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大人の漫画読み

漫画/「シグルイ」原作南條範夫・ 漫画山口貴由 感想

今回取り上げますのはあたしの大好きな漫画「シグルイ」でございます。

「シグルイ」は2003年から2010年に連載されたのですが久し振りに再読したらやっぱ面白いですねえ。

この作品の特徴でもある残酷な描写がかなり好き嫌いが分れるかもしれませんが。

(山口貴由「シグルイ」全15巻)

「シグルイ」の原作は南條範夫の時代小説「駿河城御前試合」でして、これは寛永6年9月の駿府城主德川忠長の11番の御前試合をモキュメンタリー設定で書いた作品です。ちなみにモキュメンタリーとは虚構の物語を事実を伝えるドキュメンタリーのごとく演出する表現のことです。

忠長は3代将軍家光の実弟ですがご乱行の数々もあって堪忍バッグの緒が切れた家光から改易のうえ切腹となったのですが、作中でも猟奇的なもの大好きな暗君として描かれています。

血の海が見たい忠長のお望み通り11番勝負は真剣で行われ敗者は死に相打ちならば両者が死ぬという死ぬわ死ぬわなんとも血生臭い凄惨を極めた試合となります。これが「シグルイ」なのです。

「シグルイ」はその11番勝負を書いた第1話「無明逆流れ(むみょうさかながれ)」を中心に漫画化されているのですが、なんと言いましても山口貴由氏の脚色が大胆かつ奔放で原作を大きく逸脱したオリジナリティ展開となっています。

さて、試合は当日巳の刻(午前10時)から始まりましたが、その第1試合の対戦者が幔幕から登場した瞬間からもう場内は異常な緊張に包まれるわけです。

西方に現れた藤木源之助は端正な顔立ちのよく鍛えられた重厚な剣士でしたが、左腕が付け根からなかったのです。

一方、東方に現れた伊良子清玄(いらこせいげん)は右足を引きずっていて、なんとまあ両目が盲いていたのです。

えええっ!隻腕と盲目の剣士の取り組みですと!?

正面に向かい一礼した伊良子と藤木が剣を抜いた時、危ぶんでいた列座の者たちは驚愕します。

藤木が大上段に構えたのに対し、伊良子は刀を右足の指の間に杖のごとく突き立てたまま自分の体をギリギリと大きく右にねじったのです。

それはおよそどこの流派に見た事も聞いた事もない奇怪な構えでした。なぜならこれが「シグルイ」なのです。

伊良子清玄の「無明逆流れ」の構えです。

実は藤木と伊良子には深い因縁があり、2人はかつて「濃尾無双」と謳われた剣客岩本虎眼(いわもとこがん)の同門の相弟子でした。

2人とも幕の外に女性が付き添ってきて勝負を見守っており、伊良子についてきた艶っぽい美女は岩本虎眼の元愛妾「いく」であり、藤木についてきた二十歳そこそこの清楚な女は虎眼の一人娘「三重」でした。

この奇妙な縁に絡み合った4人の男女は2人づつに別れ、しかも男2人は不自由な体でありながら命をかけて真剣で戦うというね。いやもうなんでこんな事になっちゃったの?だからそれが「シグルイ」なのです。

でも人体損壊や内臓が飛び散るようなグロ描写が昔はスゴイと思ったけど、今見るとそうでもないんですよね。

人間というのは不思議なもので残酷な描写も耐性がついて平気になってしまうらしい。

最近の漫画作品は生理的嫌悪感を催すような残酷描写がやたら多いから。

しかしこの作品の残酷描写は決して奇をてらうためではなく、あえてそのような表現をする事に何かしら美学みたいなものがある気がします。

そりゃあ人は優しいにこした事はないけれどその優しさがその人の真の姿なのかはわかりません。

逆に残酷な行為にこそ人の本性が現れるのではないでしょうか。

この作品の残酷描写のその奥には何かとても深い物があるような気がします。ないかもしれないけど。

そしてもう一つ特徴的なのはとにかく男性キャラの全裸が多く描かれることです。

引き締まった若い筋肉から力強く盛り上がった男らしい筋肉まで画面狭しとやたらに登場。戦う男の衣服の下ではこのように筋肉が躍動しておるのだという表現かと思えば、必然性があるとは思えない筋肉も多いから、なんだ裸が描きたいだけか?!とも思います。

まあ作者が男性の肉体に美意識を感じているのはあながち間違ってないでしょうね。

そうかと思えば内臓が意味わからずやたらに登場。全裸で戦う藤木と伊良子の腹部からはみ出た腸がうまい具合に股間を隠してる絵などはもう苦笑するしかありません。

伊良子はいわゆる剣の天才でしかも美貌なのですが、出世を激しく欲する野心家でありそれを隠し虎眼流に入門して来ます。

少年の頃から黙々と修行してきた藤木と並び虎眼流の跡目候補にまでなりますが、虎眼の妾いくとの密通がばれて虎眼の必殺剣「流れ星」で両目を斬られ、いくと共に追放されてしまうのです。

個性が強すぎるキャラが目白押しの中で最も異様なのが虎眼先生でして、かつては剣の達人だったのに認知症なのかしら?強靭な体躯を持った精力絶倫なエロジジイを妾のいくにお守りさせ突然正気に戻ったりするので門弟は皆うかうかしていられません。

虎眼は三重を跡取りを産むための道具としてしか見ておらず、三重は虎眼流の門弟たちは父の傀儡でしかないと考えています。

それは藤木も同様で実直に見える藤木より伊良子の悪魔的な美貌に魅かれてしまうから女心は悲しいものです。

また失明し剣士としての道が絶たれた伊良子を女の執念で再び剣の道で奮い立たせるいくも素晴らしいです。男も命がけだけど女も命がけであります。

「シグルイ」という題名は武士道を説いた書物「葉隠」の一節「武士道は死狂いなり」からきています。

作中に描かれる剣の道の激しさ剣士としての執念は、まさに武士道の狂気に囚われて生きる藤木源之助の悲劇で胸を衝くのです。

にもかかわらず余りにも真面目すぎて逆に滑稽に感じちゃうのが妙味なんですよね。