「ハルタ」で連載されている「本なら売るほど」のコミックス②巻が刊行されたので、そこはかとなく感想をしたためておきます。
「本なら売るほど」は脱サラして古書店「十月堂」を営むちょっと風変わりな青年が主人公でして、本をめぐる様々な人間模様が一話完結で描かれています。
読書が好きなあたしは一時期増えすぎた本に悩んだのですが、今はできるだけ電子書籍で読むようにしています。
それでもやっぱ自分は紙派だと思ってきました。
なんか読書家は紙の方がいいとつい言いがちじゃないですか。
書店も助かるし。なんつって。
そんな思い込みがえぐられたのは市川沙央の「ハンチバック」を読んだ時で、主人公は先天性ミオパチーという難病で背骨が曲がり人口呼吸器と電動車椅子を利用する女性です。
そこには物理的に紙の本を読むのが困難な彼女の、紙の本に対する憎しみが綴られていまして。
目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けることなど、健常者であることを前提とした読書文化のマチズモ思想だとあったんです。
おまけに「紙の匂いが好き」とか「ページをめくる感触が好き」などとのたまい電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。とも書いてありましたがな。
(・・・俺じゃん)
ああ世の中にはそういう視点もあるのだと知ったから、オーディブルは読書じゃないよねとか、もう言わんとこうと思いました。
もはや紙の本てのは趣味嗜好に過ぎないのかもしれず、本が好きといっても色々です。
①巻では、3000冊の蔵書を収めるための本棚作りに励むサラリーマンが登場します。
アパートのすべての壁を天井までの本棚を作る大仕事です。
家の壁が全部本棚とか想像しただけでもそそられちゃうな。
床が抜けないか心配だけど。
仲良くなったホームセンターの店員にも手伝ってもらい本棚を完成させるのですが、実は蔵書のほとんどを読んでないことが判明するのです。
つまり彼はあまり本は読めないタイプだけど本フェチで、並べた本たちの背表紙を眺めるのが好きなマニアだったのです。
本を購入して本棚に並べることは本好きには楽しいものですが、積ん読がここまで山になったというのも壮大な話です。
いわゆる装丁好きってやつですかね。
彼が「本を読み始めるとすぐ睡魔に襲われる」と、読書の難しさを語るのも一笑です。
世の中には本を読む人と読まない人の2種類いるのですが、本を読まない人は増えていると言いますよね。
月に一冊も読まない人が6割もいるとか聞いたけど、出版不況とか言われて本が売れないから書店はどんどん閉店し、いずれは紙の本などはなくなってしまうのかも。
未来は暗い気がする。
主人公が古本屋を始めたのは行きつけの古本屋が閉店してしまったからで、儲からないけど気楽なのが気に入ってるのです。
ただし本好きな人を相手にする商売だとばかり思っていたら、本に興味のない人が本を売りにくる場でもあるわけでして、分厚い全集や辞書・事典は売れないから買い取りたくないのが本音です。
コッソリ閉店後に不良在庫をリサイクルステーションに出しに行く場面が衝撃でした。
主人公ならずとも心が痛みます。
ブックオフに売りに行くと値がつかないモノも言えば引き取ってくれるんですが、あれは捨てられてるんだね。
読んだ本は古本屋に売り、そこでまた誰かに買われて、本を無駄にしないリサイクル機能が働いていたのは昔の話なのかもしれません。
今では新刊書店で入荷した本の4割は売れずに返品されてるそうで、古本屋が扱うのは一度は新刊で売れた本ですから、古本にすらならない本がなんと多いのか!?
ってな話も物悲しかったし、生涯独身で亡くなったフツーの人なんだけど本好きで、遺された膨大なコレクションの買い取り話とか、古本屋ならではの話題も興味深かったです。
②巻では、十月堂をなにげに訪れた客が鴫沢祐仁の「クシー君の夜の散歩」を購入しようとすると、「この本は今日入荷したばかりだから、もうちょっとうちの棚にいてほしかったな」と売るのが惜しそうなのであります。
なんか古本屋というのは店主が買い集めた蔵書なんかな。
単なる資源の再利用だけでなく、貴重な本や絶版本など価値のある本を見出したり、客が宝探しのように素晴らしい一冊と出会える面白さもある古本屋。
「ここは本と人とがもう一度出会うための場所」という帯の文章はまさにまさに。
本と人との関わりをテーマにしていて、本への思いや登場人物のセリフも印象的で本好きの心に刺さる話に仕上げてあります。
ありがちな作中で紹介する本の話をメインにしてない所が憎いですな。
しかし紹介されてる作品もチョット読んでみたくなります。
中島らもの「ガダラの豚」とか、久世光彦の「1934年冬ー乱歩」とか、ポチってみました。
kindleですが。