隻腕の剣士の刃は骨を断つことが出来るのか?盲目の剣士の刃は対手に触れることが出来るのか?出来る 出来るのだ
正気にては大業ならず。武士道はシグルイなり。
今年もいよいよ押し迫ってまいりましたな~
今回取り上げるのは、あたしの大好きな漫画「シグルイ」でござる。
「シグルイ」の原作は、南條範夫の時代小説「駿河城御前試合」である。
寛永6年9月24日、駿府城内では駿河大納言德川忠長の面前で真剣試合が行われた。
その凄惨残酷な11番勝負を書いた第1話「無明逆流れ(むみょうさかながれ)」を中心に漫画化されているのだが、なんつっても山口貴由先生の脚色が大胆かつ奔放でして、原作を大きく逸脱したオリジナリティな展開となっておりますのよ。
ご存知のように忠長は3代将軍家光の実弟でありながら、反逆の意図を疑われ領土没収のうえ切腹している。
彼が多少メンタルに異常があった事は歴史上明らかだが、作中では猟奇的なものが大好きな暗君である。
そもそも真剣を用いた御前試合なんつーのは、オマエが血の海が見たいだけだろうが・・・そう、なぜなら「シグルイ」だから。
さて、試合は当日巳の刻(午前10時)から始まったが、その第一試合の対戦者が幔幕から場内に登場した時から異常な緊張に包まれる。
西方に現れた藤木源之助は端正な顔立ちのよく鍛えられた重厚な剣士だったが、左腕が付け根からなかった。
一方、東方に現れた伊良子清玄は美貌であったが右足を引きずっており、なんとまあ両目が盲いていたのである。
ええっ!まともに戦えるのかしら?
この美剣士に幕の外まで付き添っていたのが艶っぽい大人の女でして、源之助にも二十歳そこそこの清楚で気品のある女がついてきていた。
正面に向かい一礼した伊良子と藤木が剣を抜いた時、危ぶんでいた列座の者たちは驚愕するぜ。
藤木が大上段に構えたのに対し、伊良子は刀を右足の指の間に杖のごとく突き立てたまま自分の体をギリギリと大きく右にねじったのだ。
それはおよそどこの流派に見た事も聞いた事もない奇怪な構えであった。
なぜならそれは「シグルイ」だからである。
これこそが伊良子清玄必勝の構え「無明逆流れ」であった。
実は藤木と伊良子には深い因縁があって、二人はかつて「濃尾無双」と謳われた剣客岩本虎眼の同門の相弟子だったのだ。
伊良子に付き添っていた美女は二人の師岩本虎眼の愛妾であり、藤木についてきたのは虎眼の一人娘三重であった。
この奇妙な縁に結び合わされた4人の男女が二人づつに別れ、しかも男二人は不自由な体でありながら命をかけて真剣で戦うというね。
いやもうなんでこんな事になっちゃったのよ?
だからそれが「シグルイ」なんだってば。
この作品は2003年から2010年に連載されたんだけど、今回久しぶりに再読したらやっぱ面白かったですねえ。
この作者の特徴でもある残酷描写が、チョット好き嫌いが分れるかもしれないけど。
でも人体損壊や内臓が飛び散るようなグロ描写が昔はスゴイと思ったけど、今見るとそうでもないんだよね。
人間というのは不思議なもので、残酷な描写も読んでるうちに耐性がついて平気になってしまうらしい。
最近の漫画作品は生理的嫌悪感を催すような残酷描写がやたら多いしね。
しかし山口先生の残酷描写というのは、決して奇をてらうためではなく、あえてそのような表現をする事に何かしら美学みたいなものがある気がする。
そりゃあ人は優しいにこした事はないけども、その優しさがその人の真の姿なのかはわかりかねる。
逆に残酷な行為にこそ人の本性が現れるのではないだろうか。
山口作品の残酷描写のその奥には何かとても深い物があるような気がするのだ。ないかもしれないけど。
そしてもう一つ特徴的なのが、男性キャラの全裸が多く描かれることだ。
引き締まった若い筋肉から、力強く盛り上がった男らしい筋肉まで、画面狭しとやたらに登場。
戦う衣服の下ではこのように筋肉が躍動しておるのだという表現かと思えば、必然性のない筋肉も多いから、なんだ裸が描きたいだけかよ?!とも思う。
しかし作者が男性の肉体に美意識を感じているのはあながち間違ってないだろう。
そうかと思えば腸が意味がわからないけどやたらに登場。
全裸で戦う藤木と伊良子の腹部からはみ出た腸がうまい具合に股間を隠してる絵などはもう苦笑するしかない。
伊良子はいわゆる剣の天才で類稀なる美貌の持ち主なのだが、心の中は出世を激しく欲する野心家である。
藤木と並び虎眼流の跡目候補であったが、虎眼の妾いくとの密通がばれて虎眼の必殺剣「流れ星」で両目を斬られ、いくと共に追放された。
個性的なキャラが目白押しの中で最も異様なのが虎眼先生だ。
かつては剣の達人だったのに認知症なのかしら?強靭な体躯を持った精力絶倫なエロジジイが、突然正気に戻るもんだから皆うかうかしてられない。
虎眼は一人娘の三重を跡取りを産むための道具としてしか見ておらず、三重は虎眼流の男たちは父の傀儡でしかないと考えている。
そうして実直な藤木よりも伊良子の悪魔的な美貌に魅かれているから話は複雑だ。
失明した伊良子を女の執念で再び剣の道で奮い立たせるいくもすげえ。
男も命がけだけど女も命がけなんである。
「シグルイ」という題名は武士道を説いた書物「葉隠」の一節「武士道は死狂いなり」からつけたのだという。
まさに武士道の狂気のようなものに囚われた藤木源之助の生き様は胸を衝く。
にもかかわらず余りにも生真面目すぎて、逆に滑稽に感じちゃうのも妙味だ。
密通に気づいた虎眼がいくの乳首を指で引きちぎったり、藤木の兄弟子の牛俣が木刀で人間を両断したり、虎眼流に一身を捧げるために素手で自分を去勢したり、荒唐無稽なのにへんな説得感がある。
作中に描かれる剣の道の激しさ、剣士としての執念が、実際こういう事もあるかもしれんと思わせるのだ。ないと思うけど。