鈴木旭(31才・独身・漫画家)には3年前の雪の日に忘れられない思い出があった。
その頃子供好きの鈴木は保育士をしていたのだが、一人の園児の母親がいつまで待っても迎えに来なかったのである。
5才の男の子高嶺くんの母親はシングルマザーでの子育てに行きづまり、我が子を保育園に置き去りにしたのだ。
何も知らない高嶺くんはそのまま児童相談所に一時保護となり、次の日からは登園しなくなった。
いつも母親のお迎えがギリギリで最後になる事が多かった高嶺くんと、一番多く時間を過ごしていたのは自分だったのに、母親の異変に気づけなかった鈴木は悔いる。
行き場のない気持ちを抱え、漫画家志望だった鈴木は漫画を描いた。
それは雪の日に捨てられた少年がその運命と戦う物語だった。
三年後、鈴木のもとに高嶺くんから手紙が送られてきた。
鈴木は小学2年生になった高嶺くんと再会した。
高嶺くんは母親と離れて児童養護施設で暮らしていたのである。
彼は鈴木に「やっぱりこれはオレの事なの?」と漫画の事を聞いてきた。(鈴木もまさか載ると思って描いたわけではなかったが)
「よく考えたらあんまりいい事じゃなかったね、ごめん」と謝ると、高嶺くんは目を輝かせてうれしいよと言ってくれたのである。
よかった。
描いてよかった。
会いに行ってよかった。
泣くなよ、鈴木。
あの雪の日、何も知らずに園長先生に連れられ「あさひ先生、また明日遊ぼうね」と笑いながら手を振った高嶺くんの姿が鈴木はずっと忘れられなかったのだ。
なんつーか、友達がみんな親が迎えに来て帰って行くのに、自分だけ迎えに来なかったら悲しいだろうなあ。
もう最初の10ページであたしも泣いている。
なんでカネを払ってまでこんなカワイソーな子供の漫画を読んでるんだろうか?と戸惑いながら。
鈴木も幼い子供の気持ちに寄り添える優しい男である。
母親が迎えに来なくても高嶺くんが不安そうじゃないのは、鈴木によくなついてるからだし信頼してるからであろう。
まあ主人公が保育士から漫画家へと見事に転身してるのはちょっとご都合主義かなと思ったり、自分をモデルに描かれた漫画と知らずに高嶺くんからファンレターが届くとか、おとぎ話か!?と思ったりもした。
しかし親と暮らせない子供の淋しさとか、歯を食いしばって耐える高嶺くんのいじらしさとかよく描けてて胸を衝くのである。
そんな高嶺くんと交流するうちに、人のいい鈴木は彼の里親になろうとするのだ。
人がいいにもほどがあるぜ。
「人の息子」という作品名は、まさに赤の他人の息子を育てる事はできるか?
家族は血がつながってなくてもいいのか?と、問いかけていて考えさせられた。
そもそも日本には親と暮らせない子供たちが4万5千人もいるという。
そのうち8割は乳児院や児童養護施設で集団生活していて、里親家庭で暮らしているのは6千人ほどだそうだ。
里親制度というのは養子とは違い親権はそのままで、子供が再び実親と住めるようになるまで里親の家で預かるというものだ。
施設だと先生は独占できないし、集団生活が長くなり家庭がどういうものか知らずに成長してしまうと、将来的に困る事になる。
子供は自分の父親や母親を見て家庭とはどんなものか学び、大人になって結婚して自分も家庭を作るからだ。
そういう意味では里親は重要な意味を持つ。
鈴木は高嶺くんと再会してから時々会うようになり、二人はとても気が合うのだった。
そして一緒に過ごすうちに、自分にできる事はなんだろう?と考えるようになる。
あの時は何もできなかったけど、今なら何か違う事ができそうな気がするのだ。
そんな時に、高嶺くんを担当する児童福祉士の秋山さんから、高嶺くんは里親への正式委託への準備期間中だからもう会わないでほしいと言われてしまう。
つまり里親に馴染むための大事な時だから、鈴木が連れ出したり仲良くするのが妨げになるというわけだ。
秋山さんは若くてきれいな女性で、専門職らしく鈴木の知らない事をなんでも知ってるけど、子供の幸せを考えてるようで子供の気持ちは置き去りになってる気がした。
だって高嶺くんは鈴木といたいのだ。
鈴木はそれならいっそ自分が里親になれないかと訴えるが「ムリです!!」とバッサリ言われちゃう。
独身なのがいけないのではなく(独身の里親も認められている)育児への協力者(たとえば親とか)がいないと里親としては認められないんだって。
だが、秋山さんのおかげで、何をすればいいのかはっきりした。
フツーならもうあきらめるんですけど、鈴木は無謀にも仙台にいる両親に上京してもらおうと説得に行くんですよ。
どうしてそこまでするのか?
そりゃあ、仙台のお母さんだって「あなたがしないといけない事なの?」って言うよ。
そんな事よりはよ結婚して孫の顔見せんかい!とか思うよね。
しかしこの鈴木家というのは、母親が鈴木を連れて今の父親と再婚したので、父と血はつながっていない。
その後、両親の間に妹が生まれたから、鈴木の立場はちょっとビミョーだよね。
父親は温厚ないい人なんで鈴木を可愛がってくれたけど、母親は妹には甘く鈴木にはなにかと厳しく接するのも、自分の連れ子だから夫へ気を使ってるのかもしれない。
鈴木家を見てると、鈴木は高嶺くんの中に子供時代の自分を見てるのかもしれないと思うのだ。
親にも事情があるのだろうけど、一緒に暮らせずに施設で我慢している子供の切なさを思うと胸が痛む。
施設で仲良くなっても友達が急にいなくなったり、子供にとっては落ち着かず安心できるベースではないのだ。
面会に来た母親はごめんねって泣いて謝るだけで、高嶺くんが本当に言ってほしいのはごめんねなんて言葉じゃない。
高嶺くんはお母さんと一緒に暮らしたいのだ。
だから鈴木はその日が来るまで里親となり高嶺くんの面倒を見てやりたいのである。
彼を救うことはできないかもしれないけど支える事はできると鈴木は奮闘する。
親でもない人間が助けたいと思うのは変なのか?
かつては結婚して子供を産み育てるのが当たり前だったが、未婚化・晩婚化が進んだ現在では子供を持たないまま人生を過ごす人だって少なくない。
でも血のつながりがなくても子供を育てる選択肢があるとしたら意義のある事だし、これからは鈴木のような人も増えて行くかもしれない。
家族の在り方も様々に変わって行く中で、血のつながらない親子だって珍しくないかもしれないじゃないか。
それも素晴らしい家族だ。