akのもろもろの話

大人の漫画読み

映画/「泥の河」

懐かし映画をひとつ。

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(「泥の河」1981年/小栗康平監督/105分)

原作は宮本輝さんの同名小説。

昭和31年の大阪で、川の側でうどん屋を営む家の男の子と対岸に繋がれた廓船に住む姉と弟との出会いと別れの物語だ。

最近家でチョイ古めの映画を好んで見てるんだけど、これは昭和56年のキネ旬ベストテン第一位に選ばれてる名作なんだね。

でもAmazonプライムで有料視聴しようとしたら、48時間で400円てアータ!

(・д・)チッ(舌打ち)

だけどまあ、見てよかったですよ。ヨカッタ。

 

昭和31年の日本は戦後復興の終了を宣言した「もはや戦後ではない」という言葉が流行した年でございまして、日本中が好景気に包まれた。

はずなんだけど、冒頭からまるでどこか東南アジアの貧しい国みたいな映像で、モノクロのせいか暗くみすぼらしいんだぜ。

舞台は大阪で、安治川の河口で暮らす10才の少年・信雄の目線で描かれる。

 

うどん屋の常連客の馬車屋のおっちゃんが「来月中古のトラック買うねん」と話す。

おっちゃんは馬に鉄屑を引かせて商いをしている。馬だよ。

でももうそういう時代じゃないのだ。

このおっちゃんは信雄が見てる前で、向こうからやって来た車に馬が驚き荷が崩れて鉄屑の下敷きになって死んでしまう。

男の人たちがたくさん駆けつけて助けようとしたけど駄目だったのだ。

 

橋の上に、馬が連れて行かれた後も鉄屑を乗せた荷車だけがずっと放置されていて、雨の中その鉄屑を盗もうとしてたのが、きっちゃんだった。(本名・喜一)

きっちゃんはどこからか流れて来た宿船の子で、信雄は船で人が暮らしてると聞いて驚く。

穴のあいたボロボロの運動靴をはいて、銀子というねえちゃんがいて二人は学校も行ってないのだった。

ねえちゃんは優しくてしっかり者でおかあちゃんみたいに信雄の世話を焼いてくれる。

でもおとうちゃんは信雄に「夜はあの船に行ったらあかんで」と言うのだった。

きっちゃんちの船は水上生活者でもハシケと呼ばれる小舟を使い運送業に従事する人ではなく廓船なのだ。

住所も定まらず電気も通じてない粗末な船で、おかあちゃんは春を売り二人も一緒に暮らしていた。

 

信雄のおかあちゃんは信雄がきっちゃんと遊ぶのが心配になる。

でもおとうちゃんはそんなの子供には関係ない事だと言う。

「子供は生まれてきたくて生まれてきたんやない。親を選ぶわけにいかんのや」

田村高廣さんが演じるおとうちゃんは本当に優しい父親で、こんないい父親がいるかしらと思うほどだ。

藤田弓子さんのおかあちゃんも明るくて働き者で、夫婦は一粒種の信雄をとても可愛がっているのだ。

 

始めてきっちゃんとねえちゃんが信雄の家に遊びに来た時、おとうちゃんとおかあちゃんは御馳走をたくさん作ってもてなしてくれた。

きっちゃんが歌を唄う。

 

ここーはー 御国を何百里~

 

それは「戦友」という明治時代の日露戦争を歌った軍歌なのだが、きっちゃんは直立不動で一生懸命に唄ってみせた。

死んだおとうちゃんが酔っぱらうといつも唄うてたんや。

この歌は14番まであって長いのだがきっちゃんは自慢そうに全部唄えるでと言う。

その哀愁に満ちたメロディーを聞くうちにおとうちゃんの表情は曇る。

おとうちゃんは戦争の生き残りなのだ。

苦労して戦地から生きて戻ってきたのに、こんなスカみたいな人生なら戦争で死んだ方がよかった。

世の中は朝鮮特需によってもたらされた神武景気で盛り上がってるっていうのに、この人たちはその好景気にも乗れず、いまだ戦争の傷跡を引きずったままだ。

おとうちゃんも、馬車屋のおっちゃんも、廓船も。

 

おとうちゃんが面白い手品で弟を笑わせていた時、初めは笑顔だった銀子ちゃんが大人の胸が痛むような 態度を見せる。

「おじちゃんおばちゃん御馳走様でした」

と丁寧にお礼を言うと「きっちゃん、帰ろう」と弟を連れて帰ってしまうのだ。

この子は自分が置かれている境遇を痛いほどわかっていて、優しい両親も、あたたかい家庭も、おいしいご飯も、家族の楽しい語らいも、自分たち姉弟には無縁な事なのだと諦観してるのだ。

信雄の家は決して裕福とは言い難いが、この姉弟から見れば夢のような暮らしなのだ。

寡黙で表情の変わらぬ銀子ちゃんがジッと見つめる目には、人生に疲れた人のあきらめと虚無感さえ漂っていて驚く。

 

それは信雄が一度だけ会った加賀のまりこさんが演じるきっちゃんのおかあちゃんも同様で、まりこさんボロ船に不釣り合いな艶やかさでお美しいのだが、零落した経緯を少し話してくれて。

「波に揺られてへんと生きてる気がせえへんようになったんよ」と心身共に疲弊していた。

 

この映画は子供たちの演出がよくて、もういじらしいほどだ。

子供は未熟だからまだ自分の思いをうまく言葉には説明できない。

でもこの子たちの目には、社会における格差や不平等がはっきり映っている。

戦後が終わったなんて欺瞞でしかないのだ。

 

ラスト、きっちゃんの船が曳舟に引かれどこへともなく立ち去ってゆく。

突然、別れの言葉も言わずに・・・

信雄が船をずーっと追いかけるシーンがけっこう長い。

「きっちゃーん」「きっちゃーん」

信雄の声は恐らく二人に聞こえてるはずだけど、決して出てこない。

あの二人はどうなっちゃうんだろう。

どんな大人になるのだろうか。

幸せになってほしいけど不幸な未来しか予感できないのだ。

この時代から比べれば今の日本は豊かになったけれど、古き時代のよい物はなくしてしまったような気がするな。

鉄屑の下敷きになった人を助けようと大勢の男の人たちが集まってきたり、社会から脱落した人間の子供でも憐れみや優しさを持って接したり。

今の人は誰かが困っててもスマホの画面しか見てないし、子供は母親が責任持って見るべきだとかものすごい権幕で押し付けるのだ。