5年振りに「ヒストリエ」の新刊が発売しましたが、岩明先生は長期休載に入ってしまったんですね。
ちなみに「ヒストリエ」12巻の感想はコチラです。
お暇がありましたらお読みくださいませ。
さて「七夕の国」は「寄生獣」の後に描かれた作品なんですが、「寄生獣」人気の影に埋もれてしまったのか、作品自体はそこはかとなく控えめな印象ですよね。
この度、実写ドラマ化されたので(まだ見てませんが)読み直したんですが、ウーム、これがまた面白いのよー。
なんか読み返す度に気づきがあるし、アタリメのように味わい深い逸品なんですがな。
舞台は、商店街を一歩抜ければのどかな田園風景が広がる田舎町・丸川町でして、この町で建設業を営む男性が頭部の半分近くをえぐり取られた死体で見つかるのです。(死体から切り取られたのではなく、生体からいきなりえぐり取られている!これポイントね!)
ところが犯行現場の窓ガラスには丸い穴が開いてるだけで、現場にはえぐられた頭部もガラスの破片もなんも残っていません。ぐぬぬ、えぐられた物はどこ行ったん?
この、触れた物(金属でも人間でもビルでも)を丸くえぐり取る謎の球体がなんかすごいんだよね。
丸川町は昔は丸神の里と呼ばれ、プリンのように頂上が平らな丸神山とギザギザな七つ峰など奇妙な形の山が里の聖地です。
かつて、この聖地を侵そうとした領主軍相手に里の民が戦った歴史があるのですが、わずか5人の老若男女が操る球体で侍の大群を瞬殺してしまい圧勝。(凄すぎて何が起こったのかよくわからなかった)
丸神の里はこの謎の球体を操る能力者を代々輩出してきたわけです。
しかしまあ、ありがちな超能力ではなく、なんでもえぐり取る謎の球体とか今まで見た事もない斬新なアイデアじゃないですか。
しかも球と同じ体積だけえぐられた物はどこかへ消えてしまうのです。どこか異世界へ行ったのでしょうか?
主人公である現代の大学生南丸洋二(通称ナンマル)も、最初はケント紙に小さな穴を開けられる超能力を持ってるんですが、ホントにちっちゃい穴なんで、これ何の役に立つんだろう?何の役にも立たねえとか思ってます。
彼はとても気負いのない青年でして、人から好かれるタイプなんですよね。
あまり物事を深く考えない所もいいかもしれん。考え過ぎるとろくな事ないですから。
大学の歴史・民俗学の教授丸神正美に呼び出されたナン丸は、丸神ゼミの講師・江見から、教授は丸神の里へ調査に行くと出かけたきり行方不明になってしまったと聞かされます。
加えて、自分の祖先が丸神氏という丸神教授と同じ祖先だと知ったナン丸は、江見講師率いる丸神ゼミの一行と丸川町へ行ってみるのです。
町の人たちは教授の行方や殺人事件については、一様に何かを隠しているように見え皆すっとぼけています。
しかしナン丸の先祖が里の殿様だった丸神正頼と知るやいなや態度を一変、一気に歓迎ムードになります。
そしてアレを見せてと言われて披露しますが、気合の割にコップにちっちぇー穴が開いただけだったので落胆されます。笑
そんなこんなで、この町ではなぜか6月に七夕祭りが行われると知り不思議に思う一行。
祭りの期間中は、町を見下ろす丸神山は一般人は立ち入り禁止となり、山頂で炎が動いているのに気づいた江見たちは謎の儀式を覗き見ますが、暗くてハッキリわからんかったのよね。
ただ、江見は恋する女の勘で中央にいた顔を隠した人物はあれは丸神教授に違いないと思うわけです。(不倫はいかんよ)
一方、ナン丸は東丸幸子(可愛いけど薄幸)から、この町の古くから続く家系には時々「手がとどく者」と「窓をひらいた者」の2種類の素質を持つ者が生まれると聞きます。
「窓をひらいた者」は結構多く、皆が共通した悪夢のような怖い夢を見るらしい。
「手がとどく者」は球体を操れるいわゆる超能力者でして、幸子によればナン丸を入れて6人だと言います。
その「手がとどく者」の中でも圧倒的なのが丸神頼之でしてね、神官として丸神の里で崇められていた頼之ですが、ある日突然姿を消してしまい、里を捨て不穏な行動を取り続けています。
帽子とマスクとコートという異様な風体で隠す彼の姿は、実はもう人間じゃあないのさっ。
能力が高くなり使えば使うほど、人間の姿から遠ざかり宇宙人になっていくようです。
また宇宙人か~!とは言いませんよ俺は。
頼之の力の大きさと言ったらアータ!話が進むごとに操る球体はどんどん巨大化していき、人間一人を忽然と消したり、船や飛行機を消し去り、家屋敷を丸ごとえぐり取り、もはや狂気と化した兵器も同然、彼を軍事利用しようとする輩さえ現れるのです。
そういう人間のいやらしさとは裏腹に、幸子の兄・東丸高志から教わり能力アップしたナン丸は、この能力を何かに役立てる事はできないかと必死に考えますが、結局こんな能力に人間様が振り回されてちゃいかんという結論に達するんだよね。笑
大学4年なのにまだ就職も決まらぬ体たらくですが、閉そく的な町で人生を諦観して生きる幸子からは、この町はあなたのような人を待っていたのかもしれない、などと言われます。
よそ者・若者・ばか者が世界を変えるとは言い得て妙ですな。
季節外れの七夕祭りやカササギの旗の謎解きも興味深く、映画「未知との遭遇」的な人類と宇宙人の物語でもあるのですが、「窓をひらいた者」だけが見る悪夢を恐れる幸子に、頼之はあの悪夢と戦い、いつか必ず自由になると言い残します。
その怖い夢がどんな夢なのか?作中ではハッキリ名言されていませんが、死に対する恐怖みたいです。
まあ死ぬ事は人生における厳粛かつ重大な出来事には違いありませんが、死は自然な事でもあり、いつか自分も必ず死ぬわけです。
死後どうなってしまうのか?宇宙という異世界で孤独にさすらうのか?と得体の知れない恐怖となっていて、宇宙人に脳を操られてるのか、いくら理屈で言っても恐怖を抑えられないみたいで、彼らがやって来るのを希求するよう仕向けられているのです。
その死への恐怖は、医療が進歩して病院の中に死が隠される現代の日本人が死をタブーとしている姿に、なんだか重なる気がしました。