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大人の漫画読み

漫画/「チ。~地球の運動について~」作・画 魚豊

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(魚豊「チ。地球の運動について」既刊3巻)

岩明均絶賛。とな・・・

 

太陽は東の空から登って西の空に沈んでゆく。

私たちのいる地球からは、空に浮かぶ天体が地球の周りを回っているように見えるんだよね。

だから昔の人が「地球が宇宙の中心にあって太陽や月や星が地球の周りを回っている」と考えたって少しもおかしくはないのだ。

ご存知のようにこれを天動説と言う。

さて、この作品の舞台は15世紀のヨーロッパである。

作中ではP王国となぜか名が伏せられるがヨーロッパであろう。

この時代は「神がお作りになった地球が宇宙の中心である」というキリスト教の考え方が天動説と合致して当時の常識となっていた。

作中ではなぜかC教と伏せられているがキリスト教である。

そしてキリスト教の教えに背く異端思想は拷問にかけられ火あぶりにされる暗い時代でもある。

12才の神童・ラファウは飛び級で大学に合格し神学の専攻を期待されるが、神学は当時の学問の頂点であり合理的に生きる事を旨とするラファウにとっては当然の選択であった。

孤児として生まれた彼は義父から神学の勉強に専念するため趣味の天体観測はやめるよう言い渡され素直に従うものの、やっぱ天文が好きなんで心残りでウジウジしてる時に謎の男・フベルトと出会いまして。

実はこの男が研究していたのは禁じられたやっべえ異端思想いわゆる地動説であります。

毎日朝が来るのは地球が自らの軸を回る自転をしているから、さらに季節が変わるのは地球が太陽を軸として公転をしているから、地球は動かないどころか2種もの運動をしていると言われラファウはおったまげる。

コイツは狂人だよ火刑だよ宇宙の中心に地球があるのは神様のおかげだって皆思ってるのに、それを否定するなんて危険すぎるぜとラファウは狼狽する。

でもでもフベルトが危険を承知の上でラファウに話して聞かせたのは彼を見込んだからなのね。

キリスト教世界では、この世は醜く貪欲で汚れていて天国だけが清く美しいものだと言ってるけど、神が作ったこの世界こそがきっと何よりも美しいはずじゃなかろか。

だから自分は知りたいのだ。

知るためには盲信も地位も金銭もいらない、知性だけあればいい。と、フベルトは言う。

そんな人生は恐くないのかとラファウは尋ねる。

「怖い。だが怖くない人生などその本質を欠く。」

そう答えたフベルトは、地動説に魅せられ始めたラファウを庇い焼き殺される。

そしてフベルトから地動説の研究資料一式が入った石箱を託されたラファウは、大学に行って神学ではなく天文学を専攻すると宣言するのである。

 

とまあそんなわけで、ラファウ少年が主人公なのかと思いきや、彼も1巻で死んでしまうのだ。

ラファウは異端研究の罪で裁判にかけられ、まだ子供なのを考慮され改心して二度と天文に関わらない事と例の研究資料の在り処を教えて燃やせば許すと言われるのだが、彼はそれをせずに「地動説を信じている」と言って死を選択するのである。

言っとくけど彼は決して頑固な盲信者ではなく、むしろ合理性を重んじる世渡り上手だったのよ。

にもかかわらず、まるでフベルトが乗り移ったかのように命を捨てても信念は曲げられなかったのだ。

やべー地動説。

もお命がけ。

ラファウの死から10年後、石箱は決闘の代行をする代闘士を生業とする青年オクジ―から孤高の天才修道士・バデーニに引き継がれる。

地動説が正しいと立証できるまでには、とてもじゃないけど一人の人間の一生を描くだけじゃ足りないのだ。

二人は地動説証明のために協力者を募ろうとする。

そこで登場するのは女に学問などいらぬという時代だからね、その圧力に優秀な能力も向学心も押し潰されそうになっているヨレンタという少女だ。

探求心は受け継がれ絶望は希望へと変わる。

地動説を信じ己れの意思を貫こうとする人たちは、異端者だけに揃いも揃って個性派なのよ。

こうして様々な人の手に渡り導き出されていくんだろうね。

 

自分たちのいる大地がどうなっているのか、想像を巡らすよりなかった時代。

そりゃあたしたちは生まれた時から地球儀も見てるし、地球が丸い事も太陽が動いているんじゃなくて地球が太陽の周りを回ってる事も知ってる。

しかしこの時代の背景は錬金術やら魔術やらなんか怪しげな迷信に囚われていた。

ペストはペスト菌のせいとは知らず悪魔の仕業だと考えたりね。

人々が火あぶりの刑を恐れるのは肉体的苦痛だけでなく、肉体が灰になると最後の審判で復活する体がなくなるというキリスト教的思考による。

魂も死後の世界も無になってしまう事を人々は恐れたのである。

そんな人たちがだよ、地球は世界の中心じゃないし太陽の周りを回ってるなんて言われても何馬鹿な事をと思うだけでまったく信じないわけよ。

それこそ彼らにとっては天と地がひっくり返るような話なのだ。

読んでるとキリスト教もずいぶん自分勝手な理屈で科学者を弾圧している。

人は自分が今まで信じて来たものが間違っていると言われても容易には受け入れられないものなんだよね。

これはよく言われるキリスト教と科学の闘争の歴史なのだ。

だがそれ以上に真理を解き明かそうとする人間の知的好奇心が主題のようでもある。

キリスト教をあえてC教と伏せているのも、作者はキリスト教VS科学という先入観だけで読まれたくないと思ったからではないか。

彼らが初めて地動説を知った日、きっと一晩中眠れなかった事だろうね。

天動説の考え方では複雑怪奇な天体の動きが地動説なら説明がつく。

それは実に合理的で「美しい」のだ。

地動説を「美しい」という言葉選びが良いよね。