「羆嵐」は1977年に刊行された吉村昭の小説
1915年(大正4年)に、北海道苫前群苫前村三毛別六線沢の開拓村をヒグマが襲った「三毛別羆事件」がモデルになっている
北海道苫前村六線沢の開拓集落の一つ、島川家がヒグマに襲われ妻と9才の子供が殺された。
ヒグマは島川の妻の遺体を引きずり窓から屋外に運び出したらしく、窓枠には根から抜けた数十本の長い毛髪が絡みついていた。
二人の通夜の席にもヒグマは乱入し棺桶がひっくり返され遺体は投げ出され、人々は恐怖で屋外に飛び出したり梁に登ったり右往左往し大混乱となる。
さらに、島川家から500メートルほど下流の明景家にもヒグマは侵入し、妊婦や子供を殺害。
わずか二日間に6名が殺害され3名が重症。
通報を受け警察が出動したが、ヒグマの脅威の前にはまったく歯が立たず、区長は荒くれ者だがすご腕の熊撃ちの猟師・山岡銀四郎を招く。
ザっとまあ、こんなあらすじでなんですが、舞台となった北海道の山間部にある六線沢の村落の描写は、開拓民たちの貧しさや北海道の冬の厳しさや時代背景などがよくわかります。
開拓民の家は、伐り出した材木を蔓で組み立てて樹皮の屋根をふいただけの物で、出入り口と窓にむしろを垂らし、床には何かの穀物の殻や笹を敷き詰めただけの粗末さでして、冬になれば深い積雪に埋もれ厳しい寒気にさらされますねん。
彼らは元々は東北地方の農夫だったのですが、度重なる水害で田畑を流され餓死寸前に陥り、娘を売る者が続出し、政府の移民奨励政策で故郷を捨て北海道にやって来た人たちなのです。
しかしながらこの事件は実に残酷でありまして。
奇跡的に難を逃れた者の証言で、妊婦がヒグマに食われながら「腹、破らんでくれ」と叫んでるのが聞こえたというね。((( ̄ロ ̄lll))) もう鳥肌が立ちそうな恐ろしさであります。
まったく序盤の惨劇には度肝を抜かれてしまいますが、ボリボリ骨をかじってる音だとか、人間を食らう凄惨な光景だとかが、いつもの緻密で淡々とした筆致で話は進む。
後半のヒグマ討伐も興味深いです。
人間の女の味を知ったヒグマは女に異常に執着するため女の柘植の櫛まで食ってたとか、ヒグマを避けようと焚き火を燃やしてもヒグマは火を恐れなかったとか、3メートルもある大物で冬眠する穴が見つからず冬になってしまい彷徨ってたんだとか、そんな怪物が猛スピードで向かって来たら、そりゃアータ銃なんかおっぽって我先にと争って逃げるナリよー
日頃から銃を所持してるのを自慢してた人達ったら、いざ発射したら不発ってアラアラ(手入れが悪かったのです)
意気揚々とやって来た警察の救援隊も二百名はいるんですが、大人数過ぎていたずらに混乱するだけ。なんかしょーもねー
人間は他の動物の最上位にいるなんて思ってたらとんでもねぇよ。
ヒグマのが圧倒的に強いよ。
それにしても、大自然の中で生きとると言うのに、人間の無知というか甘さが思い知らされました。
物語の視点人物である区長さんが、こいつらじゃ役にたたねえと、苦渋の決断で熊撃ちの銀四郎を呼びます。
銀四郎はすご腕だけど、乱暴者で酒乱でみんなの嫌われ者。
しかしもうね、ヒグマを倒せるのはこの人しかいないって招へいされるわけ。
満を持して登場。
いよっ、待ってました!
すご腕がヒグマを仕留めてクライマックスだなって思うでしょ?
仕留めた後の話があるねん。これがアカン。
犠牲者の通夜で酒が出て、銀四郎はやっぱ酒乱で豹変してしまう。
そして「きさまらはずるい。ペコペコ頭を下げたりおべっかを使ったりするな。それですませようとするきさまらのずるさが嫌だ」と怒り出すのです。
みんな恐怖に慄くだけだったけど、銀四郎だってあのヒグマの前ではただの人間でした。
長年に培った猟師の経験と腕でやっとこ渡り合ったけど、それはもう命がけでした。
銀四郎はその対価に金を要求するけど、でも本当に欲しかったのは金じゃないはずです。
銀四郎を見て来た区長には、彼の粗暴な態度の裏には寂しさがある事をわかっていました。
妻子に去られた悲哀から荒んだ生活をする銀四郎は、山で熊を追っている時だけその悲哀を忘れられるのです。
人間社会に馴染めない厄介者がヒグマと戦う時だけは「神と神」みたいなのが秀逸で、作者の人物造形が光ります。
初弾はヒグマの心臓部を貫いて骨に食い込み、第二弾が頭部を貫通していたっていうんだから、えらいこってす。
未開の山林に村落が形成されたのは、自然の秩序の中に人間が強引に闖入してきたことでありまして、当然そこには古くから棲みついた鳥獣がいました。
人間は彼らと同居しているのですが、それをちっともわかってなくて、自然は全て自分たちの物だと勘違いしています。
ってか、ヒグマの方が開拓や森林伐採で生きる場所を追われた被害者ですよね。
人間というのは自然の中の一員であるという意識があまりにも欠如してると思いました。
この小説は単に事件の顛末を書いたのではなく、読後色々と考えさせられたのが良かったとこです。
銀四郎はゴールデンカムイの二瓶鉄造のモデルと知り読んでみました。
でも銀四郎の心理はもっと複雑で物悲しい気がしましたね。
手に汗握る面白さ