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大人の漫画読み

映画/「ベニスに死す」懐かし映画感想

(「ベニスに死す」1971年/ルキノ・ヴィスコンティ監督/130分)

仄暗い夜明け前の海を蒸気船は黒い煙を吐きながら静かに進んでいきます。

マーラーの交響曲第5番第4楽章Adagiettoが厳かに流れる1911年のベニスです。

映画の代名詞のようになったこの名曲は、映画の冒頭と最後にまた主人公アッシェンバッハの心の揺れや追憶の場面で流れます。

アッシェンバッハは著名な作曲家指揮者ですが、仕事に行き詰まり健康もすぐれないため休暇を取り一人この水の都にやって来たのです。

身も心も疲弊した彼の表情はバカンスなどとは程遠い物憂さで、蒸気船の中で見た化粧をした男に嫌悪感を覚えるわ乗り換えたゴンドラでは船頭に腹を立てるわさんざんでして、避暑地リドのホテルにやっとたどり着きます。

不機嫌なまま部屋に入り窓を開けるとサッと目の前にビーチが一望!金持ちが集まる超高級ホテルなんです。

晩餐時ともなればサロンには優雅な紳士淑女たちが溢れ、アッシェンバッハはそこでタジオ少年を見るわけです。

究極の美を体現したような美少年に胸は打ち震え彼の魂は完全にタジオの虜になってしまいます。

北アフリカから吹き寄せる砂混じりの季節風シロッコによりベニスの空は鉛色に淀み暑苦しい空気に覆われます。

静養に来たはずが心は沈みがちで過去を思い出しては憂うつな気分になり、愛は苦しみに変わり耐え切れなくなったアッシェンバッハはホテルを引き払おうとします。

ところが荷物の手違いで再びホテルに戻るはめになります。

その時の嬉し気な顔と来たら。

もうタジオへの思慕を隠そうともせず恍惚感に溢れたアッシェンバッハの表情の先にはいつもタジオの姿がありました。

その頃、ベニスには何か悪い伝染病が蔓延し始めていました。

街のいたるところに消毒液の匂いが立ち込め病気に冒された人が行き倒れになっているのに、観光地ベニスは旅行客には隠蔽していました。

それがコレラだとアッシェンバッハは知るのですが、それでもベニスを去ろうとせずタジオの姿をひたすら追い求め彷徨するのです。

まるで若い時に帰ったように髪を染めメイクを施し若返るアッシェンバッハ。

やがてきらめく海に立つタジオの美しい肢体を見つめながら化粧くずれした惨めな姿で息絶えます・・・・とまあこんなあらすじ。

 

GW暇なので50万年振りにこの名作を観たのですが、原作はトーマス・マンの短編小説でして、老いた芸術家アッシェンバッハを原作の作家から音楽家に変え(作曲家のマーラーがモデル)美少年に魅了された芸術家の苦悩と恍惚が描かれています。

アッシェンバッハ役はダーク・ボガード、タジオ役はヴィスコンティ監督が数千人の中から抜擢したスウェーデン生まれのビョルン・アンドレセン(15才)でございます。

撮影が行われた「ホテル・デ・バン」は、1900年にリドの海岸に面して作られたヨーロッパの富裕層が訪れる高級リゾートホテルです。

ヴィスコンティの映画で衣装や美術が圧倒的迫力を持つのは自身も14世紀から続くミラノの貴族の家系だからなんです。

偉大な映画監督であり貴族でありバイセクシャルだったヴィスコンティ。

日本でも何度となくヴィスコンティブームがあり、もうね70年代の少女漫画家はヴィスコンティ映画を参考にして貴族の漫画を描いたんです。

ホテルはいかにもヴィスコンティらしい豪華さと品格に彩られ女性は華麗なドレスと大きな帽子が特徴でして、ううむブルジョアジーとはこういうものか・・・と興味深いです。

この作品に欠かせない金髪碧眼の美少年タジオですが、当初タジオ役は難航しヴィスコンティ自身がヨーロッパを探し求めたと言います。

その様子が「タジオを探して」という映像で残っています。

これがまあ昔のこととは言え、実際に各国の小学校などに赴きヴィスコンティが直に子どもを品定めしてるんでたまげますよ。

ビョルンのオーディション映像も見ましたが美しい年相応の少年です。

タジオはヴィスコンティ監督の魔法のような演出で出来上がってるんです。

2021年のドキュメンタリー映画「世界で一番美しい少年」(監督クリスティーナリンドストロム&クリスティアンベトリ)によれば、タジオ役で一夜にして名声を得たビョルン・アンドレセンはその後役柄のイメージが独り歩きして大変な重荷となり苦しんだそうです。

確かに今でも美少年と言えばビョルン・アンドレセンて真っ先に浮かぶものね。

印象的な場面は沢山あれど、タジオが所在なげにピアノでヴェートーベンの「エリーゼのために」を戯れに弾くところ良き。

一本指で何度も同じ旋律を繰り返すのをアッシェンバッハがじっと見つめてるんですが、なんか白昼夢でも見てるようでビョルンが本当に美しいのね。

そしてそのまま恥ずかしそうなアッシェンバッハが遊女屋にいる回想に変わるんですよコレが。

色々な解釈があると思いますが、あたしは70年代のJUNEの耽美が好きなのでずっとこの映画は耽美の理想形として敬愛していました。

だがオレも年を取ったのだ。

いつしかアッシェンバッハの視点で観ていました。

アッシェンバッハは芸術家として追い求めてきた「美」をタジオの中に見たんですよね。

タジオはもうね生まれながらの美少年なわけ。

だから自分が美しいことをわかってるんです。

エレベーターで乗り合わせた時にふっと笑いかけられておじさんはめっちゃミジメな気分になっちゃう。

美しさや若さは時に残酷で、それはアッシェンバッハが失ってしまったものだからです。

理髪店で老いを隠すように若作りの白髪染めに化粧まで施され、明らかに「キモチワルイヨ・・・」になるんですが、もう悲しいくらいその気持ちがわかる。

すでにベニスの裏通りでは病人の衣服を焼却し始めあちこちで炎が燃える中をタジオの後をひたすら追って彷徨うアッシェンバッハの姿に、わかるわかるよその気持ちと涙が出そうでした。

しかしながら美を追い求めるとはなんと困難なことでしょう。

完璧に見えるタジオの美さえ永遠ではありません。

彼だって老いるのですから。

白髪染めが汗と共に黒い筋を引いて流れグロテスクな顔で死んで行くアッシェンバッハに「敗北したのはおまえではない、オレだ!」と言いたいGWです。