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大人の漫画読み

映画/「黒い雨」

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(「黒い雨」1989年/今村昌平監督/123分)

 

昭和20年8月6日の朝、広島市に原爆が投下された。

 

閑間重松(北村和夫)は駅で被爆し顔に軽い傷を負い原爆病であると診断されていたが、妻のシゲ子(市原悦子)は自宅にいて怪我もなく、姪の矢須子(田中好子)も爆心地からは離れた場所にいたために特に異常はなかった。

矢須子は重松夫婦の安否を確かめるべく船で広島市へ向かう途中、空から降って来た黒い雨に打たれていた。

 

終戦から4年後、重松夫婦と矢須子は重松の母親(原ひさ子・日本のおばあちゃんよ)と小畠村で暮らしていた。

先祖伝来の土地を切り売りしながらの生活で、母親はだいぶボケて来てる。

矢須子は美しく心の優しい娘だったが、「市内で被爆した」という噂が流れ縁談が持ち上がるたびに破談になってしまうのだった。

噂だけで業病扱いされる事に憤りながらも、苦肉の策で医者に頼んで矢須子の健康診断書を書いてもらったりする。

また、矢須子はあの日爆心地にはいなかった事を証明しようと、矢須子が当時つけていた日記と自分の日記を清書して仲人に提出しようと考えたりもする。

 

だが矢須子は徐々に原爆病の症状を見せ始める・・・

 

 

「黒い雨」は1989年の今村昌平監督の作品だ。

原作は井伏鱒二の同名小説である。

矢須子役の田中好子さんの演技が評判でたくさんの賞を取った。

放射能の二次被爆の恐ろしさ、被爆者への差別、叔父の姪への無言のいたわりや、矢須子の静かな悲しみなどなどを、声高に訴えるでもなくモノクロ映像で淡々と見せる。

 

矢須子の母親は早くに亡くなってしまい、父親も少ししか登場しないが、子供のいない重松夫婦が彼女の事を実の娘同様に可愛がっているのがよくわかる。

叔父として矢須子を嫁がせる事は自分の務めだと重松は一生懸命だ。

矢須子もとてもいい娘さんでしてね、優しくて素直で家族思いなんだ。

スーさんかわいいのお。

 

だが、ピカにあった者は結婚しても子供が生まれぬのだと村の女たちが噂する。

矢須子がいくらきれいでも縁談がまとまらないのは当然だと言わんばかりだ。

いくら重松が矢須子はあの日広島にはいなかったのだと主張しても、噂は一人歩きしてどうにもならないのだった。

いやなんかもうきれいだから嫉妬されて変な噂流されてるのかと思ったくらいでして。

被爆者の苦しみというのは、原爆症だけでなくその事で差別を受けるんですよね。

被爆しなかった人が被爆した人を差別するんです。

 

「黒い雨」で描かれるのは原爆の二次被爆の恐ろしさで、大火傷を負ってるとか大怪我してるわけじゃないし、見た目は健康なのに急に容態が悪化し死亡したり、体がだるくなったり、目が見えなくなったり、体中の節々が痛んで起きられなくなる。

自分もいつそうなるかと不安におののきながら日々を生き、ついにオレにもピカが来たよと言って重松の友人は亡くなる。

二次被爆したもう一人の友人もまた亡くなっていく。

また葬式か、と思うほど葬列シーンが次々と繰り返される。

 

村は戦争の傷跡を引きずった人たちばかりだ。

岡崎屋という店の息子で悠一という青年は、敵の戦車に布団爆弾を持って飛び込む元特攻隊員だったが、家の前の道をバスなどが通るたびにエンジン音を聞くと発狂して「敵襲!」とか叫びながら匍匐して爆弾に見立てた枕をバスの車体に仕掛けようとするっていうね。

その発作が起こると母親が飛んで来て、悠一を落ち着かせようと「(作戦)成功!」「成功!」と叫びながらやめさせようとして、運転手は怒るし、いつも大騒ぎになるのよ。

また店の前がバス停なんだよ。

 

でもこれってPTSDなんだよね。

発作が起きなければ普段は物静かで、石で地蔵なんかを黙々と掘っている。

戦争で精神を病んでしまった彼といる時、矢須子は不思議と癒される気がするのだった。

シゲ子の「あの二人がボソボソと原爆の事や戦争の事を話してると思ったら不憫で」(市原ボイスで)というあたりからもう泣けちゃって。

わたし結婚などしなくていい、ずっとここにいたいの、と言った矢須子に胸が詰まる。

彼女は叔父さん夫婦に遠慮して具合が悪いのを黙っていたのである。

矢須子が夜中にこっそりアロエを食べてたのは生きたかったからであろう。

風呂場で髪が抜けるのを見てふっと笑うシーンとか、あれは笑うよりしょうがないんだろうか。

 

彼女だって結婚をして農村で幸せに生きられたはずなのに。

 

 

黒い雨は、原子爆弾が投下された直後、例のキノコ雲や火災に伴って出来た積乱雲から核分裂で飛び散った放射性物質が局地的な降雨とともに降り注いだものだ。

重松の日記では万年筆ほどの黒い棒のような雨が降ってきたと書かれていて、重油みたいな粘り気のある大粒の雨だった。

爆風で巻き上げられたホコリやチリなども放射性物質とともに広範囲に落ちた。

この強い放射能を帯びた雨を多くの人が浴び、空気や水、食物と一緒に体内に取り込んで内部被爆したと考えられている。

広島において黒い雨の降った範囲は、当時の気象技師の調査などに基づき、爆心地の北西部に一時間以上降った「大雨地域」(南西19キロ、東西11キロ)と一時間未満の「小雨地域」(南北29キロ、東西15キロ)だとされ、国は「大雨地域」に在住する被爆者には無料で健康診断を受けられ、がんなどの特定疾患発病時は医療費が免除になる被爆者健康手帳の交付をおこなってきた。

だがその線引きがそもそもおかしく、援護対象から外れた場所で黒い雨を浴びた人たちもいるのだ。

国による援護を受けられる地域の外にいた住民や遺族合わせて84人が健康被害を訴えた裁判で、広島地方裁判所は全員を被爆者と認め、広島市と広島県に対して被爆者健康手帳を交付するように命じた。

しかしこの判決について広島県と広島市は12日、広島高裁に控訴した。

広島市と県は住民の早期救済のため控訴を見送りたいとの意向を示していたが、控訴の実質的な被告となっている国が控訴を求める一方、援護区域の拡大を視野に従来の政府判断を再検討すると約束したため控訴を受け入れたと言う。

 

5年前に始まったこの裁判では原告84人のうち12人が他界している。

被爆75年を迎える今も黒い雨の健康への影響をめぐって論争が続く。

いまだに戦争の影を引きずった人たちがいるって事を知ってショックだった。

なぜ被害者だけが置き去りにされているんだろう。

 

こういう原爆を描いた作品を見るたびに思うんだけど、アメリカに遠慮して原爆の事は大きな問題にしにくかったんだろうか。

原爆は自然災害でも神の啓示でもなくアメリカの戦争犯罪なのに決して追及されないよね。