「聖の青春」(さとしのせいしゅん)は将棋棋士・村山聖の一生を描いた、2000年に刊行されたノンフィクション小説
まず初めに、わたくし将棋は、子供の頃にお父さんに駒の並べ方を教わった程度ですが、この作品は将棋の知識がなくても全然オッケー!です。一応。
とは言うものの、将棋の世界の知識や情報を補いかつ豊かなものにしてくれますよ。
あたしが村山聖という人を知ったのは、2016年に「聖の青春」の映画化を観たんですが、主演の松山ケンイチさんが20㎏増量して渾身の演技で挑んでてチョット感動させられ、興味を持ったのです。
さて、将棋をよく知らないあたしでも、羽生善治という名前は知っていました。
その羽生さんが無双だった時代、いわゆる羽生世代で「東の羽生、西の村山」と並び称されていた事、病気と戦い29才の若さで早世してしまった事。
あと、羽海野チカの漫画「3月のライオン」に登場する二階堂くんのモデルになったとゆうのも有名な話なんですが。
なんて言ったらいいか、村山ショックでした。
村山さんの生き方が、まるで命を燃やすような、命がけで、それこそ人生のすべてをかけて、ひとつの事をまっとうしようとする姿に深く心を打たれました。
作者の大崎善生氏はこの作品がデビュー作なのですが、当時将棋雑誌の編集者でもあり、生前の村山さんからマンションの合鍵や銀行通帳などを預かるほど親交が深かった人です。
なので作者しか知らないであろうエピソードや、身近にいた人だからこそ書ける内容になっています。
村山聖は5才の時から腎ネフローゼという病気を患っていました。
フツーなら子供は小学校や中学校へ行くんですけど、彼が通ったのは病院に併設された院内学級や養護学校でした。
この病気は安静が大事ですから、遊び盛りの子供がそういう本能を抑えてじっとベッドに横になっていなければなりません。
また、同じ部屋に入院していた子供の死に出会う事もありました。
病院は死と隣り合わせの場所であり、自分自身もいつも死のすぐ横にいるようで、恐怖に怯えながら黙って耐える。
こういう経験が村山聖の死生観を作ったんですよね。
父親が入院生活の気晴らしになればと教えた将棋に聖はのめり込み、病院のベッドで将棋の本を片っ端から読破して独学で覚えました。
とにかく小さい頃から集中力がすごかったらしい。
両親は将棋とはまったく無縁の人たちですが、聖のためにできる事ならなんでもしてやりたい一心でした。
もっと早く気づいていればという後悔とか、子供が苦しんでても何もしてやれない不甲斐なさとか、病気の子供を持った親の心は本当に切ないんだよね。
聖は13才でプロを志し森信雄に弟子入りしました。
プロの将棋士になるには、奨励会に入会し四段まで昇段して初めてプロになれるのですが、まずはプロの師匠に弟子入りして推薦してもらい奨励会の入会試験を受けるのです。
すったもんだがあるも無事に奨励会に入会できた聖は、親元を離れ師匠と同居しながら中学に通い将棋の勉強をしました。
30才で独身の森と13才の聖との師弟関係は実に珍妙でして、森は通学のため自転車に乗ったことがなかった聖に自転車の練習をさせたり、床屋に行きたがらない聖を引っ張って行ったり、時にはパンツも洗ってやり、少女漫画好きな聖に頼まれて本屋を回ったり、二人で近所の定食屋に通い、高熱を出せば一晩中看病しました。
「森先生、42度になったら、僕死にます」と言うから、体温計はもう41度を越えてたけど「今40度やなあ」と、ごまかしたりする。
どっちが師匠なのかわからぬほど、森は持病を抱える聖を親身に世話して支えたのです。
聖は奨励会入会からプロ入りまで2年11カ月という異例のスピードでプロデビューします。
将棋の世界って、勝つか負けるかしかない。
聖は常に「どうして将棋を指すのか?」と自分自身に問うている。
「将棋は殺し合いだ!負けた方は死ぬんだ!」という言葉に、将棋への純粋な思い入れの深さ、激しさを感じます。
自分は長く生きられないであろうと覚悟しているからこそ、焦燥に駆られ、ギリギリのところで踏ん張って命がけで将棋を指す。名人になりたい。
その反面、彼が本来持っている優しさが、そんな非情な世界に生きるジレンマとなり苦しんだりもします。
そうして、体調の問題はいつもついて回ります。
対局に行こうとしても体調の悪さに、アパートの前でうずくまって一歩も動けなくなっていると、近所の人が車に乗せてくれる。
這うようにして対局場に行き、想像できないくらい最悪な体調で、健康な人間だって大変なのにあれだけの頭脳戦をやるのです。
すさまじい精神力。そして将棋にかける執念を感じます。
しかしながら森は、いつまでも自分に頼っていたら強くなれないと自立を促し、聖の面倒を見るのをやめてしまう。
厳しいっ。
勝負師が生きる世界は厳しいねん。
そんな体でも聖は人生を楽しもうとしたように思います。
随分と酒を飲み麻雀もやりましてね、喧嘩もしました。
不摂生してたらアカンやろ?と感じたけど、ただ大人しく医者の言う事を聞いて長生きしても、そんな人生では意味がないと考えたんじゃないですかね?
北海道へ一人旅を敢行したり、少女漫画と推理小説と将棋の本に埋もれた部屋でボロボロの体を癒し、体調を崩しては母親を呼び、なのに腹を立てて追い返す。
我々は時間が無限にあると思いがちですが、自分の時間は有限だとわかっていた彼は、時間というものをとても大切にしたのです。
彼は「僕の夢は早く名人になって将棋をやめてのんびり暮らす事」と「素敵な恋をして結婚したい」と言ってたそうです。
彼には青春なんてあったのだろうか?
学校へ行ったり友達と遊んだり恋をしたり、若い男の子が経験するような事はなにも出来なかったのに。
将棋界にはあたかも羽生善治という天才が大旋風を巻き起こしていました。
圧倒的な強さを誇る羽生に迫る勢いを持つのが「西の怪童」と異名を取った村山聖でした。
けどこの作品を読むと、羽生さんに対しては敵愾心というより、とても認めていて、その強さに憧れてもいたのだといいます。
東京でガンが見つかり、大阪に撤退し、故郷の広島に戻ってから、入院中に最後に会いに行った棋士も羽生さんだったそうです。
将棋盤を挟んで二人だけがわかりあえる世界があったのだろうか?
将棋が出来なくなるからと鎮痛剤のような薬はいっさい拒み、癌の痛みに耐え抜こうとしたというのも驚きです。
時折、作者の村山さんに対しての思い込みが強すぎてやり切れないなあと思う箇所もあるのです。
でもね、あんな生き方は誰にも真似できないもの。
どんな苦しみにも耐え、のたうち回りながら、村山さんはいつも夢に向かって進もうとしました。
どうしてあんなに強く夢を目指して生きられたのだろう?
それは、将棋が彼にすべてを与えてくれたからです。
その人生はあまりに悲しく思えるけど、そんな風に思われる事を村山さんは嫌ったのです。
いつも病気の事で同情されたりする事を一番嫌がったのです。
それに村山さんの生き方を見ていると、病気や障害を持っていても遠慮せずに自分のしたい事をやればいいんだよって、言ってるような気もします。
その短い人生の最後の最後まで夢に向かって進もうとする人の力強さを、まざまざと見せつけながら。