「牧神の午後」は1989年に発表された山岸涼子の漫画です。
20世紀初頭、バレエ・リュスの創成期に活躍した天才バレエダンサー、ニジンスキーの悲劇の生涯が描かれてます。
さてニジンスキーです。
そしてバレエ・リュスですよ。
時は1909年5月パリ。
ロシアの興行師セルゲイ・ディアギレフは、シャトレ座でバレエ・リュス(ロシアバレエ団)を旗揚げしまして、公演は大成功を収めました。
当時フランスでは、バレエは低俗でバレリーナは娼婦ぐらいにしか思われてなかったのですが、ディアギレフはロシアから帝室マリインスキー劇場のバレエをまるごとパリに持ってきて、その芸術性の高さをパリの人々に見せつけたのです。
これがウケた。
中でも観衆を魅了したのがヴァ―ツラフ・ニジンスキーです。
この時ニジンスキーは、最後に走り去る場面で衝動的に跳躍したのですが、舞台のほぼ中央から跳んでカーテンに到達した時がちょうど跳躍の頂点だったと言いますから、もう驚異的な脚力じゃないですかー!?
ニジンスキーが飛び去った後も思わず身を乗り出すほど人々は興奮し、彼が再び舞台に登場するとその躍動する超絶テクに魅せられ見入りました。
ニジンスキーは当時19才。
どのくらい高く跳んだのか、実に見てみたいものだね。
空中で止まって見えたそうですが、残念ながら彼が踊る映像はひとつも残されていないんです。
写真は残っていますが、不思議なことに現存する写真を見るとどれも違う印象でしてね、あれれ同一人物なのかな?と感じるほどです。
作中では、視点人物となるバレエ・リュスの振り付け師ミハイル・フォーキンが、普段は無口(ってかコミュ障?)なニジンスキーが、舞台衣装を着け終わると顔が変わり、雰囲気も変わり、まさに役に憑依してる!と驚愕しちゃう場面があり、それほど凄かったってわけよ。
大評判のパリ公演の最後の夜、アンコールの嵐でカーテンは何度も何度も上がり、さすがに疲れた様子のニジンスキーを気づかいフォーキンは声をかけます。
「いや・・・別に・・・ちょっと・・座りたいらしいんだ」
(。´・ω・)ん?
座りたいじゃなくて、座りたいらしい??
おいおい言葉使いおかしいぞ。
ニジンスキーってば、この時チフスに罹っていて39度の高熱だったのです。
自分が病気と気づかないなんてどういうこっちゃねん?幼児か!?
こいつは放っておけば死ぬまで踊ってしまう人間だとフォーキンは愕然とします。
そうして、舞台で彼の憑依状態が頂点に達した時には、彼の背後から黄金のようなオーラが立ち昇るのを目撃します。
まさに!人を超越した人ならざるもの!!
でもね、光があればそれとは逆の濃い影がニジンスキーにまつわり付いていることに、フォーキンは気づきます。
天才ニジンスキーに興味津々で近寄ってくる人々を、ニジンスキーはピントのずれた返答をしては失望させます。
まあ天才ってのは天然発言をするものですよ。
我々凡人には天才の言葉が理解できないから天然に聞こえちゃうんです。
けれどフォーキンの感じた影はそれとはまた異なるものです。
ジャン・コクトーはニジンスキーと会った時、ずーっとニジンスキーが首を右に傾げたままなのに度肝を抜かれ「ニジンスキーはへんな奴だった」と友人に語りました。
人とのコミュニケーションが苦手で、踊っている時以外は引きこもりのようでした。
フォーキンはニジンスキーの天才の源は、既成の事実に囚われない子供のような感受性にあると推測しました。
しかしそれは日常生活に適応できない性格と表裏一体でありまして、アラアラこの子この先大丈夫なのかしらん?と、どうにもニジンスキーの将来が不安になります。
ところでディアギレフですが、彼はロシア革命前夜の機運にいち早く乗り成功を収めた伝説的な興行師で、バレエ・リュスの総合プロデューサーでもありまして、ニジンスキーの出世は彼があってこそでした。
「天才を見つける天才」と言われたディアギレフは同性愛者でして(バレエ界では珍しくもありゃしない)彼は若く才能ある青年を一流の文化に触れさせ育成するという愛し方をする人で、ニジンスキーは最愛の恋人でした。
が、ニジンスキーは表面上はディアギレフに従いながら、どこか別なところを見つめているようでした。
人を容赦なく切り捨てる非情な面を持つディアギレフは、もうフォーキンの振り付けは古いと言い出しニジンスキーに振り付けをするよう勧めまして、これがアータ!踊りの天才は振り付けの天才でもあったんです。
ディアギレフの目のつけ所は常に鋭いんだよね。
こうして1912年5月、パリ・シャトレ座で「牧神の午後」は初演されました。
振り付けと主演の牧神はニジンスキー。
ニジンスキーはここでは華麗な跳躍を一つも入れず、ギリシャの水がめからヒントを得たポーズを振りつけるという画期的な作品を発表しました。
画期的すぎて観客は戸惑い、しかしこの作品は別の意味でも物議をかもしました。
有名なラストシーンは、ニンフに逃げられ取り残された牧神がオナニーするΣ( ̄ロ ̄lll)
っていう、とんでもなくスキャンダラスな舞台に観客は凍りつき賛否両論の嵐でしてね、もーニジンスキーったらすごいわね~
騒ぎを起こすために踊ったんじゃないと落ち込むニジンスキーを、ディアギレフは飴とムチでなだめます。
ディアギレフはスキャンダルが呼ぶ宣伝効果を熟知してますから大満足で、ニジンスキーの気持ちにはお構いなしです。
ディアギレフはニジンスキーを愛していましたが、ニジンスキーだけを愛していたわけではありません。
真性のゲイであるディアギレフと違って、バイであるニジンスキーは相手の純愛だけが拠り所ですが、ディアギレフが陰で別の青年ともつきあっていることで、ニジンスキーの心には棘がささったままです。
1913年、バレエ・リュスは南米公演を行い、その航海中でニジンスキーは自分の大ファンでバレエ・リュスに押しかけ団員にまでなったハンガリー貴族の令嬢・ロモラ・ド・プルスカと電撃結婚しました。
この報せを受けたディアギレフは激怒し、二人はバレエ・リュスを解雇されてしまいます。
ディアギレフは決してニジンスキーを許そうとはしませんでした。
他に愛人を作ったりしたけど、やっぱニジンスキーを愛していて、愛が憎しみに変わってしまったのです。
ニジンスキーが欲しかったものは自由なのか?
それとも愛なのか?
彼の心は誰にも見抜けません。
この後ニジンスキーは次第に狂っていったからです。
新たなバレエ団を旗揚げするもマネージメントなどできるはずもなく、心労から鬱状態になったり、第一次世界大戦が勃発すると妻の出身国であるハンガリーにいたニジンスキーは軟禁されたりもうさんざんでした。
天才は不幸だと言う通り、1919年に最後の公演をしてからは、奇行が目立ってきて入院しその後二度と踊らなくなりました。
ほんの数年でした。
人々を熱狂させ、あっという間にニジンスキーは消え去ったのです。
ニジンスキーは今日のモダンバレエの基礎を築いたそうです。
ロシアバレエの伝統の体制の中で育った人間が、それを全く否定して新しいものを作り上げるなんて、天才ってすごい。
しかしながら山岸氏は「翼を持った者には腕がない」と書かれておられます。
踊る翼を持ってこの世に舞い降りたニジンスキーに、神は地上での幸福をつむぐ腕を与えなかったと。
山岸涼子作品は最近kindleで読めるようになったので嬉しい限りですねん