
著者:真造圭伍
小学館コミック
発売日:2012/7/30
いよいよ夏本番ですね。
挨拶の度に「暑いですねー」と付け加えてしまう毎日です。
実はあたしは真造圭伍さんが連載中の「ひらやすみ」という作品が好きな漫画のひとつなのですが、実はって書くほどのことでもないですが、あたし的には真造圭伍さんは青春物語を描いたら超一流と思っておりまして。
いや「ひらやすみ」の主人公は決して青春物語を生きてるわけじゃないのですが、不随するエピソード等がキラキラと眩しい青春を感じさせるのです。(遠い目)
今回ご紹介する「ぼくらのフンカ祭」は作者の初期の作品でして1巻完結ものですが、作風の原点を感じさせます。
表紙とか松本大洋っぽい気がするけど。
「フンカ」って、まあ山が突然噴火したわけですよ。
冴えない田舎町の冴えない男子高校生「富山」と「桜島」が主人公でしてね。
学校をさぼったり授業中は居眠りしてるような、かったるくてイマイチぱっとしない2人なんですが、町に出ても商店街はシャッター街ですし、そんなある日、「えーあの山、活火山だったんだね」と言われるほど忘れられていた山が突然噴火して人々は大パニックになります。
富山が雪のように火山灰が降りしきる中を家に帰ると、温泉が自宅の屋根を突き破ってゴオーっと噴き上がっていますがな。
町は「温泉と噴火の町」として売り出し観光客が押し寄せる活気ある町に変わりまして、富山の家は土産物店となって繁盛しちゃうんです。
ホテルや観光施設も建つし、みんな浮かれ切ってるのを横目で「なんか違う。前のような静かな町がよかった」とひとり懐疑的な富山なんですが、意外にも佇まいが格好良いと女子にモテる事を桜島は知っています。
これはなんかわかる気がする。
女子は桜島のようなお調子者よりもクールで無口な富山に惹かれるのが人情じゃないですか。
最初は桜島は富山と一緒にいれば自分もモテるかもしれないぞと、ちょっと不純な軽い気持ちを持っていました。
桜島は家庭が複雑なのかな?バイトしながら一人暮らしで親とは疎遠みたいでして、富山の家が儲かってるのとは対照的に、帰れば散らかった汚い部屋にひとりなんですよ。カワイソウダワー
富山は家が床上浸水で滅茶苦茶となり途方に暮れる両親に店に改装しようと提案したり、姉の大学の学祭に噴火とかけて「フンカ祭」という町と連携したプロジェクトのアイデアを出したり、天然っぽい所があり無意識なのですが、それとない発言が人の耳目を集めて話題の中心となってしまうような所があります。
でも本人は浮かれた町や人々が気に入らずしらけていますし、女子にモテてるとか毛ほども気づいていないんです。
桜島は富山がいい奴なのを認めつつも、段々自分との違いを痛感し始めましてね、このへんがつらいのよ。勝ち組はどこまで行っても勝ち組なのかとさえ思うようになるというね。
ってなわけで、変貌したのは町だけではなく、2人の関係性もジョジョに変わってしまうのです。
「おまえは口で文句を言ってるだけだ!行動しろよ!」と富山に発破をかけたのはいいけど、フンカ祭ライブでバンドを組もうと言い出したら「やめとけ。おまえ音痴だから」と富山に即却下されたのには笑ったけど。
ただ「いつも富山ばっかり」「おれだって」と自暴自棄に陥った桜島が学祭準備の会場で勝手にギターを持って歌いまくる場面は本当に痛かったデス。イタタ。みんなの目が冷たいです。
それでも桜島は奔放な女子大生に気に入られ、大学の寮で半同棲みたいになるのですが、念願の彼女ができたのに振り回されるばっかで流されちゃうタイプなのよね。
彼女がきっかけとなり2人は疎遠になってしまうのですが、桜島は富山と過ごした時間が忘れられません。じゃあ富山は・・・
友情って互いを理解しあう事も大切なんですが、最も大事なのは信じる事だと思いましたな。
どんな気の合う相手でも時にわかりあえないことがあるものですが、そういう時何より大切なのは相手をわかろうとするよりも信じる事だという気がしました。
富山は人からどう思われようとかまわないし、桜島を変えようとも思っていないんですよ。
2人が川に飛び込む場面も火山に登る場面も良かったですが、若い人がやけっぱちになったその一瞬に、青春は輝いて見えるんだなと思いました。
その一瞬を捉えて描くのが巧みな作者です。
しかし大人になる、なろうとした時、社会の価値観に自分を合わせその仕組みに組み込まれる事を覚悟した時、青春はその輝きを失い、切なさだけが残ります。
大人になるって、切ないですなあ。
あとがきで「友達にしか分からない言葉、思い出、そういうものを大事にしたい」と書いてありました。
2人だけが知っている輝きが確かにあった事を、これは普遍的な友情物語かもしれませんが、2人の友情がシンプルに心に沁みてくる良作です。