akのもろもろの話

大人の漫画読み

本/「はなれ瞽女おりん」水上勉 生きるということ

水上勉はミズカミツトムと読むんだよ。

水上勉が1975年に発表した小説。

ずいぶん昔に読んだのを再読いたしました。

今読んでもすげえ面白い。いや面白いって話ではないんだが・・・心に沁みる悲しい作品。

 

瞽女とは、昭和の高度成長期頃まで実在した、盲目の女旅芸人のことをいいます。

新潟県を中心に北陸地方を転々としながら、数人のグループで三味線を弾き唄い米などの農産物と引き換え旅して歩きました。

唄う女も三味線をひく女も全盲です。

目が見えぬから前に立つ手引き女の肩に手を伸ばし、一人が続くと、その後ろをまた同じようについていく姿は印象的で、同じ形の荷を背負い瞽女笠と呼ばれる丸笠をかぶり杖をついて行く瞽女の一行はどことなく哀れに見えます。

瞽女にはそれぞれ一座があって、よく知られている高田や長岡の越後瞽女は組織化されていて、越後に母親代わりとなる親方の家があり、時期を決めて旅に出ました。

行き先は無償で瞽女たちを泊めて世話してくれる瞽女宿で、瞽女仲間と呼ばれる組織が農村各地にありました。

瞽女宿となるのは農村の地主階級の家で、瞽女が訪れると村人を集めて、三味線を奏で瞽女唄といわれる説教節に似た語りもの、時には時事小唄、その地方の古謡などが唄われ老若男女を楽しませました。

娯楽の少ない農村に瞽女が来ることは農閑期の人々の楽しみでもあったのです。

満足な医療を受けられず病気をこじらせて弱視や失明する者も少なくない時代で、福祉制度などもありませんから、盲目の女が自立して生きる道は按摩になるか瞽女になるしかなく、盲目の子供は瞽女の弟子として引き取られ修行しました。

修行は三味線をひくこと、語り文句を覚えること、盲人としての礼儀作法、旅の際の作法心得など。

彼女たちは浮世の激しい差別をできるだけ軽くするためにも卑屈になることを覚え、社会の底辺にいる者としての礼儀や、耐え忍ぶために必要な信心深さなどを身につけます。

それでも苛酷な境涯なので「目あきの世界は地獄だから、地獄が見えないように阿弥陀さまがまなこをつぶしてくださったんじゃ」と、折り合いをつけて生きることを教わったのです。

この集団が厳しい掟を課され固く結束しているのは、弱者が生きていくための知恵なのですが、それでは親方の教えを守って一人前の瞽女になれるかと言えば、なかには年頃になって男を知り、仲間から追放されてしまう者もいます。

瞽女は男と交わう事を固く禁じていて、掟を破れば刑罰として、どのような辺境の旅の途中でも脱落させられました。

はなれ瞽女と呼ばれるのはこの種の女のことで、仲間から外されると、各地の親切な瞽女宿に泊まることは許されず、村はずれの地蔵堂や阿弥陀堂をねぐらとして、孤独の身をあてどない旅に預けたわけです。

 

大正中期。第一次世界大戦が終わり、シベリア出兵や米騒動などの不況が日本中を覆った時代。

主人公のおりんは村祭りの夜、男に夜這いをされ、掟に従いはなれ瞽女となりました。

ある時は道で行きずりにあった孤児や男を手引きとして、ある時は手引きなしで北国一円を旅し、それは寄る辺のない、おそらく最後は野垂れ死にしかない漂泊の旅です。

チクショウそれにしたってクソな男しか出て来ない!

はなれ瞽女と見れば体を求めて来るいやらしさムキーヽ(`Д´)ノプンプン

どうせ逆らっても盲目の女では勝てっこないのだからとおりんは拒まない。

なかにはいくらかの銭をくれる者もいるし、たとえどんな男だって、人肌の温かさがありがたく思えたりもする(ToT)

水上氏は薄幸な女性を描くのがお上手なので、おりんの寂しさがしみじみと伝わってきますし、瞽女は卑しい盲目女と蔑まれてる感がめっちゃ悲しい。

なのに不思議とおりんは子供のように純真で素朴なんです。

瞽女は真宗の文化と深く関わっていて、これは雪国の情景と相まって、暗く悲しい空気に包まれながら、たとえようもなく美しいものがあるように感じてしまう。

ある時は、雪に閉ざされた地蔵堂で40日も動けないでいると、村の老婆が雪をかき分けてやって来ましてね、「ごぜさまは目あきの人の罪業を背負って旅をしているのだ」と言い「ごぜさまありがとうございます」おりんに手を合わせ泣かれたこともありました。

 

つらいことばかりではなくうれしいこともあり、それは一人の男と出会い一緒に旅をしたことです。

男は岩淵平太郎という名で、どういうわけだかずっとおりんについてくる。

そのうち情が湧いてきたおりんが「おらを抱いてくれ」とたまらずに言うと「それだけはできない」と断るような男でした。

おりんのことを美しい仏さまのように崇める平太郎は、男と女の関係にはなれないと言うのです。

優しい人でした。おまえはもうこんな暮らしはしなくていい、自分の妹になれと言ってくれて、下駄を売る平太郎の隣で手伝い、本当は抱いて欲しかったけどおりんは兄のように慕いました。

実は彼は軍隊を脱走して追われる身であり、孤独な逃亡者だったのです。

孤独な者同士が魅かれ合い、性愛を超えたお互いの人間性を認め合うような美しい関係になっていくのは水上氏好みかな。

だけど平太郎ったら、おりんを無理矢理モノにした男に逆上して殺人事件までおこしてしまい(意外に短絡的なのよ)幸せは儚く終わってしまう。

 

物語は岩淵平太郎脱走事件を追う警察の捜査とおりんの旅が同時進行してゆきます。

あと印象に残ったのは、もう一人のはなれ瞽女であるたまと二人旅をする場面ですが、たまは一度所帯を持ち夫が死んだので再びはなれ瞽女に戻った人なんです。

これなどは瞽女が盲目女性の生業として成り立っているわけです。

ところが死んだと思った夫が実は生きて別の女と暮らしていて、たまと別れるためにひと芝居売ったのだと後で知り、目あきの世界は本当に恐ろしいと語るんです。

またある時、盲目の孫を瞽女にしたいと相談に来た老女と孫が翌日身投げして死んだことを知り、たま瞽女の修行の厳しさを話して聞かせその上で瞽女屋敷を紹介すると言ったのに、なぜ二人が死んでしまったのかおりんにはわかりませんでした。

たぶん、厳しい修行と聞いて孫が不憫になり将来を悲観して死んだのだよね。

おりんよりも世慣れたたまにはそれがわかり、それと共に、かつて自分が世話になった親方が「目あきが生きる地獄を見ないですむ御恩をくれた親さまに感謝せねば」と、なぜしょっちゅう言っていたのかを理解します。

生きていることに感謝する気持ちを持てなければ、あの二人のように死なねばならなかったからです。

 

今の日本人から見れば、これはホント極貧で教育を受けたこともなく虫けらのような人生に見えることでしょう。

でもミジメだとかなんのために生きてるのかとか、おりんはそんな余計なことは考えず、ただただ生ある限り淡々と生きているのです。

それはあたしたちが忘れてる、人が生きる意味を知っているからだと思います。

どうにも涙が流れて止まりません。泣けた。

 

「越後つついし親不知」

親不知は昔の北陸道の難所

これも悲しい物語ですわ 5編収録