日本でも馴染みの深いフランスの象徴派詩人ポール・ヴェルレーヌは、1844年ドイツに隣接したメスの裕福な家庭に生まれ、21才で処女詩集「サテュルニアン詩集」を刊行します。
25才で結婚し長男も生まれますが、ヴェルレーヌは少年時代から自分がホモセクシュアルである事に気づき悩んでいましたから結婚することで自分を変えたかったのです。
そんなヴェルレーヌの前に、まるで運命のように現れたアルチュール・ランボーは弱冠17才の美貌の少年です。
ランボーは1854年にシャルルビルで生まれ、父は軍人でしたが後に両親は離別しています。
地元では神童と言われ15才から詩作を始めましたが、親も地元も嫌いだったランボーは家出を繰り返し放浪しながら詩を書いたのです。
16才の時、パリで既に流行詩人となっていたヴェルレーヌに手紙を書き自分の詩を送ります。
ランボーの才能に驚愕したヴェルレーヌは旅費を送りパリに招きました。
実はその頃ヴェルレーヌは、平穏な結婚生活によって詩が書けなくなっていて焦燥していました。
そこへ天才ランボーと邂逅してしまったのですから大変です。
ランボーに魅せられたヴェルレーヌは友人の詩人たちに紹介したり引き立ててやり、おかげで天才詩人と華々しくも注目が集まります。
なのにランボーったら、詩人仲間にわざと不快感を与えるように挑発したり罵ったり突飛な言動を繰り返すものですから、最初はその型破りな才能を畏敬の念で見ていた人々も呆れるようになり次第に詩人グループから孤立してしまうのです。
ランボーの味方はヴェルレーヌだけとなりますが、そうなればなるほどヴェルレーヌはランボーに夢中になってしまいます。
・・・とまあここまで書いて、既にあたしの脳内には若き日のレオナルド・ディカプリオの麗しい姿が浮かんでおります。
ランボーとヴェルレーヌの話題には必ず登場する1995年の映画「太陽と月に背いて」です。
ディカプリオがランボーを、デヴィッド・シューリスがヴェルレーヌを演じています。
今やオスカー俳優として押しも押されもせぬディカプリオが、最もキレイだった時じゃないかしらね。
ディカプリオファンには垂涎の作品ですがファンじゃない人は見なくてもいいかな。
下衆な話で恐縮ですが、この映画で衝撃だったのはヴェルレーヌがオヤジ受けかつ不細工受けだったことでして、実際若いランボーの方が男性的でヴェルレーヌは引きずられていました。
ヴェルレーヌには優柔不断で甘ったれた所があり、妻にDVを働いた挙句に別れ話を切り出されるけど決断できません。
ランボーが好きだけど妻とも別れたくないのです。
ランボーは詩人は見者(見える者)でなければならないと主張します。
詩人として覚醒するにはあらゆる感覚の陶冶と解放で未知に到達しなければならないのだと。
共に芸術家としてもっと高みを目指そうと言うランボーと、失うものがない若いランボーと違いヴェルレーヌには妻子や名声がありますから、高くは飛べないヴェルレーヌの間には常に派手な痴話喧嘩が勃発しました。
まあ目立ったでしょうねこのカップル。
2人は一緒に暮らしイギリス、ベルギー、北フランスを転々と放浪しながら、革命を支持し詩を書き酒浸りになり取っ組み合いの喧嘩をしては和解を繰り返しました。
でも結局うまくいきませんでした。
1873年、大きな諍いが起こります。
市場で買った魚を持って帰って来たヴェルレーヌを意地悪なランボーがオバサンみたいだとからかったのです。
怒ったヴェルレーヌは魚を投げつけると部屋を飛び出し、そのままアントワープ行きの船に乗りロンドンから去ってしまいます。
一文無しのランボーを残して。
ブリュッセルに渡ったヴェルレーヌは妻に「よりを戻したい!ブリュッセルに来て欲しい!来なかったら死んじゃうから」と情けない手紙を書きますが当然妻は来ません。
同時にランボーにも手紙を書いていてランボーもブリュッセルにやってきました。
7月10日、2人はホテルで1日中言い争いヴェルレーヌは支離滅裂になっていました。
ランボーがパリへ帰ると言うと、酒に酔ったヴェルレーヌが逆上しランボーに向けて拳銃を2回発砲したとされます。
1発目はランボーの手首に当たり、2発目は壁に当たりました。
ランボー18才、ヴェルレーヌは29才でした。
ヴェルレーヌは逮捕され懲役2年の実刑を言い渡されました。
これが有名な「ブリュッセル事件」です。
この時使用された6発式のルフォショー銃が、2016年11月にパリのオークションで43万4500ユーロ(約5260万円)で落札されて話題になりました。
ブリュッセル事件で大きな溝が出来てしまった2人の関係は、ヴェルレーヌが娑婆に戻っても修復されませんでした。
芸術家としての本質的な違いに気づいたランボーは、ヴェルレーヌの未練に答えませんでした。
ランボーはシャルルビルに戻り「地獄の季節」を完成させました。
その後再び放浪が始まりランボーはもう詩を書くのをやめアフリカで武器商人になったり様々な職業を経て各地を転々とし37才でマルセイユで病死しました。
一方のヴェルレーヌは教職を得たものの美少年の生徒に惚れたり、彼に死なれ堕落した日々を送ったり、泥酔して母親の首を絞めたり、無一文になり娼婦に面倒みてもらったり、アブサンをがぶ飲みする荒んだ日々を送り1896年に厄介者の人生を終えました。
19世紀フランスの芸術家たちに愛飲されたアブサンは度数が強く「緑の魔酒」とも呼ばれ、幻覚等の向精神作用を引き起こすとされた酒です。
映画のラストシーンは晩年のヴェルレーヌがこのアブサンを2杯頼むのです。
すると昔のままの美しいランボーが目の前に現れます。
ヴェルレーヌは「私は確かに幸せだった」と語りかけます。
ヴェルレーヌの人生はいかにも芸術家らしい破滅的なものでしたが、ランボーと過ごした激しくも輝かしい日々は忘れられなかったと思います。