殺されてしまい、家の外では小さくなった人間たちが野良猫やカラスに襲撃されるという悪夢のような世界となっていた。

いったい何が起こったのか?

テレビは映らないわスマホは繋がらないわで情報は何もなく、わかっている事は人間だけが小さくなったという事だけだった。

もちろん警察も救急車も呼べない。

とにかく誰か人と携帯電話の電波が入る場所を求めて、唯一の味方である愛犬ポコと共に外へ出たゆっこは、なんとか繋がった友達との会話で自分の住んでいる町が自衛隊によって封鎖されている事を知るのである。

無法地帯となった町を訳もわからず逃げ惑うゆっこの前に「アリス」と名乗る謎の少女が現れる。

彼女は外国人で言葉も通じないけど不思議な能力でゆっこを助けてくれ、一緒に行動するうちに二人の間には友情が生まれるというね。

しかしアリスはいったい何者なのだろうか?

どこから来てどこへ行こうとしていたのか?

いろんな事が謎だらけのまま、ショッピングセンター警備員のおじさん源田さんとゆっことアリスの三人は行動を共にする。

 

まあ私にだって子供の頃があったわけで、小さい時に好きだったのが佐藤さとるのファンタジー小説「だれも知らない小さな国」でして、私もコロボックルと友達になりたかったな~

メアリー・ノートンの「床下の小人たち」だとか小人の話は大好きなので、ゆっことアリスがおもちゃ売り場の着せ替え人形の洋服でコスプレしたり、ミニチュア食器でご飯を食べたり、はたまたポテチの袋の中に体ごと入り込んでポテチを食べたりするシーンなどは楽しそうだったのお。

しかし普段はどってことないネズミや猫が小人になってしまえば恐ろしい猛獣となり、人間は為すすべもなく彼らに虫ケラのように殺されてしまうのである。

そしてそれが実はアリスを見つけ出すための、小動物を操れる能力を持った少年「ヨシフ」の仕業だったのである。

雨の中をカラスの大群と共に現れたヨシフは病衣姿(海外の後ろで結ぶタイプ)で、入院患者がつけるリストバンドを腕につけてるしノーパンだし裸足だし、何かとても禍々しい雰囲気を醸しながら真っ黒なネズミの群れをけしかけてくるのである。

三人はおもちゃのラジコンボートに乗って地下水路を逃げる。

小人が可愛いとかもうノンキか、そんな場合じゃないんである。

これは言うまでもなく「不思議の国のアリス」がモチーフになってるのだけど、ファンタジックでもなんでもなく自衛隊が出動するような非常事態で、しかも自衛隊には民間人を救助するより優先される使命があってそれがアリスの捕獲だったのである。

 

かつて東西冷戦時代に旧ソ連が超能力者を研究し軍事利用していた、というまことしやかな噂は都市伝説でもなんでもなかった・・・これはまあ漫画の話だけど、ソ連にサイキック兵士がいたかどうか真偽はともかくとして超能力の研究は実際に行われたんじゃないかって気がするな。

本当に超能力が存在するなら誰だって戦争に利用できるかくらいは考えそうだもの。

アリスとヨシフは幼い時からジョージア(旧グルジア・ソ連だった)の超能力研究施設にいたわけで、コレもう言っちゃうと研究どころか既に超能力を持つ子供たちが秘密裏に兵器として実用化一歩手前となってるわけだ。

この意外な展開がいいし設定がとても私好みで、ここからは神の力を与えられた子供たちによるサイキックバトルとなるんである。

人間が縮小化したのはアリスの特殊能力によるものであり、それには自衛隊が関わっていて国が隠匿しようとするまさに闇の部分をゆっこは目撃する事になる。

しかもこのアリスとヨシフ以外にも登場する「ワンダー」と呼ばれる超能力者の子供たちには秘密があって、力を使い切ると眠りに落ちてしまい、まるで命を削るかのように加齢と共に回復を図り猛烈なスピードで年を取っていくのである。

ゆっこは自分よりも年上だと思っていたアリスがまだ12歳なのだと知る。

たった一人で言葉も通じない日本で、アリスにとってゆっこは初めてできた友達だったし、そう思い自分を信じてくれるアリスとゆっこは離れたくない。

アリスこそが究極の人間兵器だとヨシフを使って身柄の確保に躍起になる自衛隊から逃げ回りながら、二人の間に生まれる女の子同士の友情がホロっとさせるんである。

 

ただちょっと残念なのは描き方がアッサリしすぎというか、読んでて最初はテンポよく感じるのが段々と単なるコマの羅列を見せられてるような気がしてきて、うまく言えないけどここは感動の場面だなと思うと次のコマではもう別の場面に切り替わってるみたいな。

恐らくはテクニカルな問題ではなく、作者は切り替えの早い感情を表に出さない性格の人なのではないだろうか(勝手に想像)

たとえば少年だったヨシフが無精ヒゲの大人の男になって再登場した時、私はああこの子たちは能力を使うたび年を取りもう死ぬだけなんだワと胸を衝かれたのだが、この作者は読者に行間を読ませすぎなのではないかと思った。

設定はいいのに、人知を超えた力を持ったばかりに大人の思惑に利用され犠牲になってしまう子供たちの悲しみがなんか掘り下げ足りない気がする。

ラストも良いのに、まるで描き急ぐかのように見えてしまうのである。

なんかヒジョーにえらそうな文章になってしまった。

 

アリスの特殊能力は小人になったり巨人になったり、物質を縮小化したり巨大化したりできるのだが「質量保存の法則」に逆らって質量そのものも変えられるというものなんだな。

しかし念動力で自動車とか戦車とかの大物をブンッ!て手あたり次第に投げつけてくるワンダーに対して、戦いたくないアリスは自転車を巨大化して応戦したり、幼い頃からおもちゃの飛行機とかなんでも飛ばしちゃう少年がオスプレイを飛ばして墜落させるとか迫力ある場面も良かったけど、しかし彼らはあっという間に年を取るしね、個々の能力はスゴイけどやっぱり子供でサイキックバトルはちぐはぐな印象であったな。

自衛隊のオッサンはアリスがいれば日本は米軍の核の傘に頼らずとも自力で国防を担う事ができるんだと狂信的に言っとったな。

北からミサイルが翔んできてもアリスなら小さくして威力も無くせるから、その方がPAC3で迎撃するよりもよほど確実で安上がりなのである。

しかしこんな子供を利用して戦争しようとか、いつの時代のどこの国にも戦争をやりたがる人間はいるがまったく愚かであきれちゃうよ。