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大人の漫画読み

漫画/「BANANA FISH」吉田秋生

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(吉田秋生「BANANA FISH」全19巻)


「BANANA FISH」の舞台は80年代のニューヨークだ。

当時アメリカは日本よりはるかに不景気で、ニューヨークは治安が悪く世界に名だたる犯罪都市という裏の顔も持っていた。

まあ当時も今もニューヨークには行った事はないけどね、たとえば落書きだらけの地下鉄だとか、少年たちが逃げ回る地下道だとか、瓦礫の山で街が埋め尽くされ犯罪とドラッグがゴミのように散らばるマンハッタンの光景が実にスリリングに描かれてるんだから驚く。

 

物語は1973年ベトナム戦争で発生した米兵の銃乱射事件から始まり「バナナフィッシュ」という謎の言葉と共に、1985年のマンハッタンへと舞台を移し主人公のアッシュ・リンクスが登場する。

彼はストリートキッズグループのボスで、銃乱射事件を起こした兵士の弟であり、その兄は今や精神に異常をきたし廃人同然になっていた。

アッシュは対立するコルシカマフィアのボスであるゴルツィネの指示で殺された男から薬が隠された小さなロケットを託される。

男は最後に「バナナフィッシュ・・・」と言い残す。

バナナフィッシュって何なんだ?

アッシュはその薬を調べようとするが、マフィアに奪い返されたうえ殺人の濡れ衣まで着せられ刑務所に収監されてしまうのである。

それがまた17歳なのに大人が入る刑務所でして、アッシュは兄とベトナムで一緒だったマックス・ロボというフリージャーナリストと出会うが、彼がバナナフィッシュの謎を二人で調べようつっても、大人を信じないアッシュは可愛くない態度でハネつけるというね。

刑務所ではそのテの男たちから酷い目に合ったり、でもアッシュはそんな事は最初から想定内で子供だと見くびっている大人の上を行くのである。

そして大人には決して心を許さないのだ。

 

実はゴルツィネはバナナフィッシュを使い南米からのヘロインルートを手に入れるために中米でクーデターを起こそうと画策してまして、政治家や軍とまで手を組んでいたのである。

その頃、ストリートキッズの取材に渡米した日本人カメラマンの伊部と大学生の奥村英二はアッシュと出会い、見事に平和ボケした日本人の英二とアッシュは友情を深めて行くのだった。

だがバナナフィッシュの謎を追うアッシュの前にはコルシカマフィアだけでなくチャイニーズマフィア、マッドサイエンティスト、傭兵、なんか次々と現れる敵と戦わねばならず、物語は国家をも動かす大きな野望の渦に巻き込まれてゆく。

 

この作品は1985年から「別冊少女コミック」という雑誌に9年間連載された少女漫画なのだが、長編あるあるで最初と最後で絵柄がまるで違い、前半はどう見ても大友克洋の模倣で美形設定のアッシュが全然美形に見えないんですけど。

しかし途中からタッチが変わり(故リバー・フェニックスがモデルと言われる)アッシュの造形が別人のように美しくなるね。

骨太なストーリーといい、女性キャラがほとんど登場しないし、背景に花も描かれてないし、当時としては異色な作品だったのではないか。

そして描写は控えめながらも、全編通してホモセクシュアルや子供相手のセックスや暴力や殺人が描かれるというクライムサスペンスな少女漫画だ。

 

バナナフィッシュとは、使用者を発狂させたり自殺に追い込む強力な麻薬なのだがゴルツィネは政治家や軍人と手を組み人の心をコントロールできる恐ろしい薬へと開発しようと企む。

アッシュはただの不良少年ではなくIQ200の頭脳と特別に訓練された戦闘能力たとえば銃を撃ったら百発百中や指揮能力を持つスゴイ超人でおまけに美形という。

二人の因縁は深く、アッシュは子供の時ゴルツィネの組織で大人の性的玩具として売春させられていた過去を持ち、少年好きな性癖のゴルツィネに目をかけられお気に入りとなった。

ゴルツィネは彼を教育し自分の組織の後継者にしようとまで入れ込み(それはこの世界では出世なんだけどね)ゴルツィネを強く憎むアッシュはその支配を恐れ自由を渇望し彼と敵対する道を選んだのである。

アッシュは平然と人を殺す事ができ、その冷酷な強さに配下の少年たちは神のように敬うが、アッシュの心の中は過去のトラウマからくる怒りや自己否定や孤独などが混沌とした暗いエネルギーとなっているのである。

 

でも英二といる時だけは初めて心の安らぎを得る事ができ、アッシュは英二を傷つける者は許さないとまで思うようになる。

これまで血なまぐさい世界で生きて来たアッシュが自分とはまったく違う平和な世界に生きる英二に憧れるのがなんだか切ないのお。

英二も不思議なほど強い意志でアッシュのいる世界へと自ら飛び込んで来る。

二人の友情はとても繊細で、これはボーイズラブではなくブロマンスだ。

 

しかし英二がアッシュの弱点となり、英二は狙われるようになる。 

アッシュは命をかけて英二を守ろうとするが、そもそも二人が一緒にいる事が一番危険なのに離れたくないこのジレンマよ。

ハードな展開の中に少女漫画特有の同性愛的匂わせをぶち込んできて、まったくよく出来てるのよ。

それに登場人物それぞれの心理描写が実に巧みなのだ。

愛憎混ざり合った思いで常にアッシュの前に立ちふさがりどんなに汚い手を使っても再びアッシュを手中に納めようとするゴルツィネの妄執も好きだわ。

また、アッシュと同じような壮絶な過去を持つチャイニーズマフィアの御曹司がアッシュ憎しと執拗に英二を狙ったり。

アッシュ大好きか!ってほど思い入れが強すぎる男たちの愛と憎しみが複雑に絡み合うのだ。

 

けれどもアッシュの孤独な魂は救われない。

彼が身を置く非情で暴力ばかりの世界のこの先に何があると言うのか。

アッシュは英二にヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の話をする。

 

キリマンジャロの頂近くに、不毛の頂上を目指し登り、力尽きて死んだ豹の亡骸があるという。豹が何を求めて頂上を目指したのか知る者はない。

 

アッシュはキリマンジャロの凍豹に自分自身の行方を直観しているんである。

死を渇望するというより、死は常に彼の身近にあって向こうからやってくるのだろう。

それは彼にとって生きる事が苦しみでしかないからだ。

頭がいい事も美しい事も神がくれた才能なのに、アッシュの場合それが自分の幸福にはちっとも結びつかない。

コルシカマフィアの後継者として莫大な富と権力を約束され、望む物はすべて手に入れられるのに。

アッシュは富や権力なんて偽物だと言うのだ。

偽物に囲まれて生きるより破滅しても人を愛そうとするアッシュに、彼は一人の傷ついた子供なのだと読み手は気づくのである。

そして英二だけがそれを理解していたんだと。