司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を鈴ノ木ユウ氏がコミカライズしてて「週刊文春」で連載してるのですが、8巻が出ましたので感想をしたためる次第です。
坂本竜馬って大器晩成な人ですよね。
子ども時代の話はひ弱でいつも泣いて帰って来たとか、12才までおねしょをしていたとか、塾に入れても全然勉強が出来ないんで先生が「この子には教えられん」と家まで断りに来たとか、序盤は愚童エピソードで仰天です。
でも竜馬が幸運だったのは、家庭が裕福だったんです。
坂本家は郷士(下級武士)ですが、土佐の豪商才谷屋の分家なのでリッチで雰囲気も良いのです。
父も兄も「早くに母親を亡くして竜馬は不憫や」という温かな目線で終始竜馬を見守ってて、愚童だからってイライラして怒ったりしない。みんな優しいの。
そして女傑の乙女姉が母親代わりとなり竜馬を教育しました。
そんな竜馬も成長すると共に次第に頭角を現すようになりましてね、剣が出来るっつーんで18才で江戸へ剣術修行に行き、北辰一刀流(江戸のチョー有名流派)の桶町千葉道場で塾頭にまで出世したんですのよ。
道場の跡取り息子で人のいい千葉重太郎と妹の千葉さな子から気に入られたり、土佐藩家老福岡家の姫お田鶴様との初恋とか、オリキャラの寝待ノ藤兵衛なる盗賊に子分にしてと頼まれたり、色んな人との出会いがあり剣の修行に打ち込んだり恋をしたり黒船が来たり、青春なんですよ青春。
これがねえ、作画がいいんですよね~
ちょっと井上雄彦の「バガボンド」を彷彿とさせるタッチや、剣術の立ち会い場面も躍動的で、何より竜馬の造形が美しく生き生きとした魅力に溢れています。
司馬遼太郎の原作小説は有名ですが、なんせ60年位前の作品ですし、あたしは竜馬の行儀の悪さや汚らしい所に(こういう要素はかつては男の魅力だったかもしれませんが)ゲンナリだったので、泥臭さを薄め今の人にも受け入れられるように描かれてる気がします。多分。
さて、8巻では江戸での剣術修行を終えて土佐に帰って来た竜馬。
既に帰国して「瑞山塾」という塾を開いた武市半平太に負けじと剣術塾を開いてやるという兄の勧めを、ブラブラしたいとか言って断るわけです。
何をしたかと言えば情報収集で、竜馬は河田小竜を訪ねます。
河田は土佐藩の絵師なんですが、あのジョン万次郎の取り調べを行い、万次郎から聞いた英語や西洋事情などの知識を著した「漂巽記略(ひょうそんきりゃく)」というたいそうな著書があるのです。
河田の持つ異国の新知識が興味深く足繁く通うようになりますが、その頃土佐藩を揺るがす大変な刃傷事件が起こります。
上士の鬼山田(あだ名)という者が酔った勢いで中平忠一郎という郷士を無礼打ちにしたのですが、駆けつけた忠一郎の兄・池田寅之進は腕が立ち「弟の仇」と鬼山田を斬り殺したのです。
城下は大騒動になり、池田の屋敷には郷士が鬼山田の屋敷には上士が集結し、戦にでもなろうかという熱気です。
こんな時に肝心の武市半平太がおらず、畢竟竜馬が頭目として担ぎ上げられます。
フツーならば弟の仇を討ち果たした池田は武士の鏡でありましょうが、そこは土佐藩独特のドイヒーな階級制度があり上士と郷士の差別化が徹底していて上士が郷士を斬り捨ててもオッケーなんです。
土佐は元は長曾我部が治めていましたが関ヶ原で西軍についた長曾我部家が滅びると、東軍についた功績で土佐をもらったのが山内家です。
山内家の家臣は上士だと威張りくさり、長曾我部の遺臣は郷士と呼ばれて郷士は上士から軽んじられ弾圧されながら生きて来たんです。
積年の恨みがありますから、やってやんよと盛り上がる郷士たちを尻目に、何を思ったか竜馬は単身で鬼山田の屋敷にふらりと現れます。
すわ斬り込みか!と身構える上士たちに、まずは話しかけるのが竜馬流。
ところが狭量な上士たちは相手が郷士だというだけでまともに聞こうともしないんです。
天下は揺れているのにもしも夷狄が土佐に攻めてきたら味方同士手を組まねば追っ払えないでしょーが、って今は上士と郷士で喧嘩してる場合じゃないんだって話しても、もうね、は?味方同士?とか嘲笑ってくるのよ。
「郷士の分際で上士様を味方同士なんて言う奴は藩法を乱す謀叛人じゃ」とか言われちゃう。
論点がずれてるし、上士くだらねえ。
相手の懐に入るのがうまい竜馬も土佐では通じないんです。
竜馬一言「やっぱり土佐はつまらんのお~」それな!
しかも竜馬が池田に戻ると寅ノ進が腹を切っていたのです。
自分のせいで藩内が二分され揉めてれば土佐藩はお取り潰しになってしまう。仲間に迷惑をかける事を恐れ、自分が腹を切ればすむと思った池田ですが、まだ死にきれず苦しんでいます。
本人は介錯を頼むと言ってるのに、もうすぐ医者が来るからがんばれとか大勢で騒ぎ立てるばかりで、イヤ死なせたくない気持ちはわかるんだけど余計に苦しめるだけですがな。
竜馬が言ってやっと介錯してもらえたけど、この顛末は非常に残酷で肝の冷えるような後味の悪いシーンでしたね。
イヤだイヤだこんな藩風は。土佐藩は腐ってる。
土佐は故郷と呼ぶには冷たすぎる。
竜馬に泣きながら言わせたこの言葉は、土佐藩出身の田中光顕の晩年の述懐のものです。
土佐藩の場合、上士から上の人間はバキバキの佐幕派で幕末の動乱に身を投じて行ったのは彼ら軽格の武士でした。
薩摩や長州のように、藩ぐるみで行動するとか藩の庇護を受けるとか出来ず、なんて冷たい故郷だと彼らは悲しんだのです。
竜馬はまだ武市や長州の桂のような進むべき道が定まらず眠ってる状態かな。
大老井伊直弼が殺されたと聞き、江戸へ行って薩長土三藩連合を作るという武市から、帰ったら手を貸してくれと頼まれる竜馬。
武市の構想は土佐郷士三百人で作る「土佐勤王党」でして、土佐の藩論を勤王倒幕へまとめる事です。
武市は竜馬と違って藩を重んじている人ですな。
彼は「白札」という郷士の上だけど上士の最下級という土佐独特の変な階級だったから、郷士よりは藩に愛着があるのです。
武市は愛妻家だから妻に江戸土産の珊瑚の簪を買ってきました。
郷士の家では許されない贅沢品ですが、土佐藩では参政に就任した吉田東洋によって上士と白札は多少の贅沢はいい事になったのです。
武市は経済政策だと言ってましたが。
参政 吉田東洋
ん~、つまり経済政策というよりも、上士は特権階級だと言いたいだけだった。
政策くだらねえ。
ただし吉田東洋はキレ者で非常に攻撃的なタイプでバキバキの佐幕派で開国論者です。人呼んで「土佐の井伊直弼」だってさ。
白札は東洋にお目見え出来る為、武市はせっせと藩庁に通い、東洋を説き伏せ藩論を勤王に統一しようと頑張りましたが、奴が尊王攘夷論者の武市の言い分など聞くわけがなく(そのうえ武市を言い負かすような論客なのだ)「土佐勤王党」を作っても東洋中心の藩論をひっくり返すのは夢のような話だったのです。虚し。
万策尽きた武市は那須信吾(田中光顕の叔父)に言ってしまった。
いかんぜよ!武市半平太
吉田東洋暗殺事件じゃき