akのもろもろの話

大人の漫画読み

本/「リボルバー」原田マハ

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(原田マハ「リボルバー」)

誰が引き金を引いたのか?

「ゴッホの死」。アート史上最大の謎に迫る、著者渾身の傑作ミステリ。

 

高遠冴はパリの小規模なオークション会社「キャビネ・ド・キュリオジテ」通称CDCに勤務している。

パリには大小いくつものオークション会社が存在し、2百年以上も続く由緒ある老舗からつい最近設立されたものまで様々にあるのだが、CDCは設立10年という若い会社で社長のギローもまだ50代。

フランスに留学して美術史の修士号を取得し、日本には帰らずそのままパリで働いている娘の勤務先が、著名な美術館やギャラリーやオークションハウスでない事を両親は内心残念な気持ちでいるのだが、そんなのフランス人だって難しい事なのだ。

CDCが競売にかけるのは、サザビーズやクリスティーズが扱うようなとてつもないクオリティやネームバリューのある美術工芸品やコレクションとは比較にならない冴えないシロモノだ(言いすぎ⁈)

もっと高額の絵画取引に携わりたいと願っていた冴の元に、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。

それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われた拳銃だと言うのだ。

 

てな調子で、この錆びついた古い銃を巡り、視点人物である冴と社長のギローと同僚のジャン・フィリップの3人が、ゴッホの聖地として有名なパリ近郊のオーヴェル・シュル・オワーズへと向かうっていうね。

ゴッホと言えば子供でも知ってる有名な画家だが、ゴッホの人生の二つの大きな謎が耳切り事件と自殺だ。

自殺に関しては、自殺の動機や自殺に使用した拳銃の入手経路だけでなく、至近距離から自分を撃ったにもかかわらず銃弾が体内に残っていた事(フツーそんな近くから撃てば弾は貫通する)や使った拳銃が探しても見つからなかったなど不可解な点が多い。

しかし2019年にゴッホが1890年にフランスで自殺した際に使用したとされるリボルバーがパリでオークションにかけられ、なんとまあ16万2500ユーロ(約2千万円)で落札されたのだ。

なんでもこの銃はゴッホが最後に住んだオーヴェルの自殺したとされる場所で、1960年代になって農民に発見されたのだが、それまで畑に埋まっていたらしい。

また口径が医師が診断した際に記録した銃弾と一致していると言うのだが、まあ実際にゴッホがこの銃を使って自殺したのかどうかは可能性は高いけど確証はないのである。

にもかかわらず、すごいのおゴッホ人気。

すげえボロボロの銃に2千万てアータ!

余談だが芸術関連の銃競売と言えば、2016年にヴェルレーヌがランボーを撃った銃が、43万4500ユーロ(約5260万円)で落札されております。

これは1873年ブリュッセルのホテルで、ランボーとヴェルレーヌが激しく口論した挙句に泥酔したヴェルレーヌがランボーを撃ち負傷させた銃で(これをブリュッセル事件と言ふ)ご存知のように2人は愛人関係にあり、当時ヴェルレーヌは妻子もある29歳でランボーはまだ18歳の少年である。

だけど自殺や人を殺めようとした拳銃を手に入れて部屋に飾るのかね。

そういう不吉なものを集める趣味の人もいるらしいけど。

どうも愛好家というのはどこに価値を見出すのかよくわからんの。

 

さて話を戻すけど、ゴッホを撃ち抜いたリボルバーを巡るミステリーだと思って読むと、残念ながらミステリー色は早い段階で消え先が読める展開になってしまいますな。

話題作と言うから読んでみたけど、なんか最初から舞台化ありきの本らしかった。

そこからはゴッホとゴーギャンという2人の画家の史実を元にしたフィクションだ。

ゴッホがアルルでゴーギャンと共同生活をしたのはわずか2か月ほど。

2人は衝突を繰り返し、ある日ゴッホは左耳を自分で切り落とすという恐るべき事件を引き起こす。

ゴッホとゴーギャンの間に何が起こったのか、二人の関係に迫っていく。

まあ誰が引き金を引いたのか?はすぐ予想がつくよ。

なぜか耳切り事件には多くが言及されず、ただ耳を切って娼婦のところへ持って行ったと事実だけが書かれててそこはスルーなんだと肩透かしを食う。

2人は別に親友だったわけじゃなく、ゴーギャンを敬愛し彼がアルルに来る事を熱烈に望んだゴッホと違い、金に困ってたゴーギャンはゴッホの弟のテオがアルルに行けば絵を買うと約束したから行っただけで本当は乗り気じゃなかった。

2人の温度差はいかんともしがたく、なんかゴッホってかわいそう。

だいたいゴーギャンて終始エラソーなのが鼻につく。

でも「ゴーギャンのそういうところにゴッホは参っていたんじゃないか?」という作中のセリフにはさもありなんと思える。

作者のゴッホとゴーギャンに対する愛や思いが強く感じられる作品だ。

 

しかしながらゴーギャンと現地妻の少女との関係を美化しすぎではないか。

ゴーギャンに子孫はいないはずというくだりでも、現地妻おったやろ13や14の少女に子供産ませてるやんけとあたしでもすぐにピンときたのに、ゴーギャンの研究者であるはずの主人公がなかなか気づけないのもおかしな展開だ。

ゴッホから逃げ文明社会に背を向けて54歳で死ぬまで、複数の現地の幼い少女と関係を持ったゴーギャンが描いた「楽園」だとか「女神」なんて胸糞が悪いだけだけどな。

どうにもこの作者のようにはゴーギャンを好きになれないから、これはないわーと思ってしまう。

 

若い頃からずっとメンタルに問題を抱えまともな人間関係が築けず常に孤独だったゴッホ。

たとえ自分の絵が認められなくても、自分の心に忠実に描き続けたんだなあ。

そんな不器用な生き方が感じられるゴッホ最後の地オーヴェルを3人が訪ねる場面は良かった。

しかしまあ、いい大人になっても絵も売れず1円の金も稼げないゴッホが、死ぬまで好きな絵を描き続けられたのはテオという弟の存在があってこそだ。

世の中に理解されず精神的に追い詰められた苦渋に満ちた人生であっても、身内に愛されたゴッホは必ずしもゴーギャンより不幸ではなかったかもしれないと作者は言う。

でもあれじゃないですか人間て意地悪なもんだから、生前はちっとも認められず苦労ばかりで死んでしまったからこそ人気が出たというのもあるよね。

オーヴェルのこんな狭い部屋でゴッホは息を引き取ったんだって、観光客が皆切なく胸を打たれてしまう場面なども、今なお人を惹きつけてやまないゴッホの不思議な魅力を感じますな。

だけどまあこの人はホントにゴッホが好きなんだねえ。

こうあって欲しいという思いが強すぎな気もするけどな。