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大人の漫画読み

漫画/「イノサン」「イノサンRouge(ルージュ)」坂本眞一 感想

イノサンは井野さんではなく英語のイノセント(無垢)の事で、主人公のシャルル=アンリ・サンソン(実在)はムッシュー・ド・パリ(フランスの死刑執行人の頭領を表す称号)を務めた4代目サンソン家当主です。

「イノサン」が全9巻「イノサンRouge」が全12巻あって長いので適当に書き散らかしますが、18世紀フランスを舞台に処刑人サンソン一族の数奇な運命を美麗に描き上げた歴史漫画です。

(坂本眞一「イノサン」全9巻)

まあひどいものです。死神だ、サンソンだ、サンソンに出くわしちまった、サンソンに触れたら悪魔に憑りつかれちまう。パリ市庁舎前で黒い外套を纏う父子の姿を目にした市民は穢れとでも言いたい不快さで顔をしかめるのです。

フランス全土の死刑執行人の頭領「ムッシュー・ド・パリ」である3代目当主バチストと後の4代目「ムッシュー・ド・パリ」となる長男のシャルル=アンリ・サンソンです。

この時代、人は平等ではなく生まれですべてが決まり、貴族の子に生まれれば貴族に農民の子に生まれれば農民に、処刑人の子は処刑人になると決まっています。

サンソン一族はフランスの死刑執行人を2百年以上に渡り輩出してきた家系で、祖母のマルトによれば「サンソン家は国王から任命された正義の番人」なのです。

しかし貴族のような暮らしの一方で、シャルルはいじめられて学校にも通えず、時に路地裏を行けば窓から糞尿をぶっかけられ人々から死神と忌み嫌われる家業を継ぐことに彼は苦悩しています。

誰がどう見ても処刑人の跡取り息子としてはシャルルはデリケートで弱くて泣き虫でして、一族を仕切る祖母の言葉は嘘っぱちだと打ち震えながら叫びます。

処刑人なんかなりたくないと泣きながら拒むシャルルに待っていたのはサンソン家直伝の編み上げ靴(ブロドカン)と呼ばれる拷問器具でして、お仕置きにしては恐ろしすぎる実の父による息子への拷問シーンが最初の見所であります。

これはもう作者の緻密かつ繊細な画力が抜の群、暗さの中に美しさを持つ耽美漫画としても絶の妙でして、妖しい色気ムンムンと漂います。

ところが処刑人につきまとう偏執的なイメージとは違い、3代目は拷問で人間の体をどこまで傷つけても死なないか後遺症がないかなど詳細に知っており、サンソン家には独自の医術があって人間の体を科学的に研究していることが知れるわけです。

サンソンとして生まれた以上人の首を刎ね続けるしか生きる道はないと悟ったシャルルは、苦しみながら処刑人として生きていくのですが次々と降りかかる試練は驚くばかりで、残酷で悲しみと怒りに満ちたものなのです。

 

当時絶対王政下のフランスでは国王を頂点とし、聖職者である「第一身分」と貴族である「第二身分」が特権階級、残りのその他大勢である「第三身分」はなんの特権も持たず重い課税に苦しみ参政権もありません。

数の上では数パーセントしかいない第一身分と第二身分だけがいい暮らしを満喫している世界ではみんなの鬱憤が溜まり、処刑は民衆に公開される大娯楽エンターテイメントであり一種の見世物でした。

処刑場はパリの中心部に舞台のように設営され、処刑が行われる度にサンソン家の一族郎党が処刑台を建設し処刑が終わると撤去しました。

当時の拷問や処刑の描写も見所ですが、シャルルはやがてそれまでの研鑽で得た知識や経験から人道的配慮を心掛け執行に望むようになります。

苦しまずに死なせる。それは彼本来の優しさゆえなのですが、その一方で死刑を執行しているわけですから実に矛盾に満ちたものなのです。

熱心な死刑廃止論者でもあったシャルルは行けども行けども辿り着かない泥濘の中で、崇拝していた国王と王妃の刑を執行する役が回ってきます。

苦しまずに死ねる人道的な処刑道具(しかも効率がいい)として開発されたギロチンで、国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットを始めとし政権が交代する度に大勢が逮捕され死刑となりましたが、シャルルはその生涯で3千人あまりの首を刎ねたといいます。

処刑にさえ身分差別があった当時のフランスでギロチンがどうして開発されたのかフランス革命の裏物語としても面白いし、死刑を通して当時のフランスがよくわかるのです。

 

そんなシャルルと対照的なのが、幼い頃から処刑人になる事を切望していた妹のマリー・ジョセフでありまして、男装の麗人でシリアルキラー長じてベルサイユの処刑人である「プレヴォテ・ド・ロテル」となる女処刑人なのですが、運命を諦念するシャルルと違い、彼女は女は従順でいよと強要する家や社会に屈せずジェンダーを超えた自由な存在として描かれます。モヒカンはアナーキーだから?

「イノサンRouge」はマリー・ジョセフを中心にアントワネットの輿入れから始まり、デュ・バリー夫人挨拶事件やフランス王室の様子、そして首飾り事件と虚実織り交ぜながら絢爛豪華に激動の時代へと進んでいきます。

でももうおわかりでしょう。作者の一推しが彼女だということが。彼女の存在感がシャルルからマリーへと主役交代してしまい、しかも作者のマリー賛美が過ぎて段々引いてしまうσ(゚∀゚ )オレ

まあ問題の唐突なミュージカル展開も、今となっては笑うしかないでしょうか。

思うにこの作品は矛盾した正反対のものが一貫して描かれている気がします。

美しいものと汚く醜いもの、自由と統制、光と闇、ヘビーかと思えば軽妙に、残酷な死の描写には命の儚さや尊さを感じるのです。