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大人の漫画読み

漫画/「日出処の天子」山岸涼子 人とは元々ひとりなのです。人は皆さびしい魂を抱えて生きているのです。

「日出処の天子」は山岸涼子が1980年~1984年にかけて月刊「LaLa」で連載してた名作漫画。

日本人で知らない人はいない聖徳太子が主人公。

1983年の講談社漫画賞少女マンガ部門を授賞。

初めにざっくりなあらすじを書きますと、厩戸王子(うまやどのおうじ・10才)と蘇我毛人(そがのえみし・14才)との出会いから物語はスタート。

毛人は朝廷一の財力を持つ大臣・蘇我馬子の長男です。

ある日、毛人は早春のまだ水の冷たい池を裸で泳ぐ少女を見かけ、その美しさと清純さの虜になってしまうんですが、それは厩戸王子の女装でありまして、王子ってばまだ10才のガキンチョなのに、頭脳&教養プラス美貌を持つ類稀なる神童なもんで、朝廷では既に一目置かれる存在なのです。

実は厩戸王子は通常の人間にはない不思議な力(いわゆる超能力)を持っていまして、実母の穴穂部間人媛(あなほべのはしひとひめ)は息子の不思議な力を畏怖していて怯えてる様子。そのせいで家族の中で厩戸だけが浮いてて、いつもひとりぼっちなのに毛人は気づきます。

この能力に気づいているのは母親と毛人だけなのですが、厩戸はこの二人だけは操る事ができず、母と違い自分を怖れない毛人に厩戸は心を開き、毛人もなんだかんだで魔性のような美少年厩戸の魅力に惑乱されてしまうのです。

とは言え、華やかな王朝絵巻の一方では血生臭い権力抗争が繰り広げられ、厩戸は邪魔者をドンドン消していくんですわ。厩戸の魔性が発動すると人が死ぬんですわ。

仏教を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が激しく対立する中(厩戸は蘇我氏派)、厩戸の父である用明天皇が崩御し皇位争いが起きるのですが、守屋が推す穴穂部王子を守屋の娘に化けて寝所でムッコロス!厩戸の犯行に気づいた別の王子は口封じでムッコロス!物部氏討伐の大軍を起こした時は雨中で四天王を呼び出しましてね(これはかっこよかった)樹の上に隠れていた守屋をムッコロス!

戦に負けた物部氏は没落し、泊瀬部王子(はつせべのおうじ)が皇位につきます(崇峻天皇)が、実権は馬子が握ったため天皇と蘇我氏とは対立、そんな時に毛人は石上斎宮の巫女であった布都姫(ふつひめ)と出会い恋に落ちてしまいまして、女嫌いの厩戸は嫉妬から策謀を巡らし布都姫を崇峻天皇の後宮へ追いやるのです。

それでも毛人が未練タラタラなので、崇峻天皇をムッコロスついでに邪魔な布都姫を毒殺しようとしたら毛人に勘づかれちゃって、一番見られたくない人に見られちゃってオロロ、つくづくこの漫画の教訓は「人は恋をすると愚かになる」ではないでしょうか。

気づけば厩戸と毛人が出会ってから10年の時が経過していて、最後は皇室史上初の女帝である推古天皇が誕生し厩戸王子は摂政となりまして「これから我が国が国交を求めるのは大国隋をおいて他にナシ」と遣隋使を送る宣言。「俺たちの戦いはこれからだ」みたいな感じに終わったのです。

 

 

これはもう40年も前の作品になりますが、古びた感じがなくヒジョーに面白い傑作です。

聖徳太子という少女漫画にはまったくもってハマらない歴史上の人物を、女装の似合う美少年で(しかも神経質な険のある美少年)超能力者で同性愛者という設定も斬新だし、繊細なタッチで描かれる飛鳥時代に心はすっかり持っていかれます。

厩戸は生まれながらの天才でして、人の心も操れるし、未来を見たり、天候を読んだり、異世界に行ったり、魔力のような力を持ちなんでもわかっちゃう。

でもなんでもわかっちゃう力はわかりたくない事までわかってしまい、母が自分を怪物のように怖れている事に傷ついていて孤独です。

そのさびしい心に共鳴する存在として蘇我毛人が登場します。

毛人は蘇我氏の跡取り息子でありながら、どこか違和感を感じているようなまっとうな人で、厩戸の禍々しさの影に垣間見えるさびしさに心惹かれます。

そのうえ二人が共鳴すると、毛人が厩戸の力を引き出したり助けたりするものですから、ツンデレで孤独な厩戸はホの字になってしまうのです。

 

毛人の実妹である刀自古(とじこ)も毛人に恋しているのですが、この社会の女っていうのは自分の意見など言えないし、勝手に婚姻を決められ、人権もなんもないヒューマンデブリなんですよ。とてもかわいそうなんです。

彼女は家父長制の犠牲者であり、過去の悲劇的なトラウマから兄しか愛せなくなってしまうんですが、それは健全な毛人に拒否られます。

だから刀自古と厩戸は恋のライバルなんですけど、愛してはならぬ相手を愛してしまった同類だからなんか心が通じ合ったりもするのです。

 

この作品の山場は、初めて二人が出会った池のほとりで厩戸が毛人に無情にもフラれる場面です。

厩戸は毛人に好きだったと告白します。

「二人がこんなにも相通じるのは元が一つの存在だったから」

「そなたとわたしが一緒になればこの世でできぬことは何もない」

「二人が力を合わせたらすべてを支配できるのだ」

などと詭弁を弄し「そなたはわたしを愛しているのだ」と言葉で支配しようとするのですが、その実厩戸は自分を愛してくれと必死で叫んでいるのです。

あの厩戸王子が情けなく愛を乞うているってのに、毛人はその気持ちに答える事ができません。

厩戸の言う意味が不可解で、自分は男だから女がいいと(つまらん奴や)・・・結局、普通の幸せを選び平凡な世界へ帰っていくわけです。

「私を愛してると言いながら、あなたが愛してるのは自分自身だ」と、殺傷力の高いセリフを残して。

二人が決裂した瞬間、厩戸の力により地面がバキバキとひび割れる描写がうまいです。

 

厩戸はその後、重度の知的障害の乞食の少女を妻に迎え、世間をあっと言わせるのですが、毛人はその少女が厩戸の母親に似ているのに気づき、自分がフッたせいだと厩戸の心の傷の深さを思うのです。永劫回帰のように、繰り返し一周してまた元の位置に戻ったように感じました。

もう人生なんてすべては無駄無駄無駄無駄無駄ってなわけで、無駄だとわかっていながら遣隋使を送り、隋から戻って来る船に積まれた何千巻という経文が海の底へ沈み、それに書かれた文字のひとつひとつが仏の姿になり泡となって消え去る。そんな未来を厩戸が透視しながら物語は終わります。

 

厩戸王子ほどの万能な人でもさびしいのですから、人はどうしてさびしいのでしょうね。

自分だけが一人ぼっちだと言う厩戸に毛人は「人とは元々ひとりなのです」と言って聞かせます。

人は皆さびしい魂を抱えて生きてるんだ(しみじみ)

恋は人を愚かにしますが、人を成長させもします。

人としての幸せは手に入らなくとも、さびしささえも超越して、孤高にある者だけが到達できる輝かしい世界に厩戸は行ったのでしょう。

 

今のような漫画のジャンルも成立しておらず、ボーイズ・ラブあり近親相姦あり、あらゆる禁忌をブッこんだ、昔の少女漫画のカオスを存分に味わおう。

kindle版で読めますよ。