akのもろもろの話

大人の漫画読み

漫画/「松かげに憩う」天瀬シオリ

幕末動乱期の長州藩。松陰先生と門下生たちの愛しき日々。

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(天瀬シオリ「松かげに憩う」既刊2巻)

吉田松陰という人

別冊ヤングチャンピオンは、みずたまことの「バウンサー」が好きなんだけどこちらもなかなか面白いんですわ。

「松かげに憩う」は吉田松陰を描いた歴史漫画で現在2巻まで刊行しております。

 

まず物語は視点人物となる初代内閣総理大臣・伊藤博文(68才)の回想から始まる。

当時、利助と言った16才の伊藤が吉田稔麿に誘われ噂の松陰先生に習うために松下村塾に向かう。

同い年で友人の稔麿は、上士の子しか入れない藩校の明倫館に比べて松下村塾はどんな身分でも入る事ができ松陰先生は誰にでも優しく丁寧に教えてくれる、と言うのである。

実際そこには百姓や魚屋身分の者もいたが、高杉晋作(18才)のような代々長州藩の官僚を務める名家の者もおり伊藤は狼狽する。

なぜなら伊藤の家は貧しい中間で足軽ですらない。だから卑屈だ。

しかしその日松陰先生は虫の居所が悪く(誰かと口論していて絶交だ!と叫んでいた)会えなかった。

伊藤は稔麿が言うように身分で差別しない所はいいと思ったが、優しいどころか松陰の気性の激しさに幾分がっかりしながらも朝でも夜中でもいつ行っても講義してくれるんだぞ(いつ寝とるんじゃ?)嘘だと思ったら今夜もう一度行ってみろという言葉を真に受けて行ってみるのだが、果たして物音に気付いた松陰先生がそっと襖を開いて顔を見せましてね。

その場で入塾を許されるのである。

しかし何を学びたいかと聞かれ思わずみじめなのが嫌だと言ってしまう。

 

自分の人生は醜い

美しく生きるにはどうしたらいいですか

 

この時代、身分というのはいかんともしがたい。

人は生まれた時に一生が決まってしまっている。

だが松陰先生は馬鹿だ君はと冷徹な言葉を吐きますな。

 

君が中間なら僕は罪人だ(松陰は下田でペリーの黒船に密航しようとした罪で実家に禁錮中)

だがその国の法がなんだ

僕は正しいと思わないものには従わない

僕は僕の志を信じそれに忠する

君は己の心より身分なんぞに従って生きるのか

志を持てよ

身分なんて枠組みぶち壊してしまえ

怯えるな

もっと狂えよ伊藤くん

狂うた男は美しいぞ

 

身分などという誰かが作った枠組みに従って生きるなんて愚かだと言うのだ。

いやーこの時代にこういう事を言ってるのすごいよね。

クレージーとしか思われないよ。

ビビりまくる伊藤利助に「狂え」と言い放つ。

やべえやべえよ松陰先生。

 

松下村塾の当時の松陰は27歳くらいの書生であり、藩の罪人であり、実家の杉家に禁錮中の身で外出の自由もなかった。

松陰がなぜそれほど松下村塾の門下生たちや長州藩にやがては社会に影響を与えるようになったのか。

吉田松陰のどこがすごいのか。

時系列ではなく歴史を行ったり来たりしながら、実際に起きた事件や逸話を描きながら吉田松陰という人がどんな人物だったのか描かれる。

松陰は長州藩の家学である山鹿流兵学師範である吉田家の養子となり、幼い頃から秀才と呼ばれ皆から期待され19才で藩校明倫館の教授となった。

山鹿流ってアレだよね。

忠臣蔵の吉良邸討ち入りの時に大石内蔵助が陣太鼓叩いて、眠ってた吉良家の清水一学が「一打ち、ニ打ち、三流れ・・・アレは山鹿流陣太鼓!浅野か!?」って、来たなっつってガバって飛び起きるやつ(どうでもよい文章)

実家である杉家は長州藩の小禄武士でわずか二十六石だけど異様な明るさ。

とっても家族仲がよく時には全力でぶつかり合う。

叔父である玉木文之進から厳しく指導され(ほとんど暴力)、「私」を失う事を強いられ「公」の奉仕者として生きるべく教わる。

嘉永6年ついに日本に黒船来航!

国中に攘夷の嵐が吹き荒れるけど、軍事の専門家である松陰は山鹿流では欧米列強に勝てぬ事はわかっていた。

勝てぬとわかったら外国に学ぼうと密航を思い立ち、失敗したら馬鹿正直に自首してすべて話して投獄される。

この時共に行動した金子重之輔は士分ではないため松陰と違ってひどい待遇を受け衰弱して病没(23才)。

 

そんな心の傷を内包した松陰の松下村塾は、師匠が一方的に教えるのではなく松陰も共に議論したりする自由な雰囲気の学校だったらしいけど、ホントに独創的な人だよね。

一人一人の個性を尊重しその能力を伸ばすような指導をし、人生において大切なのは「志」を立てる事だと教えた。

私利私欲を除いた心で自分がこの世で何ができるか何をすべきか真剣に考えなさいと説いたのだ。

高杉晋作や久坂玄端や吉田稔麿、そして伊藤博文といった多くの若者が松陰の人間的魅力に魅せられた。

ん?でも伊藤博文はあんまり松陰先生が好きじゃなかったのかしらね。

 

松陰の愛した「狂」は行動性と気概。

狂人にならねば革命など成し得ない。

議論ばかりしてても何も変わらないのだ。

これが松陰死後、高杉たちに受け継がれ、彼らは松下村塾系グループとして一派閥を成す。

安政の大獄に連座して29才の若さで刑死するまで、多くの苦難に合いながらその心は常に明るく挫けず絶望という事を知らない。

「ここは今から倫理です。」など他作品でもそうだけど、この作家は男性をセクシーに描くんですよね。

塾生たちへの愛に溢れた優しさと「狂え」と言い出した時の烈しさの二面性が妙味ですな。

弟子の制止も振り切って突っ走る、なんて熱くて純粋なんだろう松陰先生よ。

そんな純粋で子供っぽい師匠に弟子が振り回されたり、コミカルに描かれてる場面も楽しく、松下村塾での日々は活気と可能性に満ち溢れている。

そうして純粋すぎてなんだか悲しくなってしまうのも作者の狙いであろう。

でもなんか既視感が・・・と思ったら銀魂が・・・