2016年に急逝した少女漫画家・吉野朔美が2002年に発表した作品でして、昨年実写映画化の運びとなり暇だったんで見に行きましたけど映画はなかなか良かったです。
漫画原作の実写化ってやたら多い昨今、オイ原作読んでないだろ問題、またあいつが主演かよ問題、設定変え過ぎじゃねえか問題と様々引き起こし原作ファンから批判されながらも今なお制作され続けるのはやっぱ儲かってるからなのかしらん。
まあこの映画版はエンドロール見て「あら漫画原作だったのね」って気づくレベルでそれほど有名漫画ではないと思いますが、映画業界の人って常に映像化できる漫画を探してるわけなんですかね。
などと、利いた風な口をきくあたし。謎の独りよがりで再読。
風変りな女子高校生・鹿角華蓮が主人公である。
華蓮は感受性が強くて独自の抽象的な感覚世界を持っている。
自分の意識を集中して外に飛ばし、自分を外から眺めてるような奇妙な離脱感を持つ事ができた。
あたしも時々違う世界に行っちゃう人なんで、なんとなくこういうのはわかる。
特に思春期頃は顕著だ。
友だちから見ると、心ここにあらずのその「遊び」はどうにも危うく思えるのだった。
しかも彼女は時々記憶が抜け落ちる事があるらしい。チョット!メンタル大丈夫?と心配したくなるアブナイ子だなこれは。
たとえば彼女の母親は優しい人でいつも娘を心配していて、今日も彼女が好きなパイナップル入りの酢豚を作ってくれるわけだが、彼女は酢豚が嫌いだった。
自分が憶えてないだけでいつか酢豚が好きだと母に言ったんであろう。
そんな小さな事柄であっても、記憶が抜け落ちる、憶えていないって非常に不可解で自分が恐くなるような気がするけどね。
ま、これまでは日常生活に重大な影響はなかったのである。
ところが高校の修学旅行で韓国へ行くためパスポートの申請に必要な戸籍謄本から自分は養子だった事を知ってしまいましてね。
しかも戸籍上には2か月年下の姉が記載されていて4歳で死亡していたというね。
よもやよもやのあり得ない話である。
華蓮は幼い時の記憶を何も思い出す事ができなかった。
華蓮が赤ん坊の時の話を愛しそうに母が語るのを聞いていた彼女は「それは私の事じゃない!」と直感してしまう。オカアサン誰ノ話シテルノ???
そして、彼女は何か思い出そうとするのだが眩暈を起こして気を失ってしまうのである。
こりゃただ事じゃない。もお両親に聞けばいいんじゃねと思うけど、彼らが知ってほしくないと思ってると考える華蓮は絶対に聞けないと思いましてね、両親の事が大好きなのよ。
そんなわけで、華蓮は修学旅行をサボって戸籍に記載されていた福岡へ行く事を決意。
自分の過去を調べようというのである。
東京から福岡さらにフェリーで韓国の釜山を訪れる5日間の旅。
同行者となってくれたのは穂刈怜(さとい)という同級生の男子だった。
彼がどんな人物かと言うと、金髪のまあちょっと少女漫画によくある不良っぽいイケメンで心に葛藤を抱えた孤独な少年だ。
そして不思議な青い目をしている。
学校内の有名人である怜(恐らくモテるであろう)は、何故に華蓮に力を貸してくれるのか?好奇心?暇つぶし?
怜がバーテンのアルバイトをしてる先に訪れた華蓮は、黒いロングのエプロンを見て「魚屋?」(んなわけねエだろ・・・)と抜かすような世間知らずの子供っぽさなんで放っておけなかったのかもしれん。
実の親だと信じてた人が他人だったと知ったら、誰だって自分のルーツを自分は何者なのかを知りたいと思うだろう。
嘘をついてた両親を信じられなくなってもおかしくないと思う。
今でも未来でもなく手の届かない過去に囚われてしまう事が幸せなのかはわからないけど。
忘れた方がいい事だから忘れているんじゃないかと怜は言う。それな。
でも華蓮は欠落した記憶を取り戻したいのである。
ちゃんと現実に立ち戻るために、大好きな両親の元へ帰るために、今を肯定的に受け入れるために。
その青い目に見守られ、福岡で調べを重ねるうち華蓮は記憶を呼び覚ましていく。
彼女には本当の両親と二人の弟がいた。
12年前、幸せだった家族に突如降りかかった凄惨な殺人事件が浮かび上がってくるのである。
と、まあそんな粗筋でして彼女の自分探しの旅かと思いきや、韓国映画並みの残虐な殺人事件が登場してくるサスペンスですぜ。
たとえ血は繋がってなくとも両親から愛されて育ったとわかる華蓮は、初恋もまだだろうと思わせる子供っぽい一途さが微笑ましくもある。
ただの不思議ちゃんかと思ったら、華蓮はこの幼少時のトラウマ体験によって一種の記憶喪失が引き起こされていたわけだ。
違う世界に行っちゃうとかノンキか。
でも記憶って色々な原因でなくなる時があるよね。
あたしゃ昔飲みすぎて前夜の記憶がところどころない、とかあったよ。
ウーン・・・自分が何をしてたか思い出せないってコワいのだ。
でも記憶、思い出はかけがえがないにもかかわらず曖昧なものだ。
記憶にあるからと言ってそれが事実だとも限らない。
自分の願いや人からの暗示などにより偽りの記憶が作りあげられてしまう事もあるのである。
華蓮のように親から聞かされた事を自分が体験した事のように思い込んでしまっている事もある。
そしておぞましい事件の記憶は、彼女が生きていくために無意識的に封印された。
人間の記憶のメカニズムは不思議で、そんなことからこの「記憶の技法」という題名はついたのだろうか。
東京に無事に戻って来た二人。
きっと華蓮は自分の壁を破り過去に囚われる事なく新しい人生を生きて行けるだろう。
でも別れ際に、あなたの事を知っているからという理由でオレを嫌わないでと告げた怜は、いまだに帰るべき場所を持たない孤児であると作者は結ぶ。
新幹線のホームで華蓮が彼を抱きしめるラストは胸をうつが、この怜という少年について少し謎が残るのである。
それについては、スピンオフとも言うべき「霜柱の森」という短編を読めばいいのだが、そもそも彼の青い目の設定いるのかな?