「アポロの歌」は手塚治虫が1970年に発表した漫画作品です。
主人公の近石昭吾は小動物を虐殺しては警察沙汰になりこのままでは殺人もしかねないと精神科に連れてこられた少年です。
暗いクソガキですが、まあ子どもが問題行動をする背景には理由があるもんです。
彼は親の愛を知らず、母親は男出入りの絶えない女で自分の父親が誰なのかも昭吾は知りませぬ。
男が変わる度に母親からパパと呼べと命じられ、なんでこんなにパパが大勢いるんだと混乱してたある日、昭吾幼児は母親と男が裸になってえっちなことしてるのを見てしまいまして、激昂した母親から暴力を振るわれ「ぼくはどうして生まれたの?ママはぼくを生まなきゃよかったのに」なぞと泣きながら言いますと、この毒母ったら「どうしてって男と女がくっつくとできちまうんだよ!子どもがよっ!」(そんな言い方ではなかった)と呆れる返答でして、もうね子どもなんか欲しくなかったし邪魔でしょうがねえって態度が見え見え。不憫よのお。
で母親を憎むようになり男と女の関係を異常に嫌悪し動物のつがいなんかが仲良くしてるのを見るとムキーっと殺人衝動が起きてしまうのでした。
そんな彼が精神科の医者から受けた電撃荒療治によって見た夢の中で、ギリシャ宮殿の女神像みたいのから与えられた試練ってのが、何度も生まれ変わって女性を愛するが愛が結ばれる前に女性か昭吾かどっちかが死ぬ!ってループなんです。何たる愛の試練。
おい、俺はおもちゃか!と憤りはしないのがエライ気がするが。
しかしまあこの作品の魅力はあいかわらずスゴイ手塚治虫の画力と人間心理を深く掘り下げたストーリーでしょうな。
昭吾が体験する愛の物語はどれも悲恋で美しく残酷なんです。
時にはナチスドイツの兵士となりユダヤ人を強制収容所に輸送する列車に乗り込みユダヤ人の少女エリーゼに恋をしたり、時にはセスナ機のパイロットとなり芸術家ぶった女性カメラマンのナオミを乗せ無人島に不時着しサバイバル生活を送るうちに愛し合うようになったり、時には箱根の山奥にある山荘に昭吾を匿ってくれたひろみからメチャクチャ走らされるうちに恋心を抱いたり、時には人間よりも人間が作った合成人の方が大勢になってしまった未来世界で昭吾と人間のような性行為をしたいと願う合成人の女王シグマから愛されたりとてんこ盛りです。
オムニバス形式で個々のエピソードを描きつつ、大きな物語の流れが構築されてるっていうね。
またこの作品は性的な描写が結構ありまして、1970年に神奈川県で有害図書指定されています(WIKI調べ)が、古い作品ですし巨匠の丸っこいタッチだし今読むとどこが有害なのか全然わかりません。
愛と性は切り離せない人間の根源的な欲望だと言ってるんですが、当時は単なるエロチックな漫画としか思わなかったんだろね。
漫画を読むとバカになるとか本気で思ってる大人がいた時代だから。
冒頭の「序章 神々の結合」なんて性交後の子宮の内部の精子と卵子を豊かな漫画表現で着床するまでがユーモラスに描かれていて性教育のように思えます。
じゃ箱根の山荘で昭吾が延々とマラソンさせられるのは、野獣のような十代の性欲を抑えるには運動させよという啓蒙なのかしらね。
今では時代に合わなくなったと指摘されてる有害図書ですが、各地方自治体の条例に基づいて、性、暴力、犯罪などに関する描写が青少年の人格形成に有害であると決めつけられて勝手に有害図書に指定されるんですが、1970年頃といえば少年漫画のエロの先駆けとして有名な永井豪の「ハレンチ学園」が連載されてましたから、戦後広まった自治体による規制が強化されたのかもしれません。
この作品は愛とは何だろうと考えずにはいられません。
合成人はクローンで増殖する為、女王シグマは人間のようなせっくすのやり方も男と女の愛情もわかりません。
それでも愛を知りたいシグマは昭吾にせっくすを強要しますが、合成人には性器がなく、たとえベッドで裸になってキスしても彼女を愛する気持ちにはなれないのです。
合成人にはなくて人間の持っている「愛すること」だけが欲しいと願うシグマを昭吾は煮えたぎる液体の中に突き落としてKILLしてしまう。
そうして何度KILLしてもクローンのシグマが現れあなたが好きだと繰り返すのです。
とうとうシグマは性器を作らせ、これなら私を愛せるでしょうと言い出します。
まったく漫画チックで荒唐無稽な話なんですが、愛というのは複雑なものです。
愛は強要されるものではないし自然に湧き上がってくるもので、性は大事なものですがせっくすだけが目的ではないのです。
シグマは形だけの生殖器をつけたことで醜悪な人間になりたいのかと責められ、女王の座を追われ美しい顔を醜い顔に変えられてしまいます。
これも悲劇的な結末なんですが、どのエピソードも一つの作品として発表できそうな位に読み応えがあって素晴らしいです。いよっ巨匠。漫画の神様。