ある日土屋茜(40才・主婦)は、中学時代の学習塾の講師だった今井先生が彫刻家になっていることを知ります。
彼が発表した「少女像」という作品は、茜の中学時代の親友・川瀬紫(ゆかり)の姿にそっくりに見えました。
26年も前の、紫の姿と苦い記憶が、茜の脳裏に蘇ります。
時はゆっくりと、だが確実に過ぎるものです。
まだ子どもだった中学時代の、束の間だけど現実にいた、絶対に取り戻せない唯一の友達紫のことは、40才になっても茜の心の奥に深く刻まれていました。
ひとり娘は中学生となり、夫は元同僚で出産を機に会社を辞めた茜は今はフリーで翻訳の仕事をしています。
そんな決して悪くない今の境遇も、茜にとってはどこか虚しく、キッチンでこっそり日本酒を隠れ飲む、いわゆるキッチンドリンカーでございました。
当時転校生だった紫は綺麗な少女でしてね、茜が気さくに話しかけ、2人は仲良くなったんですが、自分の容姿に自身がない茜の自虐ネタを、笑わずに真顔で否定するような子でした。
しかし2人が通う塾の講師の今井先生と紫はつきあっている・・・と気づいた茜は、紫の「助けて」というサインを無視してしまいます。
紫は翌日から学校を休むようになり、引っ越してしまい、2人はそれっきりに。
そのことがずっと茜は気になっていたのです。
彫刻家に華麗に転身した、今井の個展に出向いた茜は「少女像」なる裸の少女の彫刻作品を見て、これは紫だという思いを強くします。
「少女像」の腹部にある傷跡も、紫には小さい頃の手術痕が腹部にありまして、これまた一致しております。
その時はただ作品の美しい出来栄えに、まあ2人はつきあってたんだから、ぐらいの軽い気持ちしかなかったわけです。
中学時代の遠く優しい思い出がプレイバックされ、紫に会いたくなった茜は彼女に連絡をとり再会し、1枚の古い写真を持参しました。
それは今井が撮った紫のヌードで、とても綺麗に撮れてたもんですから、彼女に捨ててと頼まれたのに捨てられずずっと所持していたのです。
でもね、それを見た紫の動揺する姿に、あれは美しい思い出なんかじゃない、もっと違う何かがあったと茜は気づくんです。
とまあこんなあらすじなのですが、この作品は様々な問題が提起されてて、視点となるのは芸術と性加害の問題なんです。
許可も得ず、勝手に自分をモデルにされた作品を、世間に公表されたことで、紫と茜は作品の取り下げを求め今井に会いに行きます。
ところが、マネージャー面した今井の妻がしゃしゃり出て来て、まったく相手にされません。
曰く、これは芸術ですよ。
加害とか証明できないでしょ。
それにもう作品は売れてしまいました。
などと紫の声は全く無視されてしまいます。
ゲージュツの名のもとにはなんでも許されるのかよ?と誰だって思いますわよ。
だってこっちは自分の裸を晒されて不愉快な思いをしてるってのに、金や名声を得てやがるんですよ。ムカつく。ヽ(`Д´)ノプンプン
だけどやっぱ芸術の世界も男社会ですから、モデルになった女が踏みつけられようと傷つこうと、その女だけが傷つくだけだからとまるっきり無視なわけです。
なんか巧妙にして理不尽な構造が「やっぱり私が自意識過剰だったのかも・・・」と、まるで紫が悪いみたいな雰囲気にしてしまいます。
まだ14才の紫に、好意を寄せる21才の今井が、裸の写真を撮ったことは、これはもう事件なんですよ。
本当は嫌だったのに、子どもだったから声を上げることができなかったのです。
あれは恋だったんだから。
先生が好きだったんだから。
綺麗だと褒められて嬉しかったから。
そう心を誤魔化し、長ずるに従っては封印することで彼女は生きてきたのでしょう。
まるで女性らしさを否定するかのようなベリーショートも、抜毛症のせいだとありますから、彼女は今だに困難な状況に置かれているのです。
彼女の感じている感覚、彼女が持ち続けて来た絶望は喪失は誰も知らずに、そんな行為は最初から存在しないことになっているのです。
今井はわざわざ追いかけて来て、あの写真からインスピレーションを受けたのは間違いないと認めるから、じゃ取り下げてくれるのかと思えば、妻のいない所で独りよがりな思い出話がしたかっただけで取り下げは拒絶です。
もうね反論は妻まかせの今井は、歳をとっても大人になりきれない幼稚さでキモイし腹立つわ。
それに、芸術家なら何をしても許されてしまう空気も非常に胸糞が悪いです。
だって恋だったんだ。
ちゃんと「いい?」って聞いたら「いい」って言ったよね。
ってアータ!14才の少女とはそれは恋じゃねえから!
今井を代弁する妻の態度も、紫の気持ちを無視した一方的なものでドイヒー!ってか、この妻は今井をコントロール下に置こうとする恐妻でして、何を企んどるのか尋常じゃないです。
あれは同意の上だとする今井に、納得できない紫は弁護士に相談するものの、訴訟を起こすのは難しいと言われてしまいます。
茜は思春期の娘に頭を悩ませ、夫との関係にも違和感を感じているのですが、今度こそ紫の力になろうと考えます。
彼女は内向的で、自分の気持ちを溜め込む性格から摂食障害となり、前歯は差し歯なんですが、もう自分を誤魔化して生きたくない、今度こそ逃げたくないと考えているのです。
紫の気持ちに寄り添い、昔の親密な仲を取り戻していく2人の描写も、静かな感動で良き。
女の友情なんて軽いものではなく、紫を救うことは自分を救うことだと茜は思っているはずです。
「歳をとるほど女は自由になれる」などという中年女性の感慨は、決してBBAが楽なのではなく若い女がよほどハードなんですよね。
日本の社会に生きづらさを感じている人は多いですが、若い女性の生きずらさは最たるものでしょうな。
しかし歳をとってもしんどいままの人もいるんだな。
あと、今井に見る芸術家の恋愛至上主義も懐疑的なものでして、恋愛ってそんなに大事なものだろうかと。
瀬戸内寂聴は恋は人を成長させるからどんどん恋をしなさいと言ってたけど、人生には恋より大事なものがあると思うんです。