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大人の漫画読み

漫画/「へうげもの」山田芳裕 感想

「へうげもの」は2005年から2017年まで「モーニング」で連載されました。

主人公の古田織部は戦国から江戸時代にかけて生きた武将でして、千利休の弟子でもあった茶人です。

茶人て言うからシブいお人を想像してると全然違くて、もーねー腹がチギレるほど面白い人なんですよ。

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(山田芳裕「へうげもの」全25巻)

安土桃山時代に流行した茶の湯では風流を楽しむ事を「数奇」と言いまして、茶道具は貨幣的な価値を持ち政治にも利用されました。

中でも「名物」と呼ばれる茶道具には、それ一個で城が買えるほどのどえらい値がついたのです。

時の権力者である織田信長は「世の中を治めるには武だけでなく箔がいる。織田にとって朝廷であり名物群が箔である」などとのたまいました。

天才信長は家臣に与える土地がもうないんで「名物」を報償として与えたのでして。

ウーン、でもー、茶碗とかもらってうれしいのかな?

しかし信長マジックによって、この時代では「名物」を所有する事が一つのステータスとなっております。

この作品は、信長から秀吉・家康・秀忠と時の権力者に仕えた古田織部の「へうげもの」としての生き様が描かれていまして、よくある歴史漫画とは違い「数奇」という側面を切り取ったオリジナリティ溢れる作品ですねん。

それにしたって不思議なのは古田織部ですが、なんつーか「数奇」って趣味でしょ?

武家社会をある意味趣味で出世していくんですけど、またそれが命がけでしてね、封建時代にこんな人がいたんだねえ。

 

前半では織田家に仕える織部(当時は古田左介)が、武将として生きるべきか茶人として生きるべきか密かに悩んでいるのですが、冒頭では激しくも象徴的な二人の人物が登場します。

松永久秀と荒木村重です。

古田左介は信貴山城に籠った松永久秀に「名物の平グモの茶釜を渡せば裏切りを許すと交渉しろ!」と信長から命じられるのですが、数奇者の左介は久秀との話し合いも上の空で「平グモの茶釜」に目が釘付けになってしまいます。

もう見ただけで大興奮でして「話を聞け!きさまあああ!!!」と久秀に怒られる始末。

久秀は死んでも信長には渡したくないと断り、平グモの茶釜を首からぶら下げ「信長よ涅槃で待つ」とつぶやき爆死します。

久秀は武人として滅びる道を選んだわけです。

 

一方、荒木村重の謀反では城を捨てて逃げようとする村重を捕らえたものの、自慢の名物を夜逃げみたいに多数背負っていまして、左介はその中の「荒木高麗」という名物の茶碗欲しさに村重を見逃してやります。

左介の物欲の深さにあきれちゃうも、この作者の特徴であるダイナミックな顔芸が笑える。

村重は武人としてのすべてを捨て数奇の道を選んだのですな。

後に荒木道糞(道端に落ちてる糞だよ)と名を変える村重に「たとえ卑屈になっても生きてさえいれば良い物を愛でられるわしの勝ちじゃ」と言われ、左介はその凄まじい生き方に圧倒されます。

 

それにしても当時の人の価値観がよくわからん。

茶道具が人の生死を左右するとかどんな魔力なのか。茶碗なんかに魂を奪われるなんてこと考えられませんが、この時代には彼らのように武人として生きながらも「数奇」という趣味を持つ者たちが結構いてそれがカッコいいって思われてたんだよね。

だから自分こそが一番の数奇者だと悪目立ちしようとする人なんかもいて、本人はとても真剣なんだけど失笑してしまいます。

歴史上有名な武将だけでなく、この時代の文化人や芸術家、知ってる人も知らない人も超個性的に描かれていまして、その数奇にかける思いにはこれまでとは違う日本人像を見るかもしれません。

 

古田左介は信長の茶頭である千利休に茶に招かれ弟子となります。

利休は茶人というよりも哲学者や宗教家といった風の偉人ですな。

180㎝位あったらしい。茶室はちっちゃいのにね。

利休は唐物の名物茶道具を珍重する信長に対し、自分の価値観で作った黒の茶碗が至高である事を天下に証明しようとしていました。

秀吉と組み信長の世を終わらせようと企んでいたのです。

作中では「本能寺の変」は利休と秀吉が共謀したという説を取っています。

秀吉のいわゆる中国大返しのあまりの手際の良さから、光秀は秀吉にそそのかされたのではないかという説ですな。

この作品の光秀は本心から家臣や民の行く末を思い信長を討つのですが、その動機がエラ過ぎちゃって、かえって誰も光秀を信じてくれないというね。

光秀はその最後に「死に近づけば近づくほど、わびもわかってくる」という利休の言葉を思い出します。

笑えるし泣けるのよー

 

そうして信長が死に豊臣政権が誕生すると、権力者となった秀吉は信長のように華やかな物や贅沢な物を欲するようになり、利休のわび茶とは次第に対立してしまうんです。

利休は多くの大名に影響力を持ち弟子からも慕われましたが、切腹へと追い込まれてしまいます。

 

後半は古田織部として利休に変わる御茶頭となり茶人としての自分の道を見出して行きます。

「人と違う事をせよ」という利休の教えに導かれて、利休の「わび」とは違う「へうげ」こそ己の在り方だと悟るのです。

へうげる(ひょうげる)は剽げるとも書き、ふざけるおどけるの意味です。

真面目な「甲」ではなく、どこか抜けている「乙」を良しとするセンスは、この時代に似つかわしくない個性です。

なんか思わずクスっと笑ってしまうのが良いっていうのは、感覚的なもので説明が難しいんですけど織部の感性に驚きます。

だって武家社会に生きた人だよ。ひょうげものやべー

織部は利休の流れを汲みながら新たに独自の美を作り出そうとし、茶の湯、焼き物作り、作庭や建築などで「織部好み」という一大ムーブメントを巻き起こすのです。

でも極めようとしながらも、すごくユルいの。奥義は脱力なんです。

そして「へうげ」で大事なのは「一笑」と言ってユーモアの事です。

でもでも、信長や秀吉と違い家康を筆頭とした三河軍団は野暮でユーモアを解しない人達でした。

華やかで明るかった信長や秀吉の時代とは違い「へうげ」のわからぬ家康の天下は、数奇者にとってはつまらぬ世です。

それでも織部は怒りもいなして面白く生きようとします。

「へうげ」こそ人の和へと繋がると考えるからです。

堅苦しい武家社会にあってもユーモアが大事だという感覚は、今に生きる我々にも通じるものだと思うのです。

 

 

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