はああ驚いたのお。
こういう事って、才能あるクリエイター同士が切磋琢磨していたら結構ありそうな気はする。
だけど50年も前の話をよく活字にしたなあと思って。
萩尾望都や竹宮恵子の世代は前を走る女性漫画家がいない世代だ。
少女漫画の新時代を築いた萩尾先生と竹宮先生がルームシェアしていた事はファンには有名な話だ。
それは1970年から72年にかけてで、二人は東京都練馬区の大泉にある古い借家で仕事をし共同生活をしていた。
後に竹宮先生のブレインとなる増山法恵氏の自宅も側にあり交流の場となった。
そこには当時の若手女性漫画家やアシスタントも多く集まるようになり、いつしか「大泉サロン」と呼ばれ、これがさらに「花の24年組」へと発展していく。
少女漫画家版の「トキワ荘」みたいな感じだなあ。
ところがこの本を読んでみると、萩尾先生は「大泉サロン」も「花の24年組」も「え?それ何?」という具合で一切自分のあずかり知らぬことだという書き方である。
私が竹宮先生と二人で「少女漫画革命」を目指していた?
そんなはずはない。
なぜなら私は排除されたのだ。
と、こう書かれている。
穏やかじゃないですね。
いったい竹宮恵子と萩尾望都の間に何があったのだろうか。
二人の大泉での共同生活は2年で解散し、下井草に半年ほど住んだ後で東京を離れ萩尾先生は埼玉に引っ越している。
引っ越し後は竹宮先生と増山氏とは交流を絶ってしまい、その後ほとんど二人とは会っていないと言う。
それだけじゃなく竹宮先生の作品も読んでないと言うんで、これにはちょっとビックリしたな。
作品くらいは読むんじゃないの?フツーは。
つまりそれだけ重大な何かがあったのだ。
プライベートな事だから大泉で何があったか聞かれたくない。
萩尾先生は誰に対してもずっと沈黙を守り、ただ忘れて仕事にだけ打ち込んで来たと言う。
しかしここへ来て竹宮先生が爆弾を投下してきた。
2016年に出版された竹宮恵子の自伝本「少年の名はジルベール」である。
「少年の名はジルベール」は「風と木の詩」の案内本などではなく、竹宮先生がソウルメイトとも言うべき増山氏と出会い、少年愛の世界に導かれ「風と木の詩」という当時ではセンセーショナルな作品の着想を得る話や少年同士の恋愛など載せられないとする出版社との創作秘話などが書かれている。
意外な事に同居していた萩尾先生の恐るべき才能に嫉妬していたと素直に吐露していて、その苦しみから体調不良となり同居を解消するしかなかったとある。
かなりのページを割いて萩尾先生に触れてて総じて好意的だ。
だが言ってしまえばこの本は、女性漫画家に対する理不尽さを改革したい!少女漫画のレベルを上げる少女漫画革命を起こしたい!私はその夢を叶えて来ましたわ!という、竹宮恵子の若き日の思い出話なんだよね。
よくまとまっていてそれなりにいい作品だとは思うけど、ここには萩尾先生に「距離を置きたい」と告げたというだけでそれ以上の事は書かれていない。
大泉サロンでの青春の日々も楽しそうに描かれてるが、みんなが盛り上がっていても萩尾先生だけは9時半になると二階へ上がって寝てしまうとかなりマイペースな人として書かれており、人となりは伝わってこない。
この本が出版されるとにわかに萩尾先生の周辺は騒々しくなってしまい、この本を読むようにとやたら勧められたり、竹宮先生との関係がどうなってるのかと執拗に聞かれたり、関係を修復するように言われたり、なんか大泉時代のドラマ化の話まで持ちこまれたりと、せっかく静かに暮らしていた萩尾先生にとっては面倒な状況に陥ってしまったという事だ。
「少年の名はジルベール」は萩尾先生の所へも贈られて来たという。
でも読まずに送り返してもらったそうだ。
そこまでやるかと驚愕と共に竹宮先生との温度差を感じた。
竹宮先生はまた交流を持ちたかったのかもしれん。
それとも頭のいい彼女の事だから大泉サロンの映像化とかに乗って伝説を作ろうとか何か戦略があったのかな。
いずれにしても竹宮先生には過ぎてしまった過去の出来事なんだろう。
だいたい、人って言われた方はよく覚えてるけど言った方は忘れてしまうものなのよ。
それを70代にもなっていまだに引きずって大人げないと思う人は、人の心の痛みがわからない人だ。
でもね、考えてみれば作品があまりに素晴らしいから忘れがちだけど、二人ともまだ20代そこそこの若さなんだよね。増山さんも。
ただ二人だけの問題ならばまだよかったけど、増山氏の存在が話を複雑にしていると思った。
萩尾先生も漫画家がウンウンうなって作品を生み出してるのに、何も描いてない人になんか言う資格があるのかと増山氏に対しては案外と辛辣である。
増山氏が少年愛少年愛とおまじないのように唱え、少年こそが美しいのだと主張し、その指導の元でそれに伴う小説や映画やビジュアル(たとえばウイーン少年合唱団など)を見て、竹宮先生の感性は刺激され目覚めていった。
だが萩尾先生は増山氏を優しい人だとしながらも、漫画家を自分の夢を叶えるための媒体のように考えているような気がしてしまう。
萩尾先生は竹宮先生のようにはなれなかった。
自分には少年愛はわからないと思ったと言う。
この二人と次第に齟齬が生じているのに、もお萩尾先生の人の気持ちの読めなさに驚くよ。
天然なんだろか。
どう見ても嫌われてるんだから、察して遊びに行ったりしなければよかったのに。
それになんとも自分の評価が低すぎてたまげる。
萩尾望都ともあろう者が自分なんかトロくてダメ人間で巻末作家だったとか、竹宮先生ほどの人物が自分ごときに嫉妬なんてするはずないとか、一貫して卑下しまくる。
思うに萩尾望都という人はあれほど素晴らしい作品の数々を描きながら、天才と少女が同居しているような繊細な人なんだねえ。
読んでて竹宮先生や増山氏への恨み言などなくて、傷ついた心の悲しさばかりが伝わって来る。
それにひきかえ竹宮先生ってば才女だから、やっぱ同じ土俵に上がるのを避けたい気持ちは理解できる。
まあこの本を読んだからとて、二人の作品に対する評価は何も変わらないんだけど。
しかしながら萩尾望都は70代となった今でも現役漫画家として作品を生み出してるんだよね。
いったい50年経っても変わらぬ感性で作品を創造する事など他の人間にできるかと言えば、それはちょっと無理だろうと思う。
ある意味では世俗にまみれない事で、こうした少女のような感性を持ち続けられるのだろうか。
少女漫画革命も少年愛も自分にはわからないし自分は何もしてないなんて、萩尾先生ったら天然にもほどがあるよ。時代の渦中にいる時に時代の実像を理解できないことはあるかもしれないけど。本当にご自分の果たした役割がわかってないのかしらん。
天才っておかしいわね。