akのもろもろの話

漫画とかの覚え書き

アニメどろろ 百鬼丸とどろろの旅の結末が気になるのだ

アニメ「どろろ」が面白いです。

原作はもちろん漫画の神様・手塚治虫の名作漫画ですが、50年振りの再アニメ化なんですって。

すごい古いのね~

そんな半世紀も前の作品を現代に蘇らせるってすごい事よね。

 

f:id:akirainhope:20190320063939j:plain

 

やっぱ50年振りだから何やら気合のような物が感じられて、作画もとてもきれいだしOPもカッコいいんです。

でも主人公の百鬼丸が現代風にアレンジされてて、イケメンのサイボーグみたいになってたのには驚きました。

なんかねえ、無表情な人形みたいで虚無的な雰囲気を醸してる。

貧しい服に身を包んだ美しいドールみたいなのね。

言葉も喋らないので何考えてるのかわからないけど、妖怪が現れると本能的に戦っちゃう。

カッコいいです。

 

f:id:akirainhope:20190320064007j:plain

 

原作でも百鬼丸はカッコいいですが、もっと人間的です。

百鬼丸というキャラクターは身体の48か所が欠損してるというとんでもない設定で、ある種の障害者なわけです。

かつては作中で差別用語が使われていると障害者団体などから抗議を受けたと聞きますが、百鬼丸が侮蔑されたような世界は当時の世間では一般的だったんだろうと思います。

これまでは普通に使っていた言葉が差別用語だから使えなくなるというのはよくある事です。

言葉は時代と共に変遷していくから、使われなくなった言葉は消えて行きます。

でもそこに差別があるなら言葉だけ禁止しても真に差別はなくならないと思うのですが。

手塚治虫がこの作品を描いた時代と今とではどうなんでしょうか。

今では避けて通れないハードルが多くあると言うのに、この時代に再びどろろを持ってきたのはすごい事です。

 

暗い世相に妖怪や死霊が跋扈し人の情念が渦巻く

とは言え、この作品には単なる妖怪退治の漫画にはとどまらない人間の情念の炎が燃えるような恐ろしさを感じます。

そもそも百鬼丸の父である醍醐景光が自分の野心の為魔物に願かけして、天下取りの代償に生まれてくる我が子の身体をあげるよなんて言い出したのが発端なのです。

魔物に身体の48か所も奪われて生まれてきた赤ん坊は捨てられて川に流されてしまいます。

だから百鬼丸にとっては自分は親から捨てられたのだと言う悲しい思いがずっとあるのね。

 

この作品の時代は室町から戦国にかけて、舞台は朝倉氏の名が出たり不知火を見たりするので北陸や能登のあたりです。

侍は戦に明け暮れ、百姓は虫けらのように殺され、たとえ生き伸びても餓死を待つだけでした。

中には飢えに耐え兼ね食人する者さえいたのです。

そんな暗く陰惨な世相の中で、自分の身体を取り戻す為に旅に出た百鬼丸は48の魔物を倒さねばなりません。

百鬼丸は義手の中に刀が仕込んであったり、義足の中に爆薬や薬品(硫酸みたいな物でしょうか)が仕込んであるという、戦闘に特化したとてつもない異形の者なのです。

 

どろろの悲劇性

アニメではそんな百鬼丸どろろがかいがいしくお世話してますね。

アニメでは百鬼丸は喋らないので、どろろが一人でずっと喋ってて可愛らしいです。

二人の関係性も原作とは変わってるのですが、小さいのに一人こそ泥として生きて来たどろろは、けっこう無鉄砲でね強情だし命知らずなのよね。

どろろはまさに乱世が生んだ悲劇的な子なんですよね。

どろろの両親が登場する「無残帳の巻」では、子分に裏切られたうえ片足が不自由になってしまった野盗の父と母と三人で何年もあてもなく彷徨うのね。

どろろが父に「地獄ってこんな所かい?」って聞くと「地獄なんてもっともっとましな所だ」って答えるんです。

母親が炊き出しの粥をもらう器がないので、熱い粥を自分の手の平にもらってどろろに与える場面もいいんですが、私はこの父親が死んでしまう場面も好きなんです。

それは通りすがりの牛車から女の人が、かわいそうな子供がいるからこれをやっておくれってどろろに饅頭をくれるんです。

どろろは喜んで食べようとするんだけど父親は制止するんです。

人が飢え死にしそうな時にうまいもん食ってるのはお前ら侍だ、と言って。

そんな奴から施しは受けない、と言ったもんだから無礼者だと殺されてしまうんです。

最初は男の矜持か~と思ったけど違うね。

あれはどろろに人としての尊厳をなくしてはいけないと教えたんだと思うんです。

そしてそれは、ああいう状況下に置いてはとても難しい事なんですよね。 

だから、どんなにみじめっぽくたって俺は人間なんだぞ!って必死に叫ぶどろろは素敵だと思います。

 

妖怪だけでなく弟を殺したり父と対決したり因果な巡り合わせ

でも、異形の者である百鬼丸と手癖の悪いどろろは、行く先々で忌み嫌われここから出て行ってくれと追われてしまいます。

地獄変の巻」では、村の為に命がけで戦った百鬼丸を化け物扱いして追い出そうとする村人に、どろろが怒って食ってかかったりして泣かせます。

戦い続けるしかない因果な身の上により、実の弟を殺め父親から憎悪される事態に陥ってしまった百鬼丸は絶望します。

それでも宿命に負けず、ただ懸命に生きる姿は人が生きる事の意味を感じさせて胸にせまるのです。

 

 

いつまでも二人の旅は続くかのようですが、なんか原作は唐突に終わっちゃうね。

 アニメではアレンジされてて12の魔物と戦えばいいらしい。

て事は百鬼丸は目出度くすべてを取り戻せるのだろうか。

ラストが気になりますが、原作漫画も素晴らしいです。

 

 

 

 

 

舞台「仮面ライダー斬月」ー鎧武外伝ーを見ました。とても練った脚本で面白かったです。

舞台「仮面ライダー斬月」ー鎧武外伝ーを見ました。

仮面ライダー鎧武の放送からもう6年、満を持しての仮面ライダーの初舞台化です。

記念すべき初の演劇作品化に選ばれたのは、鎧武の中に登場する仮面ライダー斬月。

我らがメロンの君でございますよ~

 

f:id:akirainhope:20190317000540j:plain

 

 

さてお話はと言いますと、物語の舞台は貧困が進み止まらない紛争によって衰退するトルキア共和国です。

この国はかつて、巨大企業ユグドラシル・コーポレーションによるプロジェクト・アークの実験場でした。

すでにその役目は終えたはずのその国で、何か異変が起きているとの情報をつかんだ呉島貴虎は8年振りにトルキア共和国に潜入します。

ところが突然発砲された貴虎は、巨大な穴の底に広がる地下世界・アンダーグラウンドティーに落下してしまうのです。

そこではたくさんの少年たちが生き残る為の殺し合いを繰り広げていました。

その中には、戦極ドライバーにロックシードを使いアーマードライダーに変身する者もいたのです。

貴虎は落下の衝撃で記憶喪失となり自分の名前すら思い出せなくなっていました。

チーム「オレンジ・ライド」のリーダーのアイムによって貴虎は助けられますが、突如見た事もないアーマードライダーが現れその強さにざわめきます。

しかし貴虎はかすかに残る記憶からそのアーマードライダーが「斬月」である事を思い出していました。

アイムたちに協力を頼み、貴虎は失った記憶を取り戻す為の手がかりであるアーマードライダー「斬月」をおびき寄せようとします。

その同じ頃、貴虎の行動を密かに監視する男がいました。

その男は、ある理由から貴虎に復讐しようとしていたのです。

 

といったストーリーでございます。

私、この仮面ライダー初の舞台化を知った時、真っ先に思ったのは変身シーンはどうするんだろうと言う事でした。

だって鎧武ですよ。

鎧武と言ったら驚愕の「フルーツ」と「甲冑」なんですから。

その変身シーンは、モチーフのフルーツが空中から落下し、ライダーの頭にすっぽり被さって果汁をブシャーって飛ばしながら甲冑へ展開するという衝撃的なものなんです(笑)

とは言え、そんなポップな変身なのにストーリーはめちゃめちゃシリアス。

舞台も同様に人間ドラマにスポットを当てたものとなってますから、変身シーンとかは映像を使ったりしてそれなりでした。

最近の仮面ライダーはCGを多用してますから、まあこんなもんですよね。

ただクライマックスで、斬月がカチドキアームズに変身した時は会場がざわめきましたね。

主人公の呉島貴虎役の久保田悠来さんは変わらずテレビシリーズの輝きをそのままにかっこよかったです。

鎧武の世界観では、地球はあと10年でヘルヘイムの森に侵食されてしまうと言われています。

ヘルヘイムの森に実る果実を食べると人間はインベスになってしまいます。

ただし戦極ドライバーをつけていれば果実を食べなくてすむので、インベスにもならずにヘルヘイムの環境下でも生きられます。

しかしながら、戦極ドライバーを量産しても10億個が限度で地球の総人口の70億人分までは用意できません。

そこで60億人は抹殺してしまおうという恐ろしい計画が、プロジェクト・アークです。

貴虎はそのプロジェクトリーダーでした。

この舞台は鎧武の後日談なのですが、トルキア共和国で記憶喪失になった貴虎は8年前の過去が掘り起こされ、物語は現代と過去を行ったり来たりします。

沢芽市にあったユグドラシルタワーのスカラーシステムは、葛葉紘汰が激怒して破壊しちゃったけどトルキア共和国では使われていたんですよね。

ほんとに怖い話です。

国を焼き払われ、親を殺された少年たちは地下に潜って生き延びていたのです。

貴虎はノブレスオブリージュの精神ですべての責任を自分で負い、60億人を切り捨てる罪を一身に背負う覚悟を持っていました。

けど10億人しか救えない事を苦悩してもいました。

そうやって貴虎の物語として見ていると、いつしか鎧武の物語そのものをなぞっている事に気がつきます。

アイムは紘汰だったのね、グラシャは戒斗だったのねって。

それがよく練れててうまいなあって思いました。

群舞もアクションもまたテレビとは違う魅力でとても面白かったです。

そして久保田さんはやっぱりみんなの兄さんでした。

 

  

監視官常守朱 三好輝 アニメが面白いのでコミカライズも読んでみました

皆様、ごきげんよう

アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」1期のコミカライズを読んでみました。

2012年にジャンプスクエアに連載された作品です。

 

 f:id:akirainhope:20190227162325j:plain

【全6巻】

 

西暦2112年の日本ではシビュラシステムの導入により、人間の心理状態や性格的傾向を計測し数値化する事ができるようになっていました。

ここではあらゆる人の心理傾向がすべて記録・管理されていてこの測定値を人々は「PSYCHO-PASSサイコパス)」という俗称で呼んでいました。

日本国民はシビュラシステムに強く依存し、PSYCHO-PASSの測定値はその人間を判断する基準となり、有害なストレスから解放され、その人に最適で幸福な人生を送る為の指標ともなっていたのです。

 

その中で、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえまだ犯罪を犯していなくても犯罪係数の高い人間は「潜在犯」として裁かれてしまうんです。

その人が善人か悪人かは数値を見ればすぐわかるというね。

シビュラシステムはこうやって人間を監視する事により社会の秩序を保っているわけなんです。

そうして人々はそれに対して何の疑問も抱いていません。

 

ヒロインの常守朱は、厚生省公安局刑事課の新人監視官として配属されます。

10年に一人の逸材と言われるほど優秀な彼女は、見た目は可愛いお嬢さんなんですが、正義感が強く信念を持った人物として描かれています。

また新人であっても自分の意見ははっきり言いますね。

なので先輩監視官の宜野座伸元に対してもそれは違うと思えばスゲーはっきり言うんですよ。

 

監視官て何を監視するのかと言うと、執行官を監視するんですよね。

犯罪係数が規定値を超えて社会からは人格破綻者にされてしまった人は、本来なら潜在犯として隔離されるべきところなんですが、執行官としてなら社会に出る事が許されるのね。

つまり、犯罪者は犯罪者に狩らせようっていうね、それが執行官なんです。

執行官は犯罪係数が高いゆえに、犯罪という物を理解していて犯罪者の心理とか行動を予測できるから犯罪者を追うのには最適だろうっていう事なんだけど。

なんかやなシステムですね。

そんな朱の部下となった執行官たちは、狡嚙慎也、征陸智巳、縢秀星、六合塚弥生という漢字の難しい4人です。

あと先輩監視官の宜野座さんを入れて公安局刑事課一係の面々となります。

まあ近未来の警察群像劇と新任監視官の成長物語なんですよね。

 

この作品のキーアイテムは、シビュラシステムと直結している「ドミネーター」という特殊な銃なんです。

それを被疑者に向けるとその人の犯罪係数が瞬時に表示されるの。

犯罪係数が規定値に満たないとロックされて、規定値を超えると確保しろとか排除しろとか音声がご案内してくれるのね。

だから音声通りに撃てばいいだけで特別な操作はいらないんです。

ただエリミネーターモードという殺人銃に切り替わると、撃たれた人はボコボコに膨れ上がって破裂するというグロテスクな様相を呈します。

殺されるというよりも細胞から消滅させられる感じ。

すごい血しぶきなので後が大変だと思うんですけどね。

 

この社会では、犯罪は病気なんですよね。

更生保護施設はあるけど裁判所や刑務所はもうないのです。

執行官は現在の警察のように犯罪者を逮捕して罪を償わせるのではなく、対象者が治る見込みがあるかそうでないかをドミネーターで判断してるわけなんです。

 

 

執行官て犯罪を解決する能力を認められてはいるんですけど、犯罪係数が高いから犯罪者に走ってしまう可能性もあると考えられているんです。

そのため常に厳しく監視されていて、監視官が一緒でないと外出の自由もないんです。

それでも潜在犯にとっては執行官になる事は唯一の社会復帰の道なんですよね。

また狡嚙のようにかつては監視官だった人が執行官に降格になった例もあります。

捜査にのめり込み過ぎて犯罪係数が上昇して戻らなくなってしまうんです。

犯人の行動を追えば追うほど、思考を知れば知るほど犯人の心にリンクしてしまうってもうどうしたらいいんだろね。

けれどなんかぶっきらぼうで一番怖そうな狡嚙が一番に朱の理解者となってくれるのです。

朱も狡嚙と行動を共にしながら、彼にフォローされたり励まされて成長していきます。

ただしこの作品は恋愛要素はまったくないので恋に発展したりはしません。

朱はそういうチャラチャラした子じゃないのね。

いつも真摯に仕事に取り組んでる。

そしてPSYCHO-PASSが濁りにくい精神を持っているというのは、常に心が安定していてバランスが取れているのがいいのでしょうか。

朱と比べると、宜野座さんのメンタルはぼどぼどですね。

いつも葛藤してる。

でも私は人間的で好きだな、ギノ。

 

そんな彼らの前に「免罪体質者」と呼ばれる、犯罪者なのに犯罪係数が計測されない人間が現れます。

ドミネーターの執行対象にならない人間の登場は現行のシビュラシステムの存在を揺るがすような大変な事態です。

その男、槙島聖護はこれまでの事件の裏で暗躍し、シビュラシステムの正体を暴こうとしていました。

 

 

 

この漫画はアニメにとても忠実に描かれていて驚きました。

 コミカライズってこんなに完成度が高かったっけ?

この方の「憂国のモリアーティ」もイケメン揃いでいいんですけど。

 

もうね、読みながら脳内で声優さんの声が再生されてくる。

しかしここまで忠実だと漫画の意味あるのかな、とも思ってしまいました。

まあアニメと比較すると、漫画には色も音もありませんから。

でも漫画の良さがあるはずで、それは自分のペースでじっくり読める事かな。

言葉って耳で聴くと理解してたつもりでも、けっこう聞き流してしまったり内容がよくわからなかったりしますから。

漫画だと意味もわかるし、人物の心理描写もされてて、そこはいいかなって思いました。

 

PSYCHO-PASSの世界観が好きな方は多いと思いますが、ああいう監視社会って本当に怖いと思います。

私たちは住みたいところで生活して、仕事をする権利があるし、自分の人生をどうやって生きるのかを決める自由があるんです。

シビュラシステムはこうした事と真っ向から対立する排他的で差別的なものです。

だから槙島のように数々の凶悪な犯罪を犯しながらも、一貫してシビュラの在り方に疑問を突き付けて行く人物には魅力を感じてしまいますね。

 

 

不滅のあなたへ 大今良時 不死の存在が紡ぐ不思議な物語

不滅のあなたへ」は「聲の形」の大今良時週刊少年マガジンにて2016年から連載している作品です。

私はマガジンの中ではこの作品が好きです。

 f:id:akirainhope:20190223213130j:plain

【既刊9巻】

 

 

まずはこんな不可思議な話から始まります。

 

それは、初めは「球」でした。

何者かによって地上に投げ入れられた「球」。

その球体は、地上のありとあらゆるものの姿を写しとりまったく同じ形に変化する事ができるのです。

それは「石」「苔」そして、それの側で力尽きた「オオカミ」へと姿を変えます。

そして閉ざされた雪原の中で最初の人間と出会うのです。

たった一人で暮らし、外の世界を知りたいと願う少年と過ごした日々。

しかし志半ばで少年の命が尽きると、それは少年の姿を得て更なる何かを求め旅に出ます。

 

彼が次に出会った人間は「オニグマ」への生贄に選ばれてしまったニナンナの少女マーチです。

オニグマはニナンナの人たちから神として崇められている熊さんなのね。

大人になる事に憧れていたマーチは、大人になれずに死ななければならない現実に絶望しますが、儀式に現れた少年がオオカミへと姿を変えオニグマを倒してしまいます。

それを目撃したヤノメ国のハヤセは、マーチを救いに来た少女パロナと共に少年とマーチをヤノメ国へと連れ帰る事にします。

 

美しい少年なのに言葉も話せない。

がつがつ食べる姿は野生動物のよう。

オオカミに変身したり、怪我をしてもすぐに修復するし、不死身なのでマーチから「フシちゃん」と呼ばれるようになるのです。

 

しかしマーチの命は突然尽きて別れがやって来ます。

フシは彼女により人間らしさを学び、今度はマーチの姿を得て再び旅に出ます。

 

旅の途中ではヤノメ国から共に逃げた老婆ピオランと再会し、文字や言葉を教わりました。

 

フシが次に出会ったのは、ピオランと向かったタクハナに暮らす少年グーグーです。

不幸な境遇で育ち自分以外の誰かになりたいと願っていた彼は、図らずも事故で仮面の怪物のようになってしまったんです。

ピオランの元カレで酒屋を営む変人の酒爺の屋敷で、フシはグーグーから人間の暮らしを教わり、やがて二人は兄と弟のような関係を築きますが・・・・

 

 f:id:akirainhope:20190223225854j:plain

【引用元「不滅のあなたへ」】

 

 

 

一体いつの時代なのか、なんか架空の国の物語なんですが、フシが出会う人間とのそれぞれのエピソードがとてもいいんです。

なんだかね、人が生きる意味とか、生命の本質について考えちゃうんですよね。

手塚治虫の「火の鳥」みたいだなって思いました。

生命の本質とは生きる事だと思いますが、私たちの肉体は永遠ではないのでフシのように生き続けるという事はできません。

フシが出会った最初の人間である少年は、雪に包まれた国の廃墟のような集落の跡でたった一人で暮らしていました。

この少年がとても素敵な子なのね。

凍えるような雪と孤独の中でも笑顔で明るく振る舞っていて、いつも彼の周りだけが暖色に彩られているかのようなのです。

少年はここに住んでいた大人たちが目指したという楽園に自分も行きたいと願い、もっと世界を知りたいんだと旅立ちます。

少年の間近で彼の明るさ、強さ、暖かさ、喜び、悲しみといった物をオオカミの姿でフシはじっと見ているんです

彼は偶発的な怪我から、薬も助けてくれる人もおらず命を落とす事になってしまいますが、最後にフシに「僕の事をずっと覚えていて」と言い残し死んでいきます。

 

次に出会ったマーチは少女というよりはまだ幼い女の子でした。

大人になってママになる事に強い憧れを持っていたのに、生贄にされてしまい一度は逃げ出します。

逃亡中に少年の姿のフシと出会い、言葉も話せない彼に「知らない人に親切にしてもらったらありがとうって言わないとだめよ」なんて小さな彼女が自分より大きなフシにおしゃまに教える様子がとてもいいんです。

まるで優しい母親のように接し、意識も自我もなかったフシはマーチといる事で少しずつ人間らしくなっていきます。

けれども不死身で姿形を変えられるフシを狙うヤノメ国の追手から逃げる中パロナをかばって死んでしまうのです。

 

三番目に出会ったグーグーはたった一人の兄に捨てられ、人を助けようとして事故に会い顔面の深い傷を隠して仮面をかぶって生きていました。

でもちっとも陰気じゃないのね。

服も自分で着られないようなフシの面倒をみてくれて、弟のように可愛がってくれたのです。

そして料理上手でもあるグーグーから人間の暮らしとはこういう物なんだと言う事を覚えるうちに、感情が芽生え会話もできるようになり成長していきます。

人から怪物と蔑まれても大切な者のためには命を投げ出す強さを持つグーグーは、好きだった少女のために死んでいきます。

 

短すぎる命を懸命に生きた彼らは、死という概念を持たないフシの中に何か尊いものを残して行くのです。

 

これらの一つ一つのエピソードがとても切なくて感動的なんです。

 

 

 

しかしながらフシとは一体何者なのでしょうか?

 

フシは自分が知っている人物(あるいは動物)が死ぬとその姿を獲得する様になっています。

それは他人に成り代わるといった邪なものではなく、フシはその人間の記憶と共に生きているのです。

けれど彼を付け狙う敵であるノッカーによりその姿を奪われると、フシはもうその人には変身できなくなってしまいます。

それだけではなくフシの中のその人の大切な記憶さえもなくしてしまうのです。

それはまるで二度目の死のようで、忘れられて初めて本当の意味で死んでいくと言うのは私たちにも言える事なんですよね。

 

フシが黒いヤツと呼ぶ「観察者」という人物が、球体をこの世界に投げ入れその成長を観察しているというわけなんですが、はっきり正体も明かされておらずその意図もまだよくわかりません。

フシが戦うノッカーという存在も同じく正体不明であり、この二者は今の所謎のままなのでそれがこの作品を難解に感じさせているかもしれません。

 

それよりもフシが出会った人間の物語が美しく紡がれ、どんな人間と出会いどう成長したか、何を獲得し何を失ったのかといった事が主題になっています。

そこには必ず人の生と死があります。

この作品は不死身という永遠に生き続ける存在から見た人間の生と死が描かれたとても壮大な物語です。

 

人はいつかは死ぬんですよね。

人は死に向かって生きているのだと言う人もいます。

でも私たちはそれを頭ではわかっていても、普段は忘れて生きています。

そして自分の家族や恋人など大切な人の死に直面すると、死は急に身近なものとなり私たちは死というものを意識します。

その時、今を懸命に生きる事の大切さを痛感するんですよね。

 

この作品は不死身の存在が死という刺激を受ける事で、出会った人の姿を写しとる不思議な話でもあり、彼らは死んでもなおフシの中で生きています。

それは死は決して終わりじゃないんだと思わせて、私の心を安堵させるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンゴールド 堀尾省太 離島で巻き起こる福の神怪奇譚

 

皆様、ごきげんよう

ゴールデンゴールド」は、月刊モーニングツーにて2015年から連載されている堀尾省太の作品です。

舞台は瀬戸内海の、かつては福の神の島と言われていたという「寧島(ねいじま)」という架空の島です。

 

 

 

f:id:akirainhope:20190214181536j:plain

(既刊5巻)

 

 

この物語の主人公の流花はちょっと訳ありで、この島に住むばーちゃんと二人で暮らす中学生の女の子です。

それというのは、思春期特有の精神状態とでも言ったらいいのかなあ。

対人関係に敏感過ぎて通っていた本州の中学には馴染めなくて不登校になってしまったんですね。

それで家族と離れて島の中学に転校して来たわけです。

しかし陰気な子ではなく島ではそれなりに元気にやっている、ツインテールの優しい女の子なんです。

 

そんな彼女が恋心を抱くのは島の同級生の及川くんです。

及川くんはオタクでアニメイトが大好きなのね。

ところが及川くんときたら、高校進学はお父さんが働きに行ってる大阪の高校にするとか突然言い出すんです。

流花の気持ちも知らずに、お父さんの所からアニメイト大阪日本橋店まではチャリで5分なんだと目を輝かしてるんですよ。

流花は海辺で偶然拾った奇妙な置物が、ちょっと福の神っぽく見えたので思わず祈ってしまうのです。

 

「どうかこの島にでっかいアニメイトが建ちますように」って(笑)

 

すると彼女の目の前に福の神なのかな、うーん、異形の者が突如現れまして。

なんと流花の家に居着いてしまうんです。

するとあら不思議、ばーちゃんが商う食料品店と、何年も宿泊客がなかった民宿がなぜか大繁盛。

やっぱりあれは福の神なのでしょうか?

最初はレジの中の売り上げの大金を茫然と見つめておりましたばーちゃんですが、なんかよくわからない勢いに乗ってコンビニ経営へと乗り出し「寧島を強化する会」なる物まで立ち上げてしまうのです。

その活動は島で唯一のスーパーを経営する岩奈の反感を買いコンビニへの妨害工作が行われます。

しかし福の神に操られた舎弟によって、嫌がらせの主犯であったヤクザ気取りの梶狩が殺されてしまうのです。

 

 

 

 

 

 人間に利益や幸福をもたらすという福の神は誰しもが来て欲しいと願う事でしょう。

でもよく考えると「お金」などと言う、浮き世のルールみたいな物に絡む願い事をかなえてくれる神様なんて、ずいぶん都合がいいような気がします。

 

流花は他人の感情に敏感過ぎて生きずらくなってしまい田舎へやって来た女の子です。

あの人は自分を嫌ってるんじゃないかとか、友達の振りをしてるけど本当は見下してるんじゃないかとか、そういう事っていちいち気にしてたら生きてけないけど、気になり出したらとことん気になっちゃうかもですね。

都会より田舎の方が生きやすいかどうかは知りませんが、この島の住人てなんとなくのんびりしてるんですよね。

だから離島の閉鎖感なる物を取材に訪れた女流作家の黒蓮は、初対面からフレンドリーな島の住人に呆然としてしまいます。

これといった産業もないし活気もないし変化もないけど平穏無事に暮らしてるのです。

 

流花がお気に入りの及川くんはアニメイトを聖地と崇めるオタクなのですが、及川くんのキャラが秀逸で流花とのやり取りがとても可笑しいのです。

本当はそれほど好きでもないんだけど、及川くんとの接点を維持する為にアニメや漫画を一生懸命に見て必死で話を合わせたりしてるのね。

でも及川くんはオタクゆえに他人の事にはあまり興味がなさそうだから、それが流花のような子には居心地がいいのでしょう。

でも恋する女子としてはちょっと寂しいんじゃないかな、と思うんだけど。

 

ところがこの平穏な島が例の福の神によってなんだかおかしな事になってしまうんですよね。

 

 柳田国男遠野物語で座敷わらしという神様の話があるんですが、向こうから見慣れない小さい子が来るので、お前はどこから来たんだ?って聞くとあっちの家からって言うんだって。どこへ行くんだ?って聞くとこっちの家だって言うんだって。するとしばらくしてあっちの一家は毒キノコに当たって死に絶えてしまって、こっちの家は豪農になって栄えたんですと。

座敷わらしは岩手県に伝えられる精霊的な存在で、座敷わらしがいる家は栄え、座敷わらしが去った家は衰退すると言われている福の神のような者です。

この神様は子供の姿をしていると言います。

でもこの漫画の福の神はちょっとキモイのね。

最初はキモイけど結構可愛いかもって思ったんですが、読んでるうちに不気味さが増してきて、ペタペタって歩き回る足音もなんかいやだわー。

 

ただこの姿は流花や流花の家の民宿に泊まる黒蓮などの島の外から来た人間にしか見えなくて、ばーちゃん始め寧島の人にはただの小さいおっさんにしか見えないらしいのです。

だから流花はばーちゃんが福の神にだまされているような気がしてしまって、必死に訴えようとするんですが伝わらないのです。

それどころかばーちゃんは生き生きとし始めてお化粧なんかしだすから驚くよね。

精力的に商売に目覚めたばーちゃんから波及して、徐々に島の人たちも何かに乗せられるような感じになってきて、流花までもがもしかしたらアニメイトが建つかも⁉と淡い期待を抱いてしまいます。

ついには、ばーちゃんが調子に乗って始めた「寧島を強化する会」(この呼び方は長いので略して寧強会と呼ばれるようになるのですが、かえって胡散臭いです)では、福の神に全員が手を合わせるようになりカルト教団みたいな様相を呈するようになるのです。

 

だからと言ってばーちゃんが狂気的に変わってしまったというわけではないんですよね。

コンビニに改装する時も「今までは来なかった学校の友達が店に来るようになるだろうから大丈夫かい?」と流花の友達関係を気にかけてくれたし、いいおばあちゃんだなあと思います。

学校に行けなくなってしまった流花が、ここまで元気になったのもおばあちゃんの存在があってこそなんでしょうね。

利益が上がれば事業を拡大しようとするのは別に悪いことじゃないんだけど、人との関係に過敏な流花は何か違和感を感じてるんですよね。

 

それはもちろんあの不気味な福の神がもたらしてるわけで、お金だけならいいけどお金と一緒に今までは関わりがなかった危ない人たちもついてきてしまって、殺人事件にまで発展してしまうわけです。

平穏な日常生活に段々と歪みが生じていくという描写がうまくてねー、福の神の正体といったものはまだわからないんですけど、流花の不安はよく伝わってきます。

思えば私たちだって、大災害が起きるたびに常套句のように「想定外だった」で済まされてしまいますが、自分や家族の日常、学校や会社、住んでる町だって、いつ災いが降りかかるかわからない時代に生きてるんですよね。

おまけに働いても給料は上がらないし、年金だっていくらもらえるのかわからないし、将来や老後にも漠然とした不安感を持っています。

そういった読み手の現実の不安感と、この島でこの先何かすごく悪い事がおこりそうな不穏な感じがリンクしてくるような気がします。

そしてそれはやっぱり、流花が好きな子を繋ぎ止めようとしてこの島にアニメイトが建ちますように、なんて願ったからなのでしょうか。

 

 

私もお金はないよりあったほうがいいですが、かと言ってお金にがめつい人と思われるのも嫌だから、人前ではついお金には無関心な顔を装ったりします。

お金の事って難しいですね。

貨幣経済の発展した今の時代お金がなくては生きていけないのだから、時として人間関係や信頼などよりもお金が上位に来る事だってあり得るじゃないですか。

たかが印刷した紙なのに人格まで変えてしまう事もあってお金の力って絶大ですよね。

でもこの漫画のようにお金に踊らされるのは嫌ですね。

 

 

 

  

蟲師 漆原友紀 蟲師ギンコの終わりのない旅

皆さま、ごきげんよう

蟲師」は1999年から2008年まで連載された漆原友紀の作品です。

 

蟲とは、昆虫ではなく、動物でも植物でもない、生命の原生体に近い物たち。

蟲が起こす怪異を研究しその知識を生かして生業としている者が蟲師です。

 

f:id:akirainhope:20190210181626j:plain

全10巻

 

 

蟲師のギンコは、ある時雪深い里に呼ばれ里人達が片耳だけ聞こえぬ病に犯されている事を聞かされます。

ギンコはすぐに蟲の仕業であると見抜き適切な処置をしたので、里人から感謝されます。

その時、額に4本の角が生えこれまでに聞いた事のない音が聞こえ出した、という少女の事を相談されます。【柔らかい角より】

 

 

ギンコは20代から30代位の男性で、白髪で緑の瞳という一種異様な外見を持つ蟲師です。

蟲たちを呼び寄せてしまう体質の為、一ヶ所には長くいられないので常に旅をして流れて行きます。

蟲よけタバコがトレードマーク。

ギンコが旅先で出会った人達と蟲の物語が一話完結のオムニバス形式で描かれています。

 

 

禁種の蟲を身体に封じ、蟲を封じる為の呪を代々筆記してきた狩房家。

秘書である「狩房文庫」を見る為訪れたギンコは、四代目筆記者である狩房淡幽に会います。

生まれた時から筆記者となる運命を負った淡幽の人生は過酷でした。

若い女性でありながら、禁種の蟲に蝕まれた片足は紫色に変色し動きません。

屋敷にこもり書物を書き続ける淡幽は、人間の驕りが蟲を殺生しているだけなのではないだろうかと疑問を持ち始めます。【筆の海より】

 

 

蟲は誰にでも見えるものではありません。

けれど人々の暮らしには蟲という存在が身近にいて、この世界では人と蟲は共存しているのです。

しかし蟲はなかなか厄介な存在で、時には人に害を及ぼしたり怪異現象を起こしたりもします。

でも蟲には悪気があるわけではなく、ただ生き物としての生を全うしているだけなので、ギンコと淡幽は生き方は違いますが安易に蟲を屠る事は間違っていると考えているようです。

 

 

いつも五月雨の前頃に突然現れて、雷雨が止む頃にいつの間にか姿を消す不思議な集団「ワタリ」。

地主の息子のタクは、その流れ者集団の少年イサザと知り合います。

いずれはこの土地を相続する事になるタクは、この山は俺の山だとイサザに言うのですが、この山の主はちゃんと別にいてそれは頭に草が生えた大ナマズだと言われます。【草を踏む音より】

 

 

「ワタリ」は地底に水脈のように流れ移動していると言われる「光脈」を追って各地を渡り歩く集団です。

「光脈」が近くにある土地は緑豊かに栄え、「光脈」が離れて行くとその土地は枯れてしまいます。

それらの情報を蟲師に売るのも生業の一つなのです。

かつて日本にいて今は消えてしまったサンカをモデルにしたと言う「ワタリ」の集団。

彼らをうらやましく思いながら、土地に縛られ一生を終えるしかないタクは彼らが去った後もその土地を守って暮らして行きます。

 

 

その場所にふらりと立ち寄った、蟲師であり旅人でもあるギンコは「なるほど・・・そりゃあ、たぶん蟲の仕業ですな」などと、ボソッと言いながら蟲への対処法を教えたり薬を渡したりして暫く滞在し、また次の土地へと旅立って行くのです。

 

 

現代の社会には、消えてしまった物や忘れてしまった物が様々あると思います。

電気も携帯電話も自動車もない時代、陽が沈めば辺りは闇に包まれ、誰かに会いたいと思えば自分の足で歩いて会いに行き、伝えたい事があれば手紙を書きました。

たとえば夕方の黄昏時は「逢う魔が時」と言い、昼と夜の移り変わるこの時間帯には、魔物に遭遇したり何やら恐ろしい禍を被ると信じられていました。

神霊や妖や魔といったたぐいの物を日常の生活の中で当たり前のように信じていた時代。

自然の山や森は神域へと誘う場所であり、この世とあの世の境目は今よりもずっとあやふやだったと思うのです。

 

 

この物語の時代設定は作者によると、「鎖国を続けた日本」もしくは「江戸と明治の間にもう一つある架空の時代」であるらしいです。

登場人物はほとんど着物でギンコだけは洋服を着ています。

今は失われてしまったのどかな田舎の風景が、どこか郷愁を感じさせるようでとてもいいんですよね。

四季があって自然豊かな日本とその自然を愛した日本人のルーツを見てるようで。

海をじっと見つめてたり、雪の中に佇んでたり、人と自然のさりげない描写もいいんです。

 

絵柄は地味で、ギンコも特別イケメンというわけでもないし、蟲を退治して大活躍するなんて話でもありません。

むしろその逆で、静かで切ない終わり方をする事が多いのです。

 

 

蟲という存在は読んでも何なのかははっきりとわかりません。

そういうよくわからない物が身近にある事を人々は承知してたような気がします。

だからこそ、理不尽にも降りかかる災いや悲劇も己の中に受け入れては、淡々と噛みしめるように生きているんですよね。

なんか古い時代の日本人の姿を見るような気がします。

しみじみと悲しみを包容するような終り方で不思議な読後感のある作品です。

 

 

 

秋日子かく語りき 大島弓子 転生って本当にあるのかな

皆さま、ごきげんよう

「秋日子かく語りき」は1987年に「週刊少女コミック」に発表された作品です。

人は死んだらどこへ行くのでしょうか?

違う人間に生まれ変わって、もう一度生きる事なんてできるのでしょうか?

 

f:id:akirainhope:20190208171124j:plain

 

あらすじはと言いますと冒頭二人の女性が登場します。

蓮畑の前でたたずむ中年女性と女子高生です。

二人は初対面で自己紹介します。

買い物かごを持った見るからにおばちゃんて感じの54歳の竜子と、清純そうな女子高生の秋日子は高2です。

実は二人は路上で暴走タクシーにはねられたのですが、秋日子の方はかすり傷と気絶ですみ死亡したのは竜子の方でした。

つまり二人が立ってる場所はあの世への入口なんだろうね。

やがて蓮の葉の上を歩いてこちらへやって来た神様のお使いと名乗る者が、秋日子がここへ来たのは間違いだから今すぐ自分の身体に戻りなさいと言います。

このお使いの人とっても軽妙なのね。

見るからに金髪美形だし「やあやあやあ来ましたか~」とか言ってにこやかなの。

ところが、自分が死んだなんて信じられない竜子おばちゃんは「いやですー!死にたくないー!!」とパニックになってしまうのです。

するとそれまで黙って見ていた秋日子が、しばらくの間自分の身体を竜子へ貸す事を提案します。

竜子は渡りに船とばかり、一週間後には必ず戻ってくるからと言い残して風のように立ち去ってしまうのでした。

 

 

さて、秋日子には薬子という親友がいます。

秋日子が事故から奇跡的に助かった事を喜んだのも束の間、彼女が以前とは全く変わってしまったと感じていました。

それはそうだよねー、秋日子の中身は54歳の中年女性なんですから。

以前の秋日子はあまりものを言わない、薬子との交換日記にも霞を食うようなつまらぬ事ばかり書いてくる少女でした。

今で言えば不思議ちゃんキャラなのね。

マイペースで不思議な感性を持ってて周囲とずれてる。

それが、授業中に教師の背広がバーゲン品だと独り言を言ったり、気分が悪いと嘘を言って医務室で眠ったり、人目も気にせずに大あくびしたりするんだから薬子でなくとも驚愕してしまいます。

それでも中身が竜子の秋日子は、あの世にいる秋日子が戻った時に迷惑がかからぬように、おばちゃんらしい律儀さで学校へ通いおばちゃんらしさを発揮してクラスメートを仕切ったりします。

どうやら悪い人ではないんだな。

最初は大人しい秋日子の人の好さに付け込んで逃げるように立ち去った姿に、なんて図々しいんだろうと思ったけれど。

 

そんな彼女の心残りは家族の事なんです。

しかし残された家族の様子を見に行くと、意外にも夫と二人の子供は悲嘆にくれてるわけでも困ってるわけでもないのです。

それどころか末の小学生の娘なんて「これからはみんなではめを外して生きようってお父さんが言ったんだ。夜中に好きなだけ起きてていいし、好きなだけテレビも見ていいし、毎週日曜日にはレストランに行くんだよ」とか言うわけですよ。

きっと常々早く寝なさいとか、テレビばっかり見てるんじゃないとか口うるさい母親だったんでしょうね。

でももちろん本人は家族の為にやってるつもりだったから、そんな風に言われて内心ショックを受けてしまいます。

それでも、そんな事言ってたら不良になっちゃうんじゃないかな~とか言いながら、家に上がり込んで食事を作ろうとすると、今度は大学生の息子が彼女を連れてくるんですよ。

その彼女が今夜の夕食を作ってくれるって言うんで、お父さん(竜子の夫ね)なんか慌てて帰宅したりね、もお秋日子(竜子)の存在なんて完全にスルーなんです。

彼女がいるなんて生きてる時には一言も言わなかったくせにって、そりゃ母親としたら面白くないですよね。

そして、この夫が「フランクリン」と呼んでいたベンジャミンの鉢植えが枯れかけているのを発見し、家族にとって自分は何だったのかと大いに傷ついてしまうのです。

 

 

そこで秋日子(竜子)はクラスの男子の茂多に頼んで、フランクリンを盗み出そうとします。

だが泥棒と間違われ警察まで出動する騒ぎとなりますが、秋日子の行動を観察していた薬子の機転で二人は助かりフランクリンも持ち出す事ができます。

秋日子(竜子) は薬子と茂多にお礼だと箱入りのチョコレートを渡しますが、薬子はそんなおばさん儀礼は好きじゃない、菓子折りなんていらないとヘソを曲げてしまいます。

薬子は薬子で自分は秋日子にとって特別だと思ってるから、ただのクラスメートの茂多と自分が同じチョコレートというのが気に入らなかったんです。

秋日子(竜子)はその気持ちがわからなくて、菓子折りを贈る事がそんなに嫌なことなのかと思います。

 

 

その晩、秋日子の家へ竜子の夫がやって来ます。

フランクリンを返してほしいと言うのです。

自分と亡き妻が育てた木で、なくなってみると我が家が我が家でなくなってしまったと語る夫に、秋日子(竜子)は泣きそうになりながら喜んでフランクリンを返すのです。

これからは、夫や子供たちはフランクリンにちゃんと水をやるでしょう。

亡き妻を、母を思い出して。

人は死んでも忘れ去られたくはないのです。

 秋日子(竜子)は満足します。

 

 

もうこれでこの世に未練はないぞと、いよいよ約束の一週間まで残り45分となった時、秋日子(竜子)は最後に青春の象徴フォークダンスをやりたいと思いつき、深夜の校庭に友人たちを誘います。

・・・青春の象徴(笑)

フォークダンスとかラジカセにカセットテープとか時代を感じさせますな~。

夜空にヨハンシュトラウスの美しき青木ドナウがいざかかろうというその時、集まった友人たちの前で秋日子は倒れ、一瞬で目を覚まします。

竜子と秋日子が入れ替わったのです。

そして、あの世から戻った秋日子が語った事とは・・・・・

 

 f:id:akirainhope:20190208171218j:plain

 

 

大島弓子の作品はどうにもチマチマした感じの作画と、花やらリボンやら何かふわふわした物が溢れた少女漫画らしい可愛らしさを持ってるのですが、その内容は結構死という物を扱った作品が多いのです。

それは人の死そのものではなく、死後の世界や転生や臨死体験などです。

でもこの作品にも見られるスピリチュアルな世界観は、決して怖い物や胡散臭い物ではなく、限りなく優しく温かい物です。

大島弓子は、萩尾望都竹宮恵子などと共に「花の24年組」や「新感覚派」と称されました。

70年代にそれまでの少女漫画のイメージを一新するような革新的な漫画を描いた人たちです。

この人たちは前を走る少女漫画家はいませんから全く斬新だったわけですよ。

 

大島作品によく登場するのは純粋さゆえに大人になりきれない少女です。

それはたいてい天然や不思議ちゃんと思われて、周囲の人間をドン引きさせるかふざけてるんだと思われて笑われてしまいます。

しかし本人はいたって大真面目で、自分の痛さには全然気付いていないのです。

ああこれでは生きずらいだろうな、なんか行き場のない感じが妙に心に深く刺さってくるような気がしちゃいます。

 

秋日子もまた、薬子のスカートのファスナーが開いているのに気が付くと、忠告する代わりに一日中薬子の横について歩き通したという、意味不明な恐るべきエピソードが描かれています。

チャック開いてるよって言えばいいのに~

大島弓子は難解です。

 

 

 

さて、秋日子は何を語ったのでしょうか?

 

秋日子の口から語られた事は、竜子は神様と共に行ってある国の美しい時期王女に生まれ変わると言うのです。

人は死んだら皆、自分の好きな者に生まれ変わる事ができると。

それを聞いた友人たちは一様にホッとして、自分は何に生まれ変わろうなぞと思いを巡らします。

わたくしもここを読んだ時死ぬのも悪くないなあと、死ぬ事が怖くなくなるような気がしました。

でもね、この漫画の骨頂はラストの薬子にありますのよ。

薬子だけは、この顛末は秋日子が作った自作自演だと言っておるのです。

そうして、花や蝶になりたいと言うのでなければ、自分たちは来世でなく今生でそれぞれの夢を叶えることができるのだという、力強い薬子の独白で終わります。

 

 

これはまったくどうした事か。

蓮畑で会った秋日子は竜子に身体を貸したんじゃなかったの?

一緒に事故に巻き込まれ自分だけが生き残った罪悪感で、秋日子はさも竜子のような振りを演じてただけだと言うのか。

わからん。

 

でも、蓮畑で私まだ死にたくないと騒いでた竜子さんが一週間後の約束の時には、満ち足りた気持ちで従容と死を迎えようとするんです。

あっけらかんとした明るさで、茂多に「好きだよ」なんて言われた事をへへへと思い出し笑いしたりして。

54年の人生よりこの6日間のおまけの方が大きかった気がするなって思うのです。

その姿は人間が自分の死を迎えようとする時の理想的な死に方なんじゃないのかな。

だから来世を夢見る事よりも今のこの人生を悔いなく生きよ、と言われてる気がします。

絶対的な価値観がないように、どう生きればよいかという指標もない時代に生きる私たちですが、生きるという事の本質は80年代も今も変わりないのだと思います。