「ここは今から倫理です」の作者が描いてるから読もうと思ったのだけど、グウ(ぐうの音)戦争物か? とちょっとドン引き(笑)
1945年に太平洋戦争が終ってから戦後75年です。
当然ながらこの作者も戦後世代でしょうけど、今あえてこういう戦争漫画に挑むのはなぜか?そこが気になる。
自分でもよくわかってないけど、戦争の悲惨さを伝えたんだ!みたいな気持ちではなく「あの大変な時代を生きてた人たちが何を想っていたのだろう?」というのを描いていきたい気がしてます。
って、巻末あとがきにあった。
そんな気迫が感じられる漫画でしたね。とでも言っておこう、一応。
舞台は昭和20年の敗戦直後の東京だ。
ノガミ(上野)の闇市で鼻つまみ者扱いされる少年・兼吉。
子供ながらにヤクザに喧嘩を売っては逃げ回る彼の事を、あいつは戦争で家族全員死んで頭がおかしくなっちまったんだと町の人たちは嫌っていた。
彼はいわゆる軍国少年だ。
戦前は愛国教育で軍国少年(少女)を育成したわけで、子供たちは大きくなったら兵隊さんになってお国のために死ぬんだと、何の疑いもなく、もしくは誇らしく思っていたのである。
そんな兼吉が出会ったのが謎の男・金井田である。
①巻では誰にも相手にされない無鉄砲な戦災孤児の兼吉を、金井田が何くれとなく庇ってやりましてね、次第に彼に心を開いてゆくわけだ。
「結ばる焼け跡」この題名は、焼け跡に人と人との繋がりが結ばれていくという意味だったんだね。
兼吉の父が偉い軍人だった事、その父親も三人いた兄も戦死した事、母親と二人の姉は空襲で死に兼吉ひとりだけが生き残った事などが明かされる。
家は空襲で焼け母と姉たちの骨が埋まったままの生家の土地をヤクザに奪われたために、兼吉はヤクザどもをつけ狙ってるのであった。
家族の夢を見て寝ぼけた兼吉が泣きながら「死にたい」と言う言葉を聞いて金井田は愕然とする。こんな子供の心中にあるのが絶望である。
実は金井田は陸軍中野学校出身者でして、国のために家族も本当の名前も捨てさせられ重要任務についてたわけなんだが帰ってきたらこのザマで、焼野原で皆食うのが精いっぱいで戦災孤児は見向きもされず野垂れ死にしてくし、いったい自分はなんのために戦ってきたのだろうかと自問しているのである。
言うまでもなく彼もまた絶望の二文字を飼ってるわけだけど、これが何しろ強い。
ヤクザに捕われてボコボコにされた兼吉を助けに乗り込み「俺が守りたかったのはこんな国じゃない!」っつって、ベタな強さでナイフやら拳銃やら薪ザッパなど持つ5,6人のヤクザを相手に、もうね鮮やかに倒しちゃって兼吉を救出してくれる。
その際アンクルホルスターで足首に隠し持った銃で撃つあたりは、やっぱただもんじゃないねえ。
その後、パンパン(街娼)の今日子のポン引きをする混血児のトミーと出会いまして、今でこそハーフの人はもてはやされるけど、この時代は「あいのこ」なぞと呼ばれ差別を受けた。
でもトミーは兼吉と違い素直だしかわいいねえ。
駅で記憶を失くして茫然と座りこんでたとこを今日子に拾われたのである。
戦争が終ってから世の中すべてがおかしくなったと感じている兼吉は、パンパンもオカマ(男娼)も大嫌いだ。
(終戦直後は上野の山が男娼のメッカだった)
俺たち日本人を散々痛めつけたメリケンに、ベタベタ化粧して汚らしくくっついて!
などと口汚く罵りトミーをビビらしてたら、現れた今日子から「清純じゃ今の国で生きていかれやしねえ!そんなに汚ねえのが嫌なら舌噛み切って死んじまえ!てめえも汚ねえ時代遅れの野良犬なんだからよ!」と、ハイヒールのかかとでグイグイ踏みつけられて何も言い返せないのだった。
子供でも容赦しねえ今日子は自分に近づいてくるゴロツキにも「体売らなきゃ生きてけねえ弱い女たちからピンハネするするようなしょぼいヤローとつるむ気はないよ!!」と実に明快でかっこいいのだが、イキがりすぎてゴロツキの怒りを買い凄惨な暴力を受けた姿で帰ってくる。
彼女もまた夫が硫黄島で戦死した事や空襲で子供の手を引いて逃げ惑ううちに人ごみに押され手を離してしまった悲劇的な過去に絶望していて、ベタだけどやっぱこういう話って胸を衝かれる。
兼吉もそうだけど、いっそ死ねたらいいのにそうもいかず生きるより仕方ないのだ。
そんなこんながありまして、②巻ではかつての中野学校の同期・伊藤から金井田はある計画の協力を求められまして、たとえ日本が敗けても自分たちの戦争は終わらないと信ずる伊藤に、戦争はもう終わったから「やんねえ」と答えるやる気ゼロ金井田と、戦争はもう終わったから「中野学校で手に入れた能力があれば俺たちはなんだってできるぜ」と貪欲に出世を狙う小代など三者三様である。
柳広司の「ジョーカーゲーム」を思い出すけど、陸軍中野学校はご存知のように日本陸軍が設立した諜報・謀略(スパイ活動)ができる人材の養成機関である。
採用試験はとても難しく一般大学や高専出身者が占め、陸軍士官学校卒はあまり選抜されない。
こういう人は軍人魂が身についているのでスパイになってもすぐ見破られてしまうからだ。
たとえスパイである事がばれても相手を殺したり自殺をしたりはしない。
敵に協力すると見せかけ二重スパイになる事を志願せよと徹底的に教え込まれる。
中野学校の生徒は「名誉や地位を求めず日本の捨て石となって朽ち果てる事」と教育され、敵国の見知らぬ土地で目立たぬようにその土地に溶け込みながらたった一人で任務を遂行する。
不慮の死を遂げれば、その者は偽名のまま異国に埋葬されるのである。
そう言えば松本清張の「帝銀事件」を読むと、これは1948年のGHQの占領下で起きた豊島区の帝国銀行で発生した毒物殺人事件だが、当初犯人は毒物に詳しい人物だとされ旧陸軍731部隊関係者の他に陸軍中野学校出身者も疑われたのだが、彼らは戦時中死亡した事にして葬式まで出し別の人物になりすまして出国したために、そういう戸籍のない人間が当時百数名いたという事である。
戦争に駆り出され国家のために尽くすあるいは国家のために死ぬ事が美徳とされ、果ては本当の名前も戸籍も奪われて、その後の人生をどう生きたんだろうかと思う。
それにしてもまあ戦争が終ったと言ったってまだ傷は何も癒えてはいないんだな。
鬼畜米英と言ってたのが手の平を返すようにギブミーチョコレートだとくっついてみたり。
戦争に負けた瞬間この国はごみ溜めになっちまったという感慨も理解できる。
とにかく皆が絶望している。
戦争の恐怖からは解放されたかもしれないが、満足に食う事もできない。
焼野原でただただ必死に生きるだけなのである。
しかしなんだろ、助けが必要な時に現れる金井田に「正義の味方かよ!」と突っ込みながら、ベタな展開だぜと思いながらも時折ウッ!(。>д<)と涙ぐんでしまうシーンもあって、正直よくある戦後物のような気もするのだが、なんか逆に新鮮。
戦争中どんな事があったのか当時の人がどう暮らしていたのかを改めて考えてみる。
学校の教科書や沢山の書籍や映像などから戦争を学んだと思って来たけど、それは単に歴史的事実を知っただけの事だ。
本当はこれらの事実から自分たちがどう考えるかが大事なんだと思う。
戦争の物語というのは最後は決まって、戦争は嫌だ得るものは何もない虚無感だけ、で終わるものだがこの先どうなるのかな。③巻を待ちたい。