北山彦八と田島一之助
なんといってもシリーズ最大の悪役は白子屋菊右衛門です。
菊右衛門は大阪から京にかけて一大勢力を持つ香具師の元締めでして、江戸進出を企み音羽の半右衛門と対立しています。
かつては梅安と相互信頼を築いていまして、牛堀道場の跡目事件でお尋ね者になってしまった剣客・小杉十五郎を一時預かってもらったんですがね。
小杉十五朗はそうとうな剣の使い手ですが根は律儀ないい青年なので、彼を仕掛人になどしたくなかった梅安は約束をたがえて小杉を仕掛人として使った菊右衛門と全面対立。
「ああんソッチがそのつもりなら今まで面倒みてやったのに可愛さ余って憎さ百倍!」とばかりに菊右衛門は自らの威信をかけ執拗に梅安を狙い出します。
そこで責任を痛感する小杉ったら、梅安に黙って白子屋菊右衛門を斬ろうと単身大阪へ出立してしまいまして、泡食った梅安が彦次郎に告げる暇もなく跡を追いかけます。
先様は廊下の壁や天井が二つに割れて護衛どもが飛び出てくるという家に住んでおり、菊右衛門の真の怖さをわかってない小杉を案じたからです。
一方、白子屋菊右衛門は江戸へ向けて2人組の最強の刺客を放ちました。
北山彦七という中年の男と田島一ノ助(かずのすけ)という若い男で、2人とも浪人というよりは剣客風の姿で身に着けているものもこざっぱりQOLも高そうです。
彼らは菊右衛門から大金をもらい何件もの暗殺を請け負って来た、金にさえなれば誰でも平然と殺すアサシンです。
「2人がかりで梅安ひとりを殺ってもらいたい。小杉十五郎は腕が立つから手を出すな」
と菊右衛門が申しますと、北山と田島は顔を見合わせ微かにニヤリと笑います。
この2人は男色の関係なんですが、背の高い北山(20年前の佐藤浩市さんのイメージで)は、少年のような田島を溺愛してる風情で「な、かずよ」と田島の肩を抱きしめながら「面白そうだから小杉十五朗というヤツも殺ってしまおうぜ」などとイチャツキながらよからぬ相談です。
実は作中に男色けっこう多く登場します。
池波先生は江戸文化に精通していますから、我々が思ってるよりずっと江戸の社会にはゲイが多かったってことじゃないですかね。
まったくこれはとんでもないカップルでして、江戸へ向かう街道の松並木で田島はすれ違った侍を辻斬りする挙に出ています。
侍が街道へうなり声を発しながら崩れた時には、2人は松並木の裏側を風のようにキャッキャ(´∀`*)ウフフと走っていくというね。
その様子を池波先生は軽妙な筆致でこう書きました。
夕闇は、夜の闇になっていた。
「かずよ。みごとだった」
「うふ、ふふ」
「冴えていたぞ」
「うふ、ふふ・・・」
走りながら、田島が、さもうれしげに笑う。
空に、星が瞬いていた。
もうねえ~面白半分で人を斬り社会から逸脱して奔放に生きる「江戸BL版俺たちに明日はない」って感じなのですよ。(面白半分で殺されたんじゃたまりませんが)
さてそればかりでなく、江戸にいる若い妾が行方不明になったと知った白子屋菊右衛門も江戸へ向かう仕儀となります。
こちらは若妾が可愛いからと言うよりも何者かが自分に戦いを仕掛けて来たと察したからです。
ってなわけで、「江戸から大阪へ向かう小杉と小杉を追いかける梅安」「大阪から江戸へ向かう北山と田島」「同じく江戸へ向かう白子屋菊右衛門」とそれぞれが東海道を上ったり下ったりのドタバタ時代劇の体です。
しかも梅安は道中駕籠を雇い急がせ過ぎたあまり小杉を追い越しちゃったんじゃないかしらん?と新たな問題発覚(;´д`)トホホ
そんな中、あんなに仲良く東海道を下って来た北山と田島が仲たがいです。
両刀使いの北山が女嫌いの田島を残し「岡部で待ち合わせしようぜ」と言い残して三河の岡崎宿へ遊女買いに行ってしまったのです。
参州・二タ川の(ふたがわ)の宿場(東海道の宿場町がアレコレ出て来て旅してるようで楽しいです)で「おのれ北山め!オレという者がありながら!」とジェラシーでイライラする田島はくやしいから誰か斬ってやろうと荒ぶるんですが、突然の腹イタが・・・・!?
もう辻斬りどころでなく大刀を置き去りにして便所へ走れば思いがけない下痢に見舞われます。
それは大変な重症で「大丈夫治った!」と思ったら翌日またまた便所へ駆け込むの繰り返しで、何かの感染症だろうかちっともよくならないのです。
田島は腹が弱い方ですが、ここまでドイヒーなのは初めてで徒歩はやめにして駕籠に乗っても調子悪いから気が滅入るばかりです。
段々心細くなってきて「北山さんがいてくれたら」などと怒りも萎えてしまいます。
ひたすら下痢の話が執拗に繰り返されますが、あたしなどは田島くんと同じく腹が弱いたちなんで妙にわかる~と思ったりして。それに今と違い病院もないですしね。
それよりも藤枝宿で昔の思い出に黄昏てた梅安が腹痛で苦しむ田島を偶然助けるのです。
梅安は海坊主のような大男ですから、田島をおぶって宿まで連れて行き治療してやります。
そのおかげでよくなり、医者の手でこんな風に看護されるなんて初めての田島は、宿の者に薬を買いにやらせたり眠っているうちに姿を消す梅安のスタイリッシュさにすっかりファンになってしまうのです。
もっとも梅安は偽名を使っているので互いに素性は知らないままです。
ときに、岡崎で遊び惚けてた北山は待ち合わせ場所に田島はいないし、大阪から下って来た菊右衛門に捕まり「あんたがちゃんと見張ってないからだ」などとビシビシ怒られ一緒に江戸へ向かいます。
梅安もようやく小杉を見つけ江戸へUターンしまして、にわかに人間らしい心持ちとなった田島も江戸へ。ついに江戸へ役者が揃ったわけです。
田島はあの医者が偽名でしかも藤枝梅安その人だったとわかっても、梅安を暗殺する気にはならずただ父親を慕う幼子のようにもしくはストーカーのようにどこまでも後をつけます。
本当は声をかけてお礼の一つも言いたいのですが、いかんせん怪しまれそうで出るに出られず「オレは一体何をしてるんだろう?」と戸惑いながら、江戸へ来ているはずの白子屋菊右衛門とも連絡を取らず、患者に化けて梅安をだまし討ちしようとした刺客に石を投げつけて窮地を救ったりいつしか完全に梅安の方に付いちゃう。
こんな可憐な田島が通りすがりの侍を面白半分で斬って捨てた田島と同じ若者なんですから、これもまた「人は悪い事をしながらいい事もする矛盾した存在」という本作のテーマですよね。
ラストでは堪忍バッグの緒が切れた梅安が菊右衛門のアジトに単身特攻を仕掛け、当の梅安は全く知らぬまま田島は北山と刺し違えて死んでしまいます。
狭い座敷の中で梅安を救おうと奮闘する賊がまさか田島だとは北山も思わず、互いに相手をわからず殺し合い血煙の中で初めてそうと気づきます。
その激しくも悲しい場面を池波先生の名文で見てみましょう。
北山彦八が田島を見て、何ともいえぬ声をあげた。
田島も、目をみはった。
おどろきと衝撃とが、一つになって、
「た、田島・・・」
「き、北山さん・・・」
田島一之助は、切り割られた西瓜のような顔を北山へ向けて、
「こ、これで、おしまいだ」
といった。
「田島、なぜだ・・・なぜ、こんなことを?」
「わ、わから、ない・・・」
「う、うう・・・」
がっくりと両膝をついた北山彦八が脇差を手ばなし、田島一之助の肩を抱くようにして倒れ伏した。
白子屋菊右衛門は、すでに息絶えている。
淡々とした文の中で田島の「わからない」という言葉が雄弁に語っています。
2人の死にざまには肉体的な快楽を重視する男色とは違う「精神的な結びつきを重視する男色」いわゆる「浄愛」に近いものを感じます。
闇に蠢く仕掛人の殺るか殺られるかの血なまぐさい日常を共に闘い精神的な一体感が培われていたんじゃないでしょうか。
あらら「梅安乱れ雲」ってこういう話だったっけ?