
原作:澁澤龍彦 漫画:近藤ようこ
KADOKAWAビームコミックス
発売日:2020/9/12
全4巻
貞観7年(865年)。
平安時代ですな。
高丘親王は広州から船で天竺へ向かいました。
澁澤龍彦が1985年から雑誌「文学界」で連載した幻想小説を、近藤ようこがコミカライズした作品でして。
あたしは漫画を読んだ後に原作を読んでみたんですが、澁澤龍彦を読んだのは初めてですが、こういうファンタジーっていうか不思議な話は受け付けない症候群だから、もう他の作品は残念ながら読まないと思います。
でもけっこう面白かったし、近藤さんの漫画は原作に忠実に描かれているのがわかりました。
親王は67才です。
が、めちゃめちゃ若見えで50代前半にしか見えないというね。
従う者は唐でつねに親王の側近に侍していた日本の僧・安展(武闘派)と円覚(博識)と、船で拾った逃亡中の奴隷の少年・秋丸の3人です。
最初おおよその計画では、船で広州から出発して交州(ベトナムのへん)に上陸して陸路から天竺入りする道だと2路あるんですが、場合によっては海路でマレー半島を廻ってインド洋に出るのもありか、というざっくりな感じでして、昔だから風まかせ運まかせであります。
高丘親王とは、平城帝の皇子で平城帝が弟に位を譲り平城上皇となり、嵯峨帝となった弟は高丘親王を皇太子にしました。
ところがところが上皇と帝が対立。(よくある話)
世にいう「薬子の変」により廃されてしまったのですがな。
その後出家して空海の十大弟子のひとりとなりました。
帝になれたかもしれないのに、人生とはうまくいかないものですが、親王は別に気にしていないようで、それより藤原薬子が死んだことの方がショックでした。
60才を過ぎて入唐し天竺を目指したのは何故か。
それはわかるようなわからぬようなわかりません。
天竺を目指し旅に出た親王が、東南アジアの国々で出会う冒険譚なわけですが、チョット想像を絶する奇妙な生き物や文化が次々と登場し、しかもどれも性的なんですよね。
まずもって親王がなぜにそんなにも天竺へ行きたいかと言えば、幼い頃に父帝の寵姫だった藤原薬子から、天竺の物語を聞かされて憧憬を抱いたんです。
薬子って言ったらアータ!色香で自分の娘の夫(後の平城天皇)を誑かしたと言われてるやべえ女でっせ。
その薬子が幼い親王に添い寝しながら天竺の話をしてくれたんだけど、話しながら自分の乳を触らせたり親王のたまたまをころころしたりするわけよ。
つまり親王にとって薬子はファム・ファタール。忘れ得ぬ女なの。
とにかく脳内は何かと薬子でしてね、過去を思い出したり、夢に見たり、時に誰かの顔が薬子になったりします。
美しい薬子、残忍な薬子、傲慢な薬子。
好ましくない面さえも愛しく思えるみたい。
親王は高貴な生まれですから礼儀正しく物柔らかで、アクティブだけど肝が据わっていて、何事も面白がってしまうのが良い。
年を取ってもこんな風に軽やかに生きたいもんだぜと思う。
近藤さんの画風がいいです。
淡々としてさらっと描いとる。
交州で上陸するはずの船が嵐でインドシナ半島の方まで流されてしまい、海路でベトナム・カンボジヤ・マレーシアからシンガポールを迂回してセイロン島を目指す船旅となります。
海の上でずっと大雨が降り続くと視界は暗澹たる灰色となりどっちが上だか下だかわからなくなってしまう。
男だった秋丸は女になりジュゴンは言葉を喋り出す。
それもこれも天竺が近いから不思議なことが起こっても不思議じゃないと親王は言い出して動じない。
由々しき事態でもそりゃ天竺に行くんだから難儀するのは当然だよと動じない。
親王は国王ジャヤヴァルマン1世の後宮とやらに誘われ世にも珍しい単孔の女に会う。
良い夢を食すると芳香を放つ糞をたれる獏。
その獏に優しくふぇらしてやるパタリア・パタタ姫。(薬子に顔がクリソツ)
犬頭人。
蜜人。(食も水も断ち蜜だけを摂取した即身仏)
なんかもうね、怪奇と幻想の世界が繰り広げられるんですが、近藤さんはさらりと描いてるし親王は飄々としててなんだか可笑しくて、しかもどことなく性的なエピソードで不思議な魅力に満ちています。
夢のような話が進行する一方で、親王は心ひそかに師の空海が入定した62才も過ぎてるのに、師のように自らの死期を悟れないことを悩んでいるんです。
後半になるといよいよ死の匂いが濃くなってきます。
ジュゴンが死ぬときに「いずれ南の海で再びお目にかかろう」と言って静かに死んでいったのですが、その言葉の通りに後にひょっこりと姿を見せてちょっと切ないんですが、この作品は輪廻転生の死生観を感じさせます。
薬子も人間には飽きたから次は鳥に生まれ変わりたいと言ってたし。
旅の途中で親王は病を得てついに自分の死期を悟ります。
自分が死ぬことを予感して、悲しさよりもなんだかホッとしてしまうのです。
天竺に行けなくなった親王は釈迦の餓虎投身になぞらえて、天竺へ行く虎に自ら喰われ、虎の腹中に収まって天竺へ乗り込もう!ってな荒業に出ます。
死を従容として受け入れるというよりも、自分の死をコントロールしようとする所が、凡人には真似できないと思いました。
親王は魂となり永遠に天竺で遊んでいるんでしょうか。
独特の世界観でした。