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大人の漫画読み

映画/「6才のボクが、大人になるまで。」

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(「6才のボクが、大人になるまで。」2014年アメリカ/165分/リチャード・リンクレイター監督」)

懐かし映画をひとつ。

 

まずはザックリあらすじから。

 

メイソン(エラー・コルトレーン)はママ(パトリシア・アークエット)と姉のサマンサ(ローレライ・リンクエイター)とテキサス州に住む6才の少年だ。

三人はママの故郷のヒューストンに引っ越し、離婚したパパ(イーサン・ホーク)と久し振りに再会する。

ママは子育てしながら大学で学びそこで出会った大学教授と再婚するが、向こうにもちょうど同じ年頃の連れ子が二人いて一気に6人家族となる。

子供たちは仲良くなり、これはうまくやってけそうだと思ったら大学教授まさかのアル中男だったのである。

この男が暴力まで振るい出したから、ママは子供二人を連れて逃げ出し離婚。

やがて大学の先生になったママはオースティン近郊に移り、新しい恋人も加わり4人で暮らすようになりまして、パパはパパで再婚し赤ちゃんも生まれまして、メイソンは中学・高校と反抗期や初恋や様々な経験をしながら子供時代を卒業、大学進学のために家を出るのであった。めでたしめでたし。

 

と、まあ私の書き方が雑なせいもあるけど、特に事件も起こらないしどってことない普通の物語である。

でもこの映画の稀有な所は、6才のメイソンが18才になるまでの12年間を実際に12年かけて撮影している事。

主人公のメイソン役のエラー・コルトレーンくんを筆頭に離婚した父親と母親と姉役の4人の俳優が12年間同じ役を演じて映画を完成させてるのだ。

これはまずそういう映画を作ろうって考えついたのがすごいと思うなあ。

でもカリフォルニア州には7年以上に渡る仕事の契約は結べないという法律があったので、キャストは契約書にサインができなかった。

そのためリンクレイター監督は親友でもあったイーサン・ホークに、もし撮影期間中に自分が死ぬような事があったら代りに映画を完成させてほしいと頼んでいたらしい。

 

そんなわけで最初は6才の可愛らしい男の子だったメイソンが、あっ声変わりしたなあとか、髪長くしてるんだとか、背が伸びてきたなあとか、色々思いながら段々と大きくなっていくのを見るのが結構楽しいんだよね。

普通の映画は、それから何年後~とか説明が出てメイソン役の子役が別の俳優に変わるものだけどそういう不自然さがない。

姉のサマンサも最初はぷくっとした感じの元気な女の子だったのがほっそりしてキレイになってくし、母は見事に肥えてくなあ。

時が流れてく。

ちょうどテレビ番組の「石田さんちシリーズ」でも見てるみたいに、12年間に渡る子供の成長と家族の記録が見事に描かれてるのである。

 

ママは真面目な頑張り屋で、キャリアアップを目指して大学へ通い自己実現をしていくけどどこか支離滅裂。

この母親は子供を深く愛してるけど、彼女が新しい決断をするたびに子供は環境が変わってしまうのでちょっとかわいそう。

そう感じるのは日本人だからなのかな。

でも子供を飢えさせないどころか中流程度の生活水準を与えられるのはさすが自立した女で、貧乏じゃなくてよかった。(しみじみ)

私はアメリカのお母さんて日本のお母さんとどう違うのかちょっと興味ある。

たとえばアメリカのお母さんて家事はどの程度するのかなあとか、朝食は何を作るんだろうとかその程度の事だけど、自分が思ってた以上に子供には厳しく、またその意味を子供自身に考えさせようとするので「日本の親は子供を甘えさせ過ぎなのかな??」とふと思いましたよ。

 

パパはバンドをやっててママとは合わなかったようで、初めはチャランポランなダメ夫なのかと思ったけど、妻が再婚してもサマンサとメイソンを2週間毎の週末にちゃんと迎えに来て子供たちと過ごす時間を持とうとするのには感心した。

ボウリングに行ったりキャンプに連れてったり自分のバンド仲間に会わせたり、ボーイフレンドができたサマンサにコンドームをつけろときちんと言ったり、離れてても一生懸命にいい父親になろうとするのだ。

時々会う父親の男目線のおおらかなアドバイスがまたよくて子供たちは成長してくけど、最後には彼も父親として成長してるというね。

義父になった人が酔っぱらいの暴力男だったなんて子供はトラウマになりそうだけど、二人が道を踏み外さなかったのは、父と母から自分は愛されてるんだって事がわかってたからだと思う。

 

大人は自分自身が子供だった時の気持ちを忘れがちだから、子供が何も言わないと親から見て都合がよいけど、本当は言葉にできないだけで心では色々感じている。

子供って親が思ってるよりずっと利口だし、ずっと大人だし、いい事も悪い事も親の知らないすごくたくさんの経験をしてるのだなあ。

思春期になったメイソンは口数が少なくなりあまり自分の意見を言わなくなってちょっと暗い。

趣味のカメラに没頭していい写真を撮るけど、サマンサは「どうして周りに壁を作るの?」って心配する。

きっと感受性の強いメイソンは言葉じゃ伝わらないと思ってるんだ。

でも暗室にこもって授業に出ないメイソンを「誰にでも写真は撮れるけど君にしか撮れないものはなんだ?」って注意してくれる先生や、仕事振りを叱りながらも信じてるぞって言ってくれるバイト先の店長さんとかいて、こういう人たちを見てるとアメリカ人て子供は社会が育てるものだと考えてるんだねえ。

また家族が集まるって事をヒジョーに大事にしてるんで、メイソンの高校の卒業式の日に親類一同が集まってみんなで祝福したり良かったなあ。

しかしアメリカ人は離婚に対して恐ろしくドライでこだわりがなく、元パートナーの再婚相手と顔見知りで親しくしたり、週末は再婚相手の家に自分の子供を迎えに行ったり、日本人にはとても複雑に思える関係もアメリカ人は気にかけない。

そんなアメリカ的な描かれ方がしてるので日本と比較しながら見ると面白い。

 

12年という時の流れの中で子供は大人になってく。

子供が成長するって事は親は年を取るって事で、メイソンが大学に入るため親元を離れる日にママが「結婚して離婚して失語症を心配して自転車の乗り方を教えてまた離婚して修士号を取り念願の職につきサマンサとあなたを大学へ送り出す。次は何があるの!私の葬式だけよ!」と叫び出す。

この母は自分の人生を力強く生きてきたと思ってたから、まさかこんな名言が飛び出すとは。

でもわかるよその気持ちが。

 

静かな反抗期やドラッグや失恋を経験したり、メイソンを取り巻く人々や環境や政治やその時代の様々なものが人間を作り上げてくのだ。

ああ、子供ってこんな風に大人になっていくんだなあって、私は最後とても静かで深い感動を覚えた。

時間は途切れない。

常に今が大切な瞬間なのだ。

けれど人っていつの間にか過ぎてしまった時間に後になってから気づくんだよね。

なんだか人生を感じさせる。

165分とちょいと長いんだけどね。