この本は1968年の8月に発行された「暮らしの手帖」第96号~特集・戦争中の暮らしの記録~を書籍化したものだ。
この特集号は丸々一冊が戦争を体験した人たちから寄せられた文章で組まれていて、文字数が単行本なんかより遥かに多く、字もちっちぇーし、読了するまでにかなりの時間を要する。
ま、こういうものはゆっくりじっくり読むものだ。
編集社は戦争体験者からひろく文章を公募した。
原稿用紙に5枚、事件や特別な人ではなくて、平凡な日常の実際に起こった出来事でハッキリ記憶している事を書いてください。
と呼びかけ多くの文章が集まったが、なかにはホントに拙い、この人は初めて原稿用紙に字を書いたんじゃなかろかと思われるものもたくさんあったそうだ。
そこには、忘れないうちにこれだけは書き残しておきたい、という切な気持ちが溢れてて、編集者は胸にグッときちゃったんだって。
いったい優れた文章ってなんだろうか、稚拙で判断に苦しむ文章と文章との間から読む者の心を打つものはなんだろうか。
などと考えさせられ、普段はファッションや食べ物の記事を載せてる雑誌だから読者に受け入れられるんだろうかって危惧しながら出版に至ったという。
1945年日本は戦争に負け、その後に戦後の民主・平和の時代がやって来たけど、個人の戦争の記憶は時と共に薄れて行く。
豊かになってく日本の影で、嫌な事は忘れてしまいたいからそれでいいのかもしれんが、誰の心の中にもどうしても忘れられない思い出の一つや二つは必ずあった。
またこの頃ベトナム戦争などの影響で反戦運動も高まり、戦災を記録する運動が盛んになったようだ。
しかしこの本は公的な記録というより、名もない庶民が何を食べ何を着てどうやって生きのびて死んで行ったのかを知る事ができる珍しい本だ。
大きな戦争やそれを指導した人物には正確な記録がちゃんと残されているけど、いつの時代のどんな戦争でも、庶民がどんな風に暮らしていたかなんて具体的な事は残されてないのだ。
巻頭は編集長・花森安治の東京大空襲を題材にした「戦場」で写真と詩で構成されてる。
ここでわかるのは彼の言う「戦場」とは、海の向こうで兵隊が戦う場所だけではないって事だ。
男たちが敵と戦っていた時、父や夫を戦地に取られた女や子供たちも「戦場」で戦っていたのである。
それは言語に絶する暮らしとの戦いであった。
なにしろ物がないのよ。
食料だけじゃない、衣服や燃料など生活に欠かせないあらゆる物が手に入らなくなり、国から配られる配給切符や通帳がなければ物品を購入する事ができなかった。
配給食料日記というものをつけてた人がいて、それを見ると、〇月〇日 白菜の葉一片、〇月〇日 茄子二つ、〇月〇日 青唐辛子5,6本(ってそれだけかい?)配給所に品物がなくてナシと書かれた日も多い。
とにかく食に関する記述が多く日本人は皆腹を空かせていた。
米の代わりにさつまいもやじゃがいもを食べ、少ない米を分量を多くするために野菜でも何でも(もう口に入るものなら路傍の雑草でも)入れて雑炊にして食い、それじゃ足りないからリュックサックを背負って田舎に買い出しに行くがその苦労が半端じゃなかった。
汽車の切符は限りがあり、いつ売るのかわからぬのを毛布や布団をかぶって徹夜で並び、やっと一枚の切符を手に入れる。着いたら今度は帰りの切符を入手するのに苦労し出かけるが、なかなか売ってくれず方々歩き回り乞食みたいにお願い申してやっと芋の荷物ができて背負うものの、駅近くで様子を見て警官がいれば帰られず終電車または朝一番まで遠くで待ち、そうなると汽車はものすごく混み、貨車に乗せてもらったり一番先の石炭の上に乗った事もある。寒くて身体中冷えてやっと着いた時はすぐに立ち上がれなかった、という「さまざまなおもい」と題された女性の文章。
ヤラセもない力作が続々と載ってるから実に読みでがあるのよ。
激しくなる空襲から逃れるため、都会の子供たちは地方に集団疎開させられた。
初めのうちは疎開先の人たちの好意や集団生活の珍しさで、親元を離れた寂しさを忘れ心和む日々もあったが、やがて食料事情が悪化してくる。
食べ盛りの子供が十分に食えず腹がすきすぎて、お手玉の中の豆や塩をちびちび舐めるのが楽しみだったとか、消化剤を食べたという子も多かった。
少しでも食事の足しにしようと教師と児童でイナゴや食べられる野草を取りに行き、空腹だけでなくノミやシラミにも悩まされ、つらくてどんなにか親に会いたかったろうな。
空襲や疎開や飢餓や原爆や勤労動員など様々な思い出が語られる。
大人も子供も体力と精神力のギリギリまで踏ん張って、親を失い、兄弟を失い、夫を失い、子を失い、青春を失い、家や財産を焼かれ、飢えながらも生きた。
空襲で焼け出され幼い二人の子を抱え、行き場に困り実家の兄の所へ行ったが「何だ来たのか。手紙で断ったじゃないか。今はみんな自分のことで手一杯なんだから帰れ」とどうしても中に入れてくれない。その時二階から母が転がるように降りて来て「何を言うんだ。妹じゃないか。おまえが入れなくても私が入れる」と言ってくれてやっと家に入れたが涙が止まらなかった。「じゃま者あつかい」
肺結核で亡くなった夫の遺体を焼いてもらうのにお棺がどこにもなくて、もういっそ敷布にでもくるんで焼き場に持って行こうと決心した時、出入りの魚売りのおかみさんがいわしの空き箱を持って来てくれてそれでお棺を作った話。「いわしの箱」
集団疎開先で親が子供に送った差し入れを教師たちが隠れて食べていた「先生のピンハネ」や白米をサツマイモで隠した弁当をみんなから離れた所で食べてい男児が教師から鉄拳制裁を受けた「白米の弁当」など、理不尽な話は「恥じの記録」としてまとめられている。
でもこの本で最も感心したのは巻末の二つの付録だよね。
付録1は「戦争中の暮らしの記録を若い世代はどう読んだか」として、この本を読んだ戦争体験のない若い人たちの感想で「暮らしの手帖」第97号に掲載されたものだ。
戦争中の暮らしがこんなに悲惨だったなんて初めて知った。
こんな悲惨な戦争を繰り返さないために今の平和を守らねばならない。
などのありがちな感想の中に、こんな悲惨な目にあいながら当時なぜ反対しなかったのか。あなたたちは現在どうして平和を守るために立ち上がらないで黙っているのか。という辛辣なものがあって驚いた。
なんだか、単なる庶民の戦争体験者であるのに、戦争責任を問われているような気がしたからだ。
付録2はこの若い人たちの感想に答える形で「戦争を体験した大人から戦争を知らない若いひとへ」と題して、戦争体験者からの感想を募り第99号に掲載したものだ。
とかく言葉少なく黙りがちだったという戦中派が、若い人のために自分の気持ちを語るのだが、二つの世代は隔絶しているような気がした。
しかしまあ、今のあたしたちにとって戦争が関わる事の出来ない過去の歴史の一つでしかない事に比べれば、実に真剣味のある議論でうらやましい気もしたものだ。