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大人の漫画読み

漫画/「花伝ツァ」木原敏江 もう一度読みたい名作漫画

1980年に発売された木原敏江の漫画

木原敏江といえば少女漫画誌「LaLa」の黄金期を支えた「摩利と新吾」、これはもう間違いなく不朽の名作ですが、和洋問わずの世界観で他にも素晴らしい作品が数多あるのです。

幻想ロマンといったスタイルの本格時代ものも忘れてはならず、人を喰う異形の怪物である「鬼」をテーマにした傑作もいくつかありまして「花伝ツァ」は上田秋成の「雨月物語」の一篇「菊花の約(きっかのちぎり)」を下敷きにした鬼と人間の悲劇的な愛の物語になっています。

(木原敏江「花伝ツァ」)

その美しい若者は花車(かしゃ)といい応仁の乱も終わる頃に戦で都を追われたと里に住み始めたのですが、無口で雅やかな姿かたちといいさぞかし由緒ある家柄であろうと里人は噂したものです。

細い手に鎌を持っての慣れぬ畑仕事はなんとも痛ましいことでしたが、猟師としての腕はよいらしくいつもたいそうな獲物を獲って来るのでした。

この若者の正体は鬼なのですがちっとも恐ろしくはなく、ただもういずくにか消えてしまった仲間に会いたいと願いつつ正体を隠し一人暮らしていました。

赤穴上月(あかなこうづき)は故郷の出雲から近江の佐々木家に遊学中、富田月山城が尼子経久に奪われ城主塩谷掃部介は討ち死にし城を守っていた赤穴一族はちりじりになったとの報を受けて急ぎ帰郷の途中病に倒れ偶然花車に助けられます。

世を知らぬ花車は行き倒れの男を鬼の同胞と勘違いしてしまうのですが、人間とは疑いだけで相手を殺すことができる恐ろしい生き物だと教えられてきたのに(それを教えてくれた者ももういませんが)あまりに軽率に男を信じてしまったのは寂しさゆえかそれとも若さゆえでしょうか。

上月の方もなにやら勘違いしているようだと気づきながらも、この美しい若者にはすまぬことだが体が元通りになるまではここに隠れている方が得策だと考えます。

しかし人の血を吸い肉を喰らう鬼など平安の昔ではあるまいにさても変わった子だと一笑に付しながらも、至れり尽くせりでもてなされ自分を信じきる花車にすっかり情が移ってしまうのでした。

ついに二人は衆道の契りを結びまして花車から「兄長(このかみ・兄上の意)ずっと一緒だと誓うな?」と迫られるもああどうやらつかまったらしいなと上月まんざらでもありません。夏がゆき秋がゆき季節の移ろいの中で愛する者と過ごす日々の尊さを二人味わいます。

戦場を遠く離れ名もない村の若者として暮しながら、できるならばこの里で花車とずっと暮らしていたいと上月が思ったのも一度や二度ではなかったのですが、再び夏が巡り秋風の立つ頃噂では出雲の赤穴党が尼子の手から砦を取り返し交戦中だと耳にします。

ついに出発せねばならぬ時が来たのですが花車が承知するはずもなくあれやこれやと花車の機嫌を取っているうちに、やけっぱちになった花車が守護代の屋敷の姫を襲おうとして失敗し傷を負い、いよいよまあ本物の鬼だったんだとわかるわけです。

だが恐ろしさよりも哀れさが先に立ってしまい花車を追っ手から庇う上月いい漢でございました。

人ならざる身ゆえ生きることに息を潜めもうこの世に残っているのは我だけかもしれぬと嘆く花車に、たとえ鬼だとしてもそなたを手離すことは出来ぬ、きっと迎えに来るからそれまで人を襲ってはならぬと上月は説くのでした。

吐く息も白く残菊薫る秋の名残りの朝、上月は花車に見送られ旅発ちました。

さあらば兄長

いつの時にか帰り給ふべき

 

おそくとも次の秋は過さじ

 

秋はいつの日を定めて待つべきや

ねがふは約し給え

 

重陽の佳節をもて帰り来たる日とすべし

(重陽の佳節は菊の節句のこと。陰暦9月9日で今でいうと10月末から11月始め)

 

兄長

必ず此の日を誤り給ふな

 

「兄上いつお帰りになるのですか?」と聞いて「遅くとも秋には帰る」との答えに「秋のいつですか?約束してください」と重ねて聞いているのがなんともいじらしい気がしますが、これは雨月物語の原文をそのまま漫画に引用する手法で読み手を雅な古典の世界に連れていくわけです。

何も知らず国へ戻ったものの一族はすでに尼子の勢いにつき捕らえられた上月はいかんともしがたく、約束の重陽の菊の節句に自ら命を絶ち霊となって戻ってくるのです。

人は一日に千里を行くことはできぬが魂は一日に千里を行くことができると、暗い風に乗りはるばる花車の元へ赴くとはなんともオカルティックです。

愛し合っていても身を寄せ合えば互いを傷つけあいわかり合えずに別れてしまう人たちもいますのに、約束を果たすために死んで魂となり会いに来るとは二人の絆の深さに声を失い幸福感とは信頼であると気づかされるのです。

思えば上月も花車と同様孤独な身の上であったと思うのですが、人間に追いやられ滅びゆく鬼と雨月物語の二つの色を重ね全く別の幻想的な物語となっておりまして、雨月物語を知っている人も知らない人も楽しめる作品ではないでしょうか。

歴史物のよさは何十年たっても古びないことで今読んでもちっとも古さを感じません。

 

kindleで読めますよ