ビョルン・アンドレセンという人をご存知でしょうが、彼は巨匠ルキノ・ヴィスコンティの1971年の映画「ベニスに死す」に出演した人で、当時15歳、その美貌は「the Most Beautiful Boy in the World(世界で一番美しい少年)」と称賛されて一大センセーションを巻き起こしました。
自分が生まれる前の話なんでよくは知りませんが、「ベニスに死す」は日本でも大ヒットし、ビョルン・アンドレセンは日本にもやって来て、ファンたちに熱狂的に迎えられたらしいのです。
日本語の歌まで出していたのにはちょっとビックリしましたが、つまり当時のアイドルだったんですよ。(ちなみに歌は日本語の発音がきれいで意外によかった)
「べニスに死す」でしか知らないビョルン・アンドレセンが、2019年にアリ・アスター監督の映画「ミッドサマー」に出演したので話題になりました。
50年くらい経ってるじゃん!今まで何してたんだろう?
って、みんな思ったと思うけど、当然ながらおじいちゃんになってましたが。
夏至祭の儀式でコミューンの中の老人が崖の上から身を投げる役で登場しましてね、先に飛び降りたおばあちゃんと違って足から落下したせいか両脚骨折になっただけで即死できなかったため、村人からブーイングされて頭をかち割られてトドメを刺されるという残酷な最後でドキドキしちゃったものです。
老いたりとは言えあのビョルン・アンドレセンの顔面をかち割るなんて、アリ・アスター監督わざとやってますよね!?
あたくし長い夢から覚めて現実に引き戻されたような虚無感に憑りつかれましたわ。
すべての始まりはヴィスコンティ監督との出会いです。
偉大な映画監督であり貴族でありバイセクシャルであるヴィスコンティの頂点とも言える代表作「ベニスに死す」はトーマス・マンの原作小説を映画化したものです。
この映画に欠かせないのが金髪碧眼の美少年タジオでして、難航するタジオ役をヴィスコンティ自身がヨーロッパ中を探し求めたというんですが、実際に各国の小学校などに赴き直に品定めをしてる異様な場面にはたまげました。昔の事とは言え。
ビョルンのオーディション映像も登場しましたが、確かに美しいんだけどフツーの少年でしたね。
もおジロジロ見られて色んな角度から写真撮られてそのうちヴィスコンティが「上半身裸になって」と言うんでギョっとして「えっ!?脱ぐの?ここで?」みたいに戸惑う表情は何も知らないで来ましたって感じのフツーの少年ですよ。
こういう映像を記録に残してるのは、ヴィスコンティ自身も別に罪悪感はなかったんでしょう。
でもフツーの少年が大人から裸になれなんて言われたら戸惑うし嫌ですよ。いたたまれない様子でかわいそうでした。
芸術の名のもとに何でも許されるのかー!とは思ったんですが、これがまた脱いだら本当に綺麗なんです。
なんかパンイチの映像とかもあって(監督の趣味?)お宝映像と喜んでしまいましたが、彼の場合美貌だけではなく佇まいに天性の気品があるのです。
ヴィスコンティに気に入られたビョルンは、わけがわからずイタリアに連れていかれ撮影が始まります。
「ベニスに死す」はタジオへの美に酔い美を守り美に殉じる老音楽家の物語ですが、そこには美があるだけで性的なものはあってはならないとヴィスコンティは言います。
ビョルン曰く監督は映画のスタッフも全員同性愛者で固めていて、誰もタジオを見てはならないという命令が出てたというのです。
そんな裏話も興味深く、オーディションや「ベニスに死す」の撮影風景のアーカイブ映像がたくさん出るので、それだけでも見る価値があると思ったりして。
と、始めはそう思ったんですが、段々と不穏な空気になっていくんですわ。
映画は大成功し、ビョルンの魅力を「世界で一番美しい少年」だと称したのはヴィスコンティその人だったのに、カンヌ映画祭のインタビューではなぜか「映画の中では美しかったが今はそうでもない。彼は老けた」と発言する巨匠。どういう事ですのん??
撮影時から1才年を取っただけなのに、もう彼には価値がないみたいな言い方でして、スウェーデン人だから言葉がわからない彼は嘲笑されているように見えました。
確かにヴィスコンティの魔力で、ビョルンの最も美しい一瞬だけを切り取って封じ込めた映画だとは思いますが、人として監督としてヴィスコンティの言葉の意味が解せませんし、人前でこんな発言をするのは何故?とちょっと嫌いになりました。
さらに話が進んで行くと、ヴィスコンティは自分が行くゲイ・コミュニティにビョルンを連れて行き、ここで具体的に何があったのか多くは語りませんでしたが、どうも嫌な体験をしたみたいです。
右も左もわからず身を守る術を持たなかった彼は、自分が大人の男性から性的な目で見られているという事が深いトラウマになったようでした。
もう!誰か守ってやる大人はいないのかよ!
実は彼は父親の顔を知らず母親も失踪しその後自殺していて、唯一の肉親は祖母なんですが、孫の美貌で一儲けしてセレブになろうとしてるような人物で、彼を真に守ってくれる大人は誰もいないんですよっ。
みんな彼の美しさだけを見て中身を見ていなかった。それが彼を傷つけていたんじゃないか?
これは当時の狂騒を振り返った漫画家の池田理代子さんの言葉です。
あの「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルがビョルンだったとは初めて知りました。
ヴィスコンティに見捨てられ、祖母から日本へ行って稼いでおいでと言われ、熱狂的に迎えられたものの、日本では寝る間もなくこき使われたらしいんですよ。ここはひどい話でしたね。
結局のところ、彼は美しい商品でしかなく搾取され消費され使い捨てられていったのです。
一夜にして世界的な名声を得たけど、それが大変な重荷となって、そのテの人から変な目で見られたり、見た目ばかりで判断されたり、美しければ人よりも幸せになれそうなものなのに、そこから後の人生は苦渋に満ちたものでした。
長いこと人間不信になってしまい、何年経っても美少年としての自分が大人たちの間で勝手に取り引きされる怒りや絶望を感じたと言い、密着取材で彼が語る人生はとても重くて胸が締め付けられました(しみじみ)
美少年=ビョルン・アンドレセンという、もう当たり前のような世の中の認識が彼を苦しめていたなんて。
彼は裸になるのを嫌がっていたのに、脱いだら綺麗だったなんて言う事はいけない事だったんだね。彼の苦しみに自分も加担していたんだろうかと思うと辛いですね。